ポラン@ゆっくり実況者
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この世には一定数、パスワードを忘れるたびにアカウントを作り直している層がいるように見えている。
ストレスになるとは別に、静寂を求めるという感情は、なんとなく無い気がする。
犬や猫には、「うるせ~~~」って感情はあるのかな。
遠くに行く用事でイヤホンを忘れてしまい、近場の電気屋で6000円ぐらいのイヤホンを調達したとき、不思議と少し大人になった気がした。
Reposted by ポラン@ゆっくり実況者
という話を、先週からずっと考えています。そこから、無物質なものエンターテインメントを可処分所得を注ぐ現代人の在り方や、著作権法という法治主義ではなく、大勢で雌雄を決す曖昧な構造の限界、悪化が良貨を駆逐してきた食産業、"伝統芸能"と大量生産の歩みなど、どんどん考えてしまうので、むしろ全てを見なかったことにして、考えないようにしている。もう世が転ぶ方向に、身を任せます。人類と一緒に奈落に落ちる。
しかし、お気づきの人もいると思うが、ここまでの話は、さんざん批判の対象とされてきた体制派、権威主義の国家運営そのものである。21世紀というのは、こうも暗い時代なのなのかと、唖然している。
しかし、自由を後退させ、準監視国家を作るしか、もはや人々は何かを信じて生きることは難しいのではないかと思っている。もし動画や画像というものが、信じるものに値しなくなったときは、それはコンテンツを楽しめないだとかそういう次元ではなく、人類としての、信じることや考える能力そのものが危険にさらされるのではないかと思っている。
つまり、インターネットはもはや、自由に人間が扱えるほど、小さな力ではなくなっている。人間から、SNSか、生成AIのどちらかを、取り除かなければならない。しかし、ソフトウェア(生成AI)の禁止という手段が現実的ではないことは、今までも散々知らされてきているはずだ。
つまりは、情報発信という絶対的な力を、何かしらの仕組みに組み込み、秩序ある運用を目指さなければならないのではないかと思う。そのうえインターネットには国境がないので、国内法で管理できる形に組みなおさなければならない。簡単に言えば、海外からの通信をシャットアウトするということだ。
しかし、高度な動画生成AIによって、いまや全ての日本人が、人々を騙すのに最高のツールを手に入れている。画像と動画という、人類が信じる基盤とし、物事を考えるため、何かを知るためにも、あらゆる真実の基盤に置いてきたものを、1秒で無効化する武器を手に入れた。SNSと、生成AIという、二つの装置が揃ったことで、日本国民の1億2000万人が、リスクなく、世を混乱させる力を、平等に手に入れた。
繰り返すが、人間は秩序のために、巨大な力には規制を用いてきた。私はインターネット、特に巨大SNSプラットフォームにおける情報発信なるものは、もはや厳しい規制の対象になっているのではないかと思ってしまっている。
20世紀までの情報発信とは、今でいうところオールドメディアの独占状態にあった。情報発信とは特権階級であり、それだけに強力な力だった。しかし、いまやインターネット、特にSNSにおいて誰もが発信を可能とした。そこには放送免許も、出版するための巨大な資本も不要である。
そして、今日に至るまで情報発信は違法化されていない。情報発信を規制するなんてことは文字通りの「検閲」であり、憲法に明記されている人類の絶対的な権利、表現の自由」を阻止するなど、到底あってはならないからだ。そうして、なあなあで始まったインターネットは、規制されるどころか、むしろ権利として認められた。
兼ねてより人間は秩序を守るべく、強大な力には規制を用いてきた。そして、多くは免許というシステムによって構造化してきた。
最も身近な免許が自動車だが、自動車はその誕生とほとんど同時に免許により管理を行っている。それとは別に、かつては誰もがアクセスできたが、普及する、または強力化するにあたって、違法化することで秩序を保ったケースもある。
きっと江戸時代には酒造も建築も免許はいらなかったのだと思うが、明治時代には整備が施され、重大なリスクを内包するものを行政の監視下に置いた。最近のケースではドローンであり、黎明期は誰しも自由に扱うことができたのだが、今や免許なしに満足に飛ばすことが難しくなっている。
Sora2のことで頭がぐるぐる回り、何にも集中ができない。数万文字で自分の考えをまとめないと、前に進めないかもしれない。
自然にエンディングを目指せば、実績を全解除してくれるゲームありがとう。
素晴らしいゲームをありがとうございました。
俺的メドレーなるものが本当に大好きなので、最近姿を現してきた音楽アプリのmix機能がうまいこと発展してくれることをとても期待しています。
若いということは本当に凄くて、全く同じ能力でも自分より5歳若いだけで、世の中の評価が完全に変わる。その社会通念を知っているからこそ、己の年齢を盾にした優越感というのは、その非情な現実から自分を守ろうとする、ある種の防衛機制に私の目に映ってしまっている。だから気を付けている。
「今の子は○○を知らないらしい」 「△△が伝わらない世代」 系の年齢を盾にした軽口はしないように強く心掛けている。
個人的に老いるとは恥じてしかるべき、悲しいことだと思っているのに、「若さ」という不可逆で素敵な魅力を、「老いた知識」で勝とうとする姿勢が烏滸がましいから。そのうえ、年齢差というものは埋まることはなく、ひっくり返ることもないので、ずっと自分の武器であり続ける。ずるすぎ。
Reposted by ポラン@ゆっくり実況者
インターネットで「意見」をしている人の大半は前から抱え込んでいることの話を文字列を見て思い出して話しているのにすぎないので、たまに反論されると「自分がずっと抱えているこの気持ちを無視するのか」というケアの問題に自ら掛け違えてしまう。
一応wikiでは、正確な英訳で書かれていた。
"If the fortunes of war betrayed us, and we survived the battle"
"武運が我々を裏切り、戦いを生き残ってしまった。"
en.wikipedia.org/wiki/Yuki_no...
Yuki no Shingun - Wikipedia
en.wikipedia.org
『雪の進軍』の4番、"武運拙く討ち死にせねば"は、「運が悪くて死ねなかった」という皮肉の効いた歌詞なのだが、海外の動画だと、ここを「討ち死にせねば(ならない)」と誤訳したのか、「運命に従い、我々はここで死なねばならない(If the foutunes of war so wish, we must die in battle)」という本来のニュアンスが抜け落ちた歌詞が広まっており、気になる
終電近いの最寄りのコンビニで、何かが満たされぬと、曖昧な答えを求めて老若男女の労働者が店内をウロウロしている瞬間が好きです。私も混ざる。
有効期限が切れたクレジットカードをハサミで切るとき、世のモラルを少し超えた気持ちになる。