Nui
@speranza17.bsky.social
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目を覚ましたら本の街だった30でこぼこ/目指すは健康と良い人生🫖📚
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明日また会社なのやだなー、攻殻機動隊の一瞬で酒が抜けるギミックが羨ましい。ミラグレーンとウルソデオキシコール酸と五苓散をパクパク飲んでもそう上手くはいかないものね…。
酒をニャオニャオ飲んでいると活字は読めなくなるけれど鍵盤には強くなる感じがする
働く以外の道がない、なぜなら他にないので
あかん、飲みすぎたかも
前職の同期から送られてきた中国版の『吾輩は猫である』。うぉーしーまお。わたし神保町の民ゆえ、珍しい本それなりに持っているのだけれど、わがねこのラストで猫が死ぬのがどうしても許せないからという理由で書かれた猫生存ifもののかなり古い2次創作(きちんと出版されているが時代的にISBNコードがない)を持っている…。
ガーリックフォッカチオにモッツァレラチーズとトマトとハモンセラーノを挟むと美味しい
サイゼで赤ワインとプチフォッカを食べることを聖体拝領、サイゼに行くことをミサと呼んでいたのを最近やめた。めちゃめちゃお世話になっている上司がクリスチャンだったと知ったので。私は愚かだから、これまでそうやって他人の大事にしているかもしれないものを沢山茶化してきたのだろうし、これからも知らない間にだめなことを沢山しちゃうんだろうなと思う。賢くなりたいな。
ボッティチェッリやフラ・アンジェリコの名画を楽しみながらイタリア料理が食べられる、都会にしかないハイソなレストランでブランチですわい(地元に1店舗だけ進出したときには首相交代並みにそれが報道されていた)。
先生の真似して使ったことなかったオレンジのアイシャドウを使ってみたら、思いのほか似合ったのでリップも買っちゃおってなっている。チョロいオタクなので勝手にこの世に供給を見いだしては散財してしまう。
少しおめかししてロシア料理を食べてきました。
多分これって別に私に特有の話ではないんだろうな。地域をまたがってはいなくても、どの他者の言い回しを取り入れるか、同じ意味ならどの語を選択するか、みたいな所で意識的にか無意識的にかみんな自分の言葉を作っているのだろう。同じ標準語でも、この人の話し言葉がめちゃめちゃに好き、ということや、その逆があるのは多分そういうことなのだろう。
私の喋り言葉は大分をはじめとして広島山口愛媛大阪といろんな都市のチャンポンで、転校の度に使うべき方言が変わる中、選べる部分についてはなるべく自分で選んで作ってきた。関西弁のような敬語表現を持たないのがネックだなあと思いつつ、標準語を話してたまるかよ、という気概でもって毎日無限に訛り続けている(極めて丁寧な標準語は敵対するときか初対面か緊張した時に出てくる)。
普段極めて公的な場にて「私」を主語に発話していたじいさんが、腹心の部下と話すときには「ワシ」を一人称に選んでいた…というのは、同郷の民として胸がギュッてなる話。
大分年配男性界隈というか地元男性界隈では同年代でも「わし」はそれなりに健在という感じがする。なんというか「おれ」では粗野すぎるかなと感じても、「僕」は関西のような感覚では流通しておらず(へりくだりの色が濃いイメージ)、「私」もまた標準語への謎の忌避感からなんとなく使いづらい。そんなとき、「私」を音便化させた「わし」がしっくりくるのでは、という感覚。私の弟もたまに使う。
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>首班指名選挙で自民党が自分への投票で話をまとめたことを知らされておらず、水面下で自社さ政権成立に奔走した側近の野坂浩賢に「わしが当選したらどうするんじゃ」と言った。(Wikipedia日本語版「村山富市」記事より)

一人称が「わし」で語尾が「じゃ」の村山富市、老人のイデアすぎる
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この電脳藻屑さんによる阪神・淡路大震災のときの村山内閣の動きについての検証、単にネットではびこったデマを否定するだけでなく、阪神・淡路大震災という災害そのものがどれだけ巨大で、それに対処するうえでどんな困難が立ちはだかったのかを実感することもできるので、読むといろいろ得るところが大きかった
私、頑張って働こう、とても悲しい
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霞が関で派遣やってたとき唯一すれ違った国会議員が村山富市で、あってなった私にいやあどうも、とSP連れて挨拶していった姿があまりに好々爺で、あ、これは選挙も強かったろうなって思ったんだよなあ。村山富市が首相のときは災害もあったが、よく乗り越えてくれました。ご冥福をお祈りします
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社会民主党の初代党首で、自社さ連立政権で総理を務めた村山富市さんが101歳で亡くなったとのこと。ご冥福をお祈りいたします。

1995年8月15日に出された、戦後50年の村山富市首相の談話(村山談話)の全文をシェアします。

1995年の村山富市首相の戦後50年談話〈全文〉 「植民地支配と侵略に対し痛切な反省、心からのお詫びを表明」
www.tokyo-np.co.jp/article/441750
2025年10月10日 東京新聞
1995年の村山富市首相の戦後50年談話〈全文〉 「植民地支配と侵略に対し痛切な反省、心からのお詫びを表明」:東京新聞デジタル
1995(平成7)年8月15日に出された、戦後50年の村山富市首相の談話全文は以下の通り。  ◇  ◇「戦後50周年の終戦記念日にあた...
www.tokyo-np.co.jp
製作者がどんな文脈を思い描きながらこれを作ったのか十分に聞くことは出来なかったのだけれど、私なら「うるさいから」とか「単に邪魔だから」とかで閉じこめられるのが一番嬉しい気がする。
ゼミの先輩に連れて行ってもらった展示会で檻の中に入ったときの写真が出てきた。めちゃめちゃ懐かしい。かなり居心地がよかった。皆さんに一度は入っていただきたい檻(なとりのチーズおつまみ風)。
図書館地下の亡霊だった頃見付けた棚の写真が出てきた。番町皿屋敷さながらのボロボロ状態で「原典が見付からない…出典がわからない…」と半泣きで電動書架を動かしたらこの光景が広がっていて、すごく綺麗でちょっと動けなくなった覚えがある。一体これは何の棚だったのか…。
競馬大好きおじさんに秋華賞の狙い目も聞くけれど、こちらは競馬大好きなだけであって予想に強いわけではないからあてにならん。