しろいくま
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しろいくま
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静かなものが好きです。
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加湿器を稼働させた。
長い冬の始まり。

おやすみなさい。
年末のマラソンにエントリー。
やれやれ、自分が走るようになるなんて。
寝起きに喉が痛い。
今夜から加湿器を稼働させよう。
結局トラブルは解決せず明日に持ち越し。

週明けからどたばたと疲れた。
さて、おやすみなさい。
煮込みハンバーグ
おいしかった……
いい天気と思いながら出勤してみればトラブルが起きていて、年上男性が「松下電器から!」と取り次いでくれたのにふふっとなりました。週明け。
よく冷えた朝。
昨日木枯らしが吹いたのか。
もう冬だなぁ。秋は短かった。

先週のこともあって仕事したくないなぁ……と思うも、行くしかないしな。
ぼちぼちやります。
今日は美しい海が見られて本当によかった。

機嫌が悪いってなんだろう、と考えた週末でした。
逆の立場なら機嫌よくいられるのでしょうか。

さて、おやすみなさい。
あまりに死者が多すぎて、そして生き延びた人は生きることに必死で、死にゆく人や遺体がまるでモノのように扱われていたこと。
その一方で、そんな最中でも人の死として弔おうと尽力した人たちがいたこと。
死にゆく人たちに名前や本籍地を尋ねて周り、用紙に残した少年特攻兵達のこと。

長い年月の後に遺骨を引き取り、また引き取りを拒否した方達のこと。

胸に刺さって抜けない本です。
帰路、読了しました。
言葉にならない。すごい取材量です。

ニュースで目にする原爆死没者名簿が慰霊碑に奉納されていることに何の疑問も抱きませんでしたが、政治的な問題がそこにあったこと(公園に遺骨を納めた墓は建てられないこと)、平和記念公園内に遺骨を置くことは認められないと跳ね除けた東京の官僚。それをねじ伏せたのもまた、東京から広島に赴任してきた官僚であったこと。

原爆供養塔には未だ4-5万人の遺骨が眠っていること。(それは私の生まれ育った市の人口を越えるし、そのことを思うと何の言葉も見つからない)

日本人ばかりでなく、日本人として生きた外国人もそこにいるだろうこと。
日が落ちて山の端が金色に光っている。

青々ときらめく海を見て、金色の山の端を見ていたら、もういいんだよな。と納得した気になる。
うつくしい。と口を衝いてでるくらい美しかった。ほんとに。
雲ひとつない晴天。
食後のデザートにクレームブリュレをつけてしまった。
たまにはいいのです。おいしかった。
Reposted by しろいくま
金刀比羅宮の襖の虎さん。妙な可愛さがある。
安らかに眠れというけれど、安らかになんか眠りようがないんよ。

(中略)

生きている人はね、戦後何年、何年と年を刻んで、勝手に言うけどね、死者の時間はそのまんま。あの日から何にも変わってはおらんのよ。年を数えるのは生きとる者の勝手。生きとる者はみんな、戦後何十年と言いながら、死者のことを過去のものにしてしまう。死者は声を出せんから、叫び声が聞こえんから、みんな気付かんだけ。広島に歳はないんよ。歳なんかとりたくても、とれんのよ。

堀川惠子『原爆供養塔』文藝春秋(2018年)、pp.200-201
考えてみんさい。目の前に、その山があれば、少しは死者の気持ちも伝わるのかもしれんけど、誰も想像もせんでしょう。あそこにちるのはみんな、殺された人たちなんよ。死んだんじゃない、殺されたんよ。あの日、どうして自分が魚のように積み重ねられ、油をかけられ、焼かれんといけんかったのか、分からんまま眠っておられるんじゃから。

(中略)

今じゃ、みんな広島の中心は原爆慰霊碑じゃと思うとる。そりゃあ無いよりはましじゃけど、本当は遺骨がある場所が広島の中心よね。みんなあそこを平和公園というけれど、本当は平和な場所なんかじゃないんよ。静かでのどかな場所に見えるけど、供養塔の地下室は、あの日のまんま。
原爆供養塔の墓守をし続けた佐伯敏子さんについて語られる本なのだが、佐伯さんはご親族21人を原爆で亡くされている。佐伯さんの親族ばかりでなく、佐伯さんがその目で見たそれぞれの死は、単なる数ではなく、その人たちの話として語られる。

最晩年の佐伯さんは、遺骨収集作業を取材して衝撃を受けたという著者にこう言う。

"
--似島だけじゃない、まだまだ遺骨は広島の町のあちこちに埋まっとるんよ。供養塔だって外から見たら何も分からんじゃろう、あれと同じよ。最近じゃあ、(原爆死没者が)二〇万と簡単に言うけれど、二〇万人もの死体を集めてみんさい。言葉は軽やかに二〇万というけれど、どれだけの山ができるか、
旅の道中は本当に本がよく読める。
積読からこれを持ってきたのだけど、辛くて辛くて仕様がない。
原民喜のお墓にお参りした時、墓石に原爆死と刻んでいた家もあって、その言葉を石に刻んだご遺族の想いはいかばかりだったかと考えると、本当に。
まぁ、これも旅の醍醐味か。
ぼんやりしていたら降りるべき駅で降りそこた……。
色々もやもやするので、いつもより長めに走ってきた。

晩御飯はグラタンにしよう。
10月の忘れ物だな。