迷信深い男
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迷信深い男
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映画館、酒場、コンサートホール、本棚。
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🎬『わたのはらぞこ』@シネ・ヌーヴォ
現実の上田市の風景の中に主人公ヨシノの幻想的な体験を挿入する構成の本作。来訪者と「土地の記憶」が密接に呼応する。そのときスクリーンに映るのは「土地と人との共鳴」であり、これは本作の製作過程とも見事に重なっていた。
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🎬『陸軍中野学校』@シネ・ヌーヴォ
スパイになった市川雷蔵。脇役のはずだった白川真由美も、いつの間にか諜報戦に巻き込まれ、本筋のドラマで重要な役割を果たしていく。
一方通行のドラマが双方向のドラマになり、その2本の線がぶつかり合った時に悲劇が起こる。

陰影深い照明によって造形されたモノクロ画面が、肌の白さを映えさせて、この女の一途な愛情と絶望の深さ、そして、一転して蘇った希望の光の残酷な輝きを、胸に迫るものとして痛切に訴えかけてくる。

冷徹な雷蔵ももちろんいいが、本作では、愛する男の行方を追い続け、やがて国家の諜報合戦の犠牲になって死んでいった白川真由美のはかない美しさに最も心奪われた。
🎬『教皇選挙』@kino cinema心斎橋
主人公ローレンスのやることなすこと、なかなか本人の思惑通りにうまく運ばない。周囲からも正当に評価されない。
首席枢機卿としての普段の雑務もそうなのだろうと想像され、その報われなさを自分の日常と重ねてみたりしてちょっと切なかった。

しかし、一人の修道女が「自分には目も耳もある」と宣言して、被害者面したローレンスとすべての男たちに冷や水を浴びせかける。
彼女たちは、女性であるという理由だけで枢機卿にはなれず、当然教皇選挙にも参加できない。
ローレンスも自分も、結局は何も見えていなかった。
やはりここでも、ジェンダーの問題は一番後回しにされているのだ。
🎬『BAUS 映画から船出した映画館』@テアトル梅田
物語も最終盤を迎えると、この映画が鈴木慶一演じるタクオ一人の回想ではなく、亡き娘ハナエとの対話の中から生まれてきたものだと分かる。
そのハナエを演じる橋本愛の横顔の美しさといったら、天上に存在するとはこういうことかと十分に合点がいくほどで、真っ赤なドレスを着て映画館の中を走り回る少女時代のハナエを追いかけることが、この作品を観ることの本質だったのかもしれないと空想したくなった。

吉祥寺バウスシアターが閉館しても、映画は終わらない。
エンドロールが消えても、この映画は終わらない。
僕の心の中ではまだ、真っ赤なドレスの少女が走り続けている。
🎬『恋脳Experiment』@第七藝術劇場
上映後、祷キララさん登壇。

美術大学を描いた学園ものとしてまず面白い。在学中に認められなければ将来がないというプレッシャーの中で、様々な分野の創作活動に学生生活を懸ける。居酒屋でつるんでは、いっぱしの芸術家気取りでお互いに批判し合う。結果が出なくても、自己中心的でも、好きなものに情熱を燃やしている若者たちは問答無用で格好いい。

恋人にふられて落ち込んでいた主人公が、やもたてもたまらず街灯の下でスケッチを始めるまでの課程が光溢れるシーンとして描かれていた。好きなものに情熱を燃やすこと。それは、新しい自分を創造し続けるための大切なエンジンでもある。
🎬『いきもののきろく』@第七藝術劇場
上映後、井上淳一監督、永瀬正敏さん、ミズモトカナコさん登壇。

映画から喚起されるイメージは震災と原発事故だけではない。映画完成後も世界中で絶え間なく続いている災害や戦争やジェノサイドのイメージまでもが、あたかも撮影当時から視野に入っていたかのようにまざまざと脳裏に浮かんでくる。

色のないモノクロ映像。声の聞こえない台詞。圧倒的に少ない情報量だからこそ、寡黙な映像と音声だからこそ、僕らが積極的に関与することで、自分だけの様々な物語で自由に彩ることができる。

そして、まるでこの表現を選択したのはこのためだったかのように、奇跡のように美しい雪が降ってくる。
🎬『逃走』第七藝術劇場
病室での桐島の回想という構造を採用しながら、逃亡生活の内実をドラマとして描き、同時に彼の内面の葛藤を思い切った想像力で非現実的な空想談、ファンタジーとして描写する。映画というメディア独特のこの表現が、桐島の49年間を多面的に造形していて、観客の感性と想像力を刺激する。

死を目の前にした彼は、自らが桐島聡であることを告白した。
国家に対する勝利宣言なのか、かつての仲間への結果報告なのか。その真意は様々に想像できる。
しかし、本作を観た後では「お前は闘争しているか、お前は生きているのか」という、現代を生きるすべての日本人に突きつけられた鋭い問いかけのようにも思えるのだ。
🎬『光る川』@テアトル梅田
映画が始まってすぐ、耳に聞こえてくる木々のざわめき、川のせせらぎ。
目に映るのは、木々の緑、空の青、淵の藍、漆黒の髪。
映画館で観ることでしか得られないヒーリング体験。

少年に課せられたのは、トム・クルーズでも遠慮したくなるようなミッション・インポッシブル。二つの時代をつなぐ媒介者として川を上る、時間を遡る。
山と里。隔絶した二つの世界を愛の力で乗り越えようとして叶わなかった過去の悲恋。時間に積極的に関与した少年の勇気が歴史を変えた。
時間をつなぐ媒介者になった少年は、二つの世界をつなぐ媒介者にもなり、この悲恋の伝承を、邂逅と交流と自由な往来の物語に書き換える。
🎬『ドマーニ!愛のことづて』@第七藝術劇場
描かれるテーマは重いが、表現は時に軽快。過酷な環境にいるはずの主人公が、軽やかに日々を駆け抜けているようにさえ見える。
それでも、人格を否定する暴言と暴力への怒り、それを容認する政治制度と社会風土への憤りは、ラストのカタルシスへの期待感と共にふつふつと湧き上がってくる。
このあたりのバランス感覚が見事。目を背けたくなるようなDVのシーンも、幻想的なダンスシーンのように処理されていて、嫌悪感一歩手前で何とか均衡を保っている。

世界を変えるために一歩踏み出す大切さを示してくれたデリア。期待値を遙かに超えるクライマックスに身体の震えが止まらなかった。
🎬『Underground』@シネ・ヌーヴォ
チリンチリン。
マリンバかトライアングルのように美しく響いていた音の正体がサンゴの化石がふれ合う音だと気付いた瞬間、目が覚めたように心の視界が開けた気がした。

サンゴの化石は死の象徴。
死がふれ合い、死が響き合う。

生命誕生以来どれほどの死がこの地球上に降り積もり、地下に堆積してきたことか。死の堆積の上に生はあり、その生もまた時間と共に死の堆積の一部になっていく。
歴史のこの必然に全く絶望感はない。
家事をしたりストレッチしたり、その日常もまた死の一部である。ただそれを受け入れ、死んだ鹿の角で遊ぶシャドウのように、生と死の間で戯れるだけだ。
🎬『タイムマシンガール』@シアターセブン
上映後、木場明義監督、葵うたのさん、安川結花/惡斗さん登壇。

びっくりしたら42分間タイムスリップするというアイディアが秀逸。これがちょうどいい時間で、ちょっとしたいいことが消えてしまったり、ちょっとした失敗をなかったことにしたり、とても身近な展開で共感できる。

びっくりさせた方もタイムスリップする、もしくはどんなに近くにいてもびっくりさせていない人の時間はそのままという設定も、温かい終盤に効いてくる絶妙の仕掛けだった。

あと、プロレスを馬鹿にした先輩にキレるシーンは、かつて前田信者だった僕にとって、40年近くタイムスリップしたようで胸熱だった。
🎬『ナマズのいた夏』@シアターセブン
上映後、中川究矢監督、架乃ゆらさん、松山歩夢さん登壇。

釣りもサッカーもバーベキューも、面白いのか面白くないのか分からないような中途半端さで、さらに登場人物たちのなんとも煮え切らない優柔不断さも相まって、夏の午後のけだるい空気感がやけにリアルに伝わってきた。

ところが後半、立て続けに起こる事件や悲劇や秘密の暴露で流れが急変。油断して緩みきっていた感情も沸騰し始める。

過去は変えられない。そんなことは百も承知の上。
でも少しだけ顔を上げて明日に期待することができたら、それだけで十分。
決して眩しいほどの光は放たないけれど、彼らの若さがうらやましかった。
🎬『ラジオ下神白』@シネ・ヌーヴォX
歌を聴くと、歌を歌うと思いだす。大切な人、大切な時間。目に見えないもの、触れられないもの、それでも確かに存在するものによって僕らは力を得ている。

強くなりたいと思った。どんなに辛い目に遭っても、どんなに苦しい思いをしても、決して譲れない大切なもの、誰にも奪われない魂の自由を持ちたいと思った。

この場所で暮らすことは誰も望んでいなかったはず。それでも、無機質で冷たい団地の階段や廊下にさえ、また新しい物語が染み込んでいく。

残酷な自然、無慈悲な神に向かって、拳を突き上げ言ってやりたい。
人間はしぶといぞ、そう簡単に根を上げたり、人生を諦めたりしないぞと。
🎬『イェンとアイリー』@ABCホール
[第20回大阪アジアン映画祭]
上映前「TAIWAN NIGHT」と題して、台湾出身の監督、俳優が登壇。
上映後、トム・リン監督登壇。

美しい画面。
ショッキング且つ美しすぎるオープニングから、しっとりした質感の官能的なモノクロ映像に、終始うっとりと魅せられる。

刺激的な音。
痛々しいビンタの応酬がなぜか小気味いいビートを刻んで、ジャズのセッションのような音楽性を惹起させる。

印象的な鏡。
主人公が見つめる鏡の向こうには何が映っていたのか。
名前の違うもう一人の自分か。はたまた、どんなにいがみ合っても憎み合っても、決して消すことのできない母の面影か。
🎬『サバ』@ABCホール
[第20回 大阪アジアン映画祭]
上映終了後、マクスド・ホセイン監督登壇。

主演のメヘザビン・チョウドゥリが素晴らしい。感情豊かに映画の中を駆け抜ける一方で、複雑な心情の揺れも繊細に表現する。

鉄道開通のニュースで都市の発展を描きながら、貧富の格差の拡大からも目を背けない。国の状況を物語の背景として上手く生かしていた。

バングラデシュも日本も、国は違えど変わらないのが介護者の孤独。『虹のかけら』でも描かれていたように、家族の負担があまりにも大きい。
社会資源に簡単にアクセスするための情報開示の徹底とケースワークの充実が課題である状況はどうやら万国共通のようだ。
🎬『朝の海、カモメは』@テアトル梅田
[第20回大阪アジアン映画祭]
韓国の寂れた漁村の話なんてなかなか日本人には理解できないし、興味も湧きづらい。しかし、そこにも当たり前のように人の生活はあり、喜びや悲しみもある。
日本での劇場公演は難しいかもしれないが、こういう作品と出会えるのがこの映画祭の楽しさ。

保険金詐欺の顛末を縦軸にしながら、人々の日々の営みと様々な社会問題を取り入れ、血肉にして、彩り豊かな物語が展開する。
韓国固有の問題やこの地域特有の事情も目新しくて興味深いが、全く知らない土地、全く違う環境で生きる人々の中に、共感できる感情が確かに息づいているという事実に最も心動かされる。
🎬『Good Luck』@テアトル梅田
[第20回 大阪アジアン映画祭]
上映後、足立紳監督、足立晃子プロデューサーの舞台挨拶あり。

カメオ出演的に二役、三役で登場する剛力彩芽と板谷由夏の存在感が特筆もの。

剛力彩芽はさすがの美人女優のオーラ。画面を輝かせ、切ない展開を吹っ飛ばしてしまった。

映画館の支配人として登場した板谷由夏は、初対面から主人公の天然パーマをイジるというまさに天然の失礼キャラを溌剌と演じていて、この人本当にそういう人なんじゃないかと、思わず引いてしまうほどの貫禄だった。
彼女を主人公にしてこの別府ブルーバード劇場を舞台にしたスピンオフ映画、誰か企画してくれないかな。
🎬『虹のかけら』@シネ・ピピア
坂厚人監督、篠崎雅美さん、谷口勝彦さんによる舞台挨拶。

母娘が暮らす家の玄関のガラス戸が素晴らしい。
徘徊する母を放置した娘の前に、帰って来た母親と保護した警察官のシルエットが現れる。ガラスには、苦痛の日々の継続が残酷に刻印されている。
一方、ラストシーンでガラス戸の前に現れる別の二人のシルエットは朝に光に反射してキラキラと輝き、太陽の暖かさまで感じられる。
娘の心に寄り添いながら変化した僕の心象風景が、同じガラス戸に映ったシルエットの印象の違いとしてありのまま投射されている。

スクリーンを通して観ているのは実は自分自身であるということを強く意識させられた。
🎬映画監督チャン・ゴンジェ 時の記憶と物語の狭間で@シネ・ヌーヴォ

無軌道ゆえの純愛を自分語りのように描いた『十八才』。
モキュメンタリーとフィンション。二つの映画が呼吸を合わせる『ひと夏のファンタジア』。
破れ目や裂け目を恐れないからこそ輝くラブストーリー『眠れぬ夜』。
リアルな時の流れに夢や幻を挿入して死のイメージでラッピング。最後には明るい色のリボンで結んで爽やかな余韻を残す『5時から7時までのジュヒ』。

時間芸術でありながら、伸び縮みさせたり、点描したり、横断したり、自由自在に時間を表現できるのが映画。
チャン・ゴンジェ監督はこの特質をまるで魔法のように操って僕らを翻弄する。
🎬『その人たちに会う旅路』@テアトル梅田
[第20回 大阪アジアン映画祭]

昨年、一昨年となかなかタイミングが合わなかったが、今年は9作品観る予定。どんな映画に出会えるか楽しみにしている。

一作目のこのファン・インウォン監督作品から、腹の底にずしんと残るような力作で余韻も深い。

韓国でも広がりを見せた#MeToo運動を題材ににして、過去の記憶が変容していく恐怖を描いている。

テーマは重いが映像はスタイリッシュ。監督こだわりの二人で本を読むシーンも美しかった。
🎬『バッドランズ』@シネ・ヌーヴォ
流れてきた音楽を聴いて初めて、大好きな『トゥルー・ロマンス』が本作へのオマージュであることに気がついた。

ただ、同じ男と女の逃避行を描いても、その印象は似て非なるもの。『トゥルー・ロマンス』にあったロマンチックな希望は本作にはない。あるのはすべてを覆い尽くしてしまうような圧倒的な虚無。

どこまで行っても空虚な荒野が続くだけなら、人でも殺さないとやってられないとばかりにあっさりと引き金を引く男。それを他人事のように見つめる女。

そんな異常な旅程を、なぜこんなにも美しいと感じるのだろう。
映画が狂っているのか、それとも僕の神経がおかしくなってしまったのか。
🎭『蒙古が襲来』@京都劇場
東京サンシャインボーイズ 復活公演

どこにでもいる市井の人々が、とことん追い詰められた時に火事場の何とかのような力を発揮して危機を乗り切ったり、普段は恥ずかしくて口にできないような堂々たる正論で周囲の揶揄や嘲笑を一括したりする。
この胸をすくような瞬間の快楽が、これまで三谷幸喜と彼らが作り上げてきたドラマのクライマックス。

凡人にだってヒーローになれる日がある。
たとえ今日じゃなくても、いつかそんな日が来るかもしれない。

人間の可能性へのこの深い信頼感を共有していなければ、第一線で活躍し続けているこれだけのメンバーが30年ぶりに集結するなんてことあり得ない。
🍺サル食堂 バルチカ03@梅田
いつもは行列ができているサル食堂にタイミングよく入店できた。初訪問。

まずは夜の定番という串トンテキ。ボリュームは感じるがそれほどしつこくなく何本でもいけそう。
名物ビーフカツは、塩、わさび、ガーリックソースが用意されていて、色々な味で楽しめる。
自家製ハムの洋食堂サラダは人参ドレッシングとハム、玉葱の相性がバッチリで食べ飽きない味。

ビールの後はワインを注文したが、こんなワインの注ぎ方見たことない。なんと日本酒のようなもっきりスタイル。

すべての客に目配りできるくらいにスタッフも充実していて、注文にストレスがないのもよかった。

ごちそうさまでした。
🎬『ケナは韓国が嫌いで』@テアトル梅田
周囲への違和感を飲み込み続ける人生なんてもうまっぴら。
過去をふりきって新しい未来へ旅立つケナの行動力を眩しく見つめながらも、チャン・ゴンジェ監督は果たしてそんな単純な自分探しの物語を描きたかったのだろうかと懐疑的になっている。

印象的な時間の行ったり来たりによって、ケナの生きた時間が、現実と夢の境界さえも越えて、すべて現在進行形として等価に描出されている。

別の未来を選択した現在の自分。それを形作ったのは過去の時間の積み重ねでしかあり得ない。

スーツケースからバックパックへ。
詰め込む荷物は少なくていい。過去の時間はいつもケナと共にあるから。