加藤拓雅@月光堂
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加藤拓雅@月光堂
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月光堂楽器店主 仏教学(三論宗、真言宗)博士後期課程 (一社)エア寺理事 勧学院担当 リュート好きの真言行者です。 もっぱら仏教と歴史についてつぶやいてます。
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違和感が迷子www
非常によく分かりました🙏
人力ボーカロイド(声優の声を切り貼りして歌わせるらしい)というのを娘に教わった

僕が「弘法大師の文字をつなげて般若心経を作る、みたいな事?」と聞くと

娘に「全然違う!」と言われる。
私、例年秋は体調不良になりがち。
頭がボーっとして働かない。

こういう時は、休んで待つしかない…
つまり、情報量が増えたことと
デジタル情報として扱える(つまり検索できるとか)事で
より実際の姿が解像度高くわかるようになってきたんです!

今、仏教学は熱いですよ~
21世紀に入ってからの仏教学(日本史や国文もそうだろうけど)の進歩はものすごいです。

活字化されてる資料はどんどんデータベース化され、膨大な情報を活用できるようになり

また、古文書調査も進み、こちらもデジタルアーカイブになっています。
人の生き方が、良いの悪いのと評価される

しかし実際のところ、何十年か生きてみないと結論も出ないものだし
多分に主観的なものなので、結局本人にしか結論はわからないものだろう。
Reposted by 加藤拓雅@月光堂
イタリア人の考古学の先生、「あなたがたは僕たちにグレンダイザーやマジンガーZをくれたのに、僕たちが差し出したのはトッポジージョやカリメロで申し訳ないッ」的なことをおっしゃっていてめちゃめちゃ面白かった(朗々とロボットアニメの主題歌を歌ってくださったのも素晴らしかった)
四家大乗
三論宗(中観)、法相宗(唯識)、天台宗、華厳宗
の論戦など非常に興味深いのだけど、この面白さをもっと知ってほしい…
日本思想を見ようとした時に、前近代は仏教の形式で書かれる事が非常に多い。
言ってみれば、欧州のスコラ哲学みたいなものなので、その背景にある宗教の知識が無いと、真意を掴みづらい部分があります。

そのため、現代人が「昔の日本の思想を知りたいな~」と思っても、その奥深さを味わいきれないという、悲しさがあるように感じます。
詳細は来年の研究発表で話そうと思う。
弘法大師『秘密曼荼羅十住心論』を改めて読んで思うのだが
院政期三論宗の学説は、空海さんの影響を受けてると考えられる。

引用という形で出てこないからわかりにくいけど、丁寧に比較すると確かにそうや。
資料の翻刻に一太郎を使ってるが、めちゃくちゃ便利!
漢文の返り点や振り仮名機能が素晴らしい。

歴史研究には一太郎お勧め!
久しぶりに学生気分で学園祭に来た!
が、最終日の夕方だったので、すでに出身サークルの展示は終わってたけど…

まぁ、お祭り気分を味わっていきます
おっさんになって良かった事

懇親会で知り合いが居ない時。しれっと知らん人に話しかけて楽しく雑談できる。
昔はぼっちで辛かった…
学生時代、仏教学の楽しさを教わった先生にお礼が言えました。
もう三十年近く経ってますが、ようやくスッキリした気持ちです。
#人生に影響を与えた本5選

荘周『荘子』
弘法大師『秘蔵宝鑰』
鴨長明『方丈記』
E.ギボン『ローマ帝国衰亡史』
後白河法皇『梁塵秘抄口伝集』

番外
珍海『三論玄疏文義要』
歴史的に
純粋な真言宗の思想を探究する方向と、広く密教世界全体に求める方向があったんだろう。
 まとめますと、重誉の時代、密教は大陸でも盛んであり、また日本国内においても天台宗で研究が進んでいました。重誉は、そうした国内外の先行研究を学び、思索を深めていたと言えます。

 そして、こうした基礎研究の積み重ねの上に、鎌倉・室町時代の真言教学興隆を迎える事になります。
 次に、天台宗の安然の説を重視したことについては、当時の真言宗における教学研究が、形成途上にあったという事情が挙げられます。
重誉は興教大師覚鑁(1095-1143)とほぼ同時代を生きた人物です。つまり、重誉が生きた時代には、後代の学僧が参照するような著作が、まだ限られていました。

 その一方で、天台宗の安然は、弘法大師の著作を熱心に研究したことで知られていました。そのような状況下で、重誉が安然の著作を参照したのは当然だったでしょう。
まず、覚苑の説を重視した点についてです。

重誉の師である東大寺東南院の覚樹(1079-1139)は、日宋貿易船を通じて大陸から最新の仏典を積極的に将来し、門下生と共にその研究を行いました。

当時、遼や宋では密教が盛んであり、その最新の学説に注目することは自然な事でした。覚苑の教学も、そうした最新学説の一つとして将来されたのです。
院政期に活躍された真言宗の僧侶、重誉(?-1143)は、後世において、その学説が批判の対象となることがあります。

その主な理由は、重誉が天台宗の安然(841-915?)や、大陸の遼で活躍した密教僧・覚苑(?-1077-?)の説を重視したことにあるとされています。

しかし、この評価には、当時の歴史的背景を考慮する必要があります。
貴重な資料を読む機会が有るのは、本当に嬉しい!
頑張って毎日少しずつ翻刻を進めるぞ。
聖教資料を読んでいるのだが、これは発見があったかも!
きちんと現代語訳を作らねば~
飛鳥時代は、まさに三論宗の時代!