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日々考えていることなど
作家性もそうだが、人間と情報(や作品)は別物として分けて考えるべきだと思う。情報は無垢な記号でしかない(はず)。
なかなか分離しずらいけれど。
October 15, 2025 at 12:31 AM
「スナフキン以上にミィの流されなさ」その強さがあるという指摘は、ミィはスナフキンの異母兄弟の姉だという出自を知っていれば納得できること
October 2, 2025 at 11:36 PM
「消えたい」と言っている人を見かけるが、それは判断が足りていない状態ではないか。判断すれば対象は図となって描像化し、自分は背景となって潜在化する。
ゆらぎの状態(未然の対象とのもつれ状態)が長引くことで図と地が不明確なまま、あてどなく漂流している。
October 2, 2025 at 11:30 PM
現代社会において自分と異なるものと出くわした際に、「たとえ驚いてもびっくりするな」と言われて、驚かないよう努力させられている、そういう圧力を感じることがある。
世界はワンダーに満ちているはずなのに、人間社会では純粋な驚きであっても黙して封印しなければならないのだろうか。それによって得られるもの、失うものはなんだろうか。
September 27, 2025 at 8:31 PM
「巨人の肩の上に乗る矮人(小さな人)」とは、膨大な先人の知識を礎に今の我々は学問や研究ができているにすぎない、というたとえ。12世紀のシャルトル学派、ベルナールの言葉とされる。
同様に、今・ここを感じたり考えている自分の意識も、膨大な記憶と潜在意識の上に成り立つ小さな存在でしかないと思う。
July 5, 2025 at 8:59 PM
言葉にすると当たり前な「AはBだ」、を人は経験を通して再認識する。ぐるっと回ってしみじみとAはBであることの重要性に気づく。
その感慨を忘れたり思いが希薄になると、またぐるっと回って気づき直す。このサイクルが短すぎる人はなかなか次のステップへ行けず、いつも同じ悩みに陥りがち。
June 11, 2025 at 8:03 PM
世の中の出来事や起こり得ることは、すべて条件や環境や個別の性質による。だとすると何に対しても正当性のある発言など不可能になってしまう。
そこを越えて、相手や状況や表現を選びながら、もっともらしい的確な  論を打ち出せるかどうか。
May 14, 2025 at 12:23 AM
DEI(多様性・公平性・包括性)の排除がトレンド(言い方は良くないが)になっていくのだろうか? 個性は再び並列化され、ひどくは全体主義へ傾斜するのだろうか。
国連も機能麻痺に陥っている。この先数十年で解体されるようなことが起きなければいいのだが。
May 8, 2025 at 3:41 AM
例えば哲学書を思い切り誤読した上で自分の好きなように取り上げて自由に自分の論調を振り回す、そんな行為は悪徳なのだろうか。楽しそうではあるが。
May 4, 2025 at 11:26 AM
ジャン=リュック・ナンシーの3冊を斜め読み。『肖像の眼差し』『無為の共同体』『訪問』。読み解くというより詩として。
May 4, 2025 at 5:57 AM
コンディヤック『論理学』古い名著と思いきや初邦訳は2016年だという。悪しき習慣つまり自己流の想像でものの成り立ちを補完してしまうことを避け、観察し、順を追ってことの真偽を吟味し、分析すべきだと説く。精確な言語の使用による推論の技術の向上を勧めている。
May 2, 2025 at 1:53 AM
祭壇に手を合わせながら無心になろうとしている時、ふわっと浮かんでくるものがある。ゆらいでいる完全無秩序な場から生成された秩序である。
May 1, 2025 at 4:01 AM
Reposted by sama
空を見たり緑を見れば自然の文脈、建物や電線や道路を見れば人間の文脈がわかる。 #詩作
July 24, 2024 at 11:01 PM
非暴力・脱暴力を支える暴力というものがある
暴力をつかんでいるその手の握力こそ恐ろしい
暴力自体は純粋で無色無臭なものかもしれない
April 26, 2025 at 10:10 AM
既視感はてんかんによって起こる症状の一つと解説されていた。反対に言えば、既視感に襲われるとき我々は軽いてんかん発作を起こしていると言える。
April 22, 2025 at 9:24 PM
情報や発想をストック → 使わないまま埋もれる → 忘れる・放置
これはと思ったものはなんらかの形で早めに出力しておきたい。
外山滋比古はストックしていったん忘れる必要性を説く。潜在意識が働くならそれがいいかもしれない。再び見返すことで冷静な良し悪しの判断もできる。要はストックしただけで安心しないことだろう。
April 22, 2025 at 8:44 PM
スロープと階段
人間の知覚は階段状なのだが、大脳が補完してスロープとして認知する
…スロープや階段を歩くたびにそのことを考える
April 19, 2025 at 3:10 AM
『燃えつきた地図』安部公房のデンドロカカリヤなどの系譜(奇妙な寓話)とは異なる方、密会に近いか(奇妙なリアル)。
表現も面白く、とつとつとして読みやすい。秘密の日記を読んでいるようでもある。
April 12, 2025 at 10:03 PM
AIに学習されるのを極度に嫌うのも、一種の主義・思想の類に入る気がした。
そこで守られるものは何か? 真のオリジナリティなんぞ存在しないのに? と、つい嘲笑的になってしまうけれど、その人の思想は自由だ。
April 2, 2025 at 8:57 PM
言語による区別が遠回りして差別につながってしまうリスク。
具体的には日本語の敬称がある。さん、くん、ちゃん、氏、先生など。呼称が人を縛る。→英語のように下の名で呼びつけを慣行すればいいのだろうか。→一見合理的だが、文化的・情緒的な何かを歪められる危険もある。
サービス業で呼びつけにされる世界を想像すると面白いが。
April 1, 2025 at 9:31 PM
「自分の視点ではそれはなかった」という気づきさえも、また自分の視点で見ているにすぎない。テーブル(場)や料理(事象)が変わっても、自分という器(認識の仕方)は変えられない。
March 28, 2025 at 9:57 PM
あらゆるところに場というものが存在する。私たちはその影響を受けると言ってもいいし、自分たちが勝手に出っ張ったり引っ込んだりしているのに、そのような強制力を場に感じてしまう先回りが私たちの中で起こっているとも言える。SNSなども然り。
March 19, 2025 at 7:20 AM
幻想や虚無と言うものの、それを見ている視点がある。
視点から伸びた線が(支点を得ながら)幻想や虚無とバランスをとっている。
完全な幻想や虚無というのがあるのなら、それを認知する視点もないはずで、これは矛盾する。
March 16, 2025 at 12:38 AM
ネットや仮想空間で「自分の後ろ姿を見る」電子的ドッペルゲンガー。ネットの拡散スピードが自分を追い越して一周してくる。
自分が落とした種(コンテンツ)によってもたらされる。
March 8, 2025 at 10:22 AM
何かを語ったり定義しようとすると矛盾に陥る。前提や条件が要る。
自己矛盾こそが自己であり、自己とはすなわち自己矛盾であろう。
February 27, 2025 at 4:08 AM