黒須 剣
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鹿鳴館のアナグラム
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都合の悪いことには目を瞑り美味しい所だけ楽しむ、そういうのが良いシリーズだろう。でも全部がキレイに繋がったら?それが一番良いじゃんね。だから考えちまうんだ、無駄だとわかってても答えはないとしても。上手くこじつけられれば嬉しいよね。初代がツボだから高橋シナリオに代わってもマックスや子孫が登場する時点で無視できねんだよな。フェーダの硬派すぎる世界の広がりを見るに外伝以降もタマーキ画伯がかかわってたら良かったとも言い切れないけど。フェーダってシャイフォ古代の話だよね?未来の話とされたダクネスが祖先帰りしてるのは…高橋ぃぃ!!
がエンジニアであり、アダムとケイオスも開発しただろうからマックスがシステムに精通してるとしてもおかしくない)と解釈しててなるほどと感心した。初代ではミシャエラはダークソルのパートナーではなく支配されている立場(今際の際に”あの男”呼ばわりしてる)なのでミシャエラが新たな悪魔軍の大将になってるのがこれまた意味が解らない。子を宿すまではあり得ると思うが…いや、既成事実によって大将になったのか。性交渉があったにしては関係性が遠い話しっぷりなので不同意性交?だとしたらダークソルの復活なんか目論むか?というかあの男なんて言う相手の意思を継がんだろ。なんか考える程もうめちゃくちゃだよ!
ゼオンが悪魔王というのならダークソルはその配下という意味合いに取れるけどゼオン含む2の世界観は古代文明の匂いを一切感じずまるっきりの童話的ファンタジーに感じるので水と油なんよな。ミトゥラ神とボルカノンが神として崇められているが初代では偶像的な神は存在しないしゼオンも生体兵器というより思念体の様に見えるし。さるお方の考察ではミトゥラはホログラムで、古代のシステムとして地上の人々を統治しているという説があって、アダムがミトゥラと会話できるのはお互いに交信してるというのが納得性があったが。マックスにしてみればミトゥラってシステムがパルメキアを統治してるのねと理解ってる(マックスに使命を課した人=両親
推敲したら違和感あったので訂正。転職後の顔グラにあるのは喪失感じゃなくて過去を背負った覚悟の面持ち、最後の古代のしがらみ断ち切っての部分も”新天地”で平穏に暮らすのはアリ。関係ないけどファイナルコンフリクトでパルメキアに渡るのは古代人としての責任なのかな?という疑問がある。ミシャエラがダークソルの子を身籠ったことを知って追ったのかダ―クソルの復活を企んでたのを知って追ったのか知らんが古代の厄災がまだ続いていたと感じにくいんよね。悪魔族というものがダークソルの眷属というならリンクス以下の敵将はどこに潜んでたのか居たならダークソルと行動を共にしなかった理由とかその辺を丁寧に描けよとは思う。
時代が違うからって水臭いのを肯定できんの?というハナシだけど、そもそももう滅んじゃった古代文明で帰ることもできない心境ってわかる?ってハナシで。郷愁とか拭いきれないものがあるなかで。マックスは多分齢20強だと思うけど、それまでに経験したことやそれまでの仲間や家族も場所も青春も何もかもがもう記憶にしかない状態って言葉にしがたい心の穴だと思うんよ。はにかむ笑顔(取説参照の何気ない素顔)と喪失感を抱えた翳のあるところ(記憶を取り戻したであろう転職後)が魅力的に見えるんだけどこういう深さがあるのがマックス。古代のしがらみを断ち切って1000年後の世界で幸せに暮らしましたとさ、っていうんじゃ違うのよね。
古代人の蒔いた災厄を古代人自身が始末をつけるという意味で初代シャイフォは私の好きな超文明古代人VS現人類シナリオの中でも特別好きだな。ロマサガ2は古代人が間接的に災厄の攻略法を短命種に授けてそれが奏功した。エタレジェは…端的に顛末を説明しにくいけど宇宙人の始末を人類がつける話。初代シャイフォはマックスが仲間の力を借りつつも最後には一人で全部を背負っていった、それが最高にカッコイイと思うんよ。イチイチ事情を言わないし、言ったところでカインやダ―クソルとマックスの間に誰も入れやしないから。生きてるのを軍勢の誰にも言わないのは水臭いと思われそうだけどそもそもマックスはあの時代の人じゃないからね。潔い
まぁ殆ど不満はないシナリオだけど、七英雄より結局アリが強いという結論はちょっと寂しいなと思う。他は転移した大神官と古代人たちを追いかけて七英雄に代わって断罪編みたいのがあったらスッキリしたのにとか思ったけど、これはエタレジェでいうところのローレンシア編みたいなもんで蛇足であり弱い者いじめだからなくて良かったよなと思い至る。サグザーとオアイーブもその後彼らを見た者はいない…的な最後で良かったと思う。というか個人的に彼らにあまり馳せる感情が湧かないのはなぜだろう。
やっぱ七英雄の事考えてまう。戦犯は皇帝に手を出したクジンシー言われてるな。でもクジンシーがしなくてもワグナスやボクオーンが現代人を支配して云々してただろうから遅かれ早かれだよな。ロックブーケが転移装置と古代人の行き先をもっと早く見つけていたら現代人との争いになってなかったかも…と思ったけど古代人では突破できない塔のセキュリティを皇帝が突破しなければそれも叶わなかったわけで…とか色々ifを考えても結局そうなるのは必然だったという仕掛けがあるのは流石名作っすね、色々考察されるわけだ。。
ロマサガ2舞台あったんかい!すげぇな人気作ってのは。七英雄の物語かぁ、買おうかなと思ったら定価結構いい値だね…からのプレ値!やば。無理してでも観たいけど作中と少し解釈違うみたいで微妙かなぁ。クジンシーがロックブーケにぞっこんとかスービエがスケコマシとかロックブーケがワグナス目当てとか、まぁそういう一面もアリっちゃありかもやけどどうかな。ここでもダンターグだけはブレないというか脳筋は一番えがきやすいキャラよね。ボクオーンの信念(目的の枷になるぐらいなら家族さえも捨てろとか卑怯でも蔑まれても結果を出すべきとか)が見えるっぽい所は興味深いなー。多分主役はノエルっぽい
私も愚痴るときは作者に届かんよう願うしリポされたらブロックする…ただし評論家やパブリッシャーなどの作品にあやかるが生みの親でない存在には一切気を使わないで良いというか意見すべきと思う。
ビジネスとして女体をエロっぽく描くと喜ぶ層と女体強調が嫌だって買わない人とどっちが多いかって話でそれなら多分前者の方が多いと思うのでキモかろうとノイズだろうと売れたら勝ちなんだよな。商売やっててしょーもないこと言われる事いっぱいあるけど、気に入らないなら黙って去れっていつもいうてる。ただお気持ちを吐き出すためのSNSだと思うし問題は個人の愚痴が共感されて拡散される事にあるだけなんだけどね。そうして論争したり作者にクレーム直送ツールみたいな働きになってるのが如何にもマズイと思うんよね。愚痴るんなら拡散され過ぎないように努めればいいけど共感されると気持ちいい寂しい人ばっかなのもSNS。
奇面組は確かにドギツイ下ネタもないし”多様性”に配慮するなら今の時代でもそのまま放映可能な作品だと思うね。昔は何度も再放送されてて幼いころはキャラの極端さに惹かれてたしある程度学年が上がってくるとOPの驚異的なクオリティにくぎ付けになってた。特に時の河を越えて
の曲の時の作画ヤバかった記憶。複数人がチャリ乗って背景動かしながらカメラ回転してる狂気のアニメーションだったような
生き様を描く上で死に対する向き合い方って重要だと思ってて、斬った張ったするゲームなんかでは命が軽い印象になりがちだけど故にカッコイイキャラを生み出しやすい。だから敵側が永遠の命を欲したり支配を維持したりする、根幹に死を恐れる心理がある=カッコ悪い黒幕を演出しやすいのかなと思ってる。私的には”永遠を生きる=変化がない”っていうのはダサいことだという、死を受け入れる=代謝することが生きるっていう意味だと理解をしてる。2作品共に永遠の命と支配を求めた黒幕が存在しており、最もドス黒い悪という立ち位置。ロマサガ2に関してはその黒幕のその後を一切描いていない点が最大の引っ掛かりでそれがアクセントになってる
ロマサガ2は永遠の命について大きくフォーカスしてないし古代人の描写が限定的で想像しかないけど、永遠を生きることをどうとらえているのかすごく気になる。肉体の代替さえあれば魂の限り生きられる、つまり肉さえ壊れなければ死は訪れない。故にタームの侵攻を恐れた。単に武力としてタームに劣るという事実以上に、古代人の心理に”放っておけば永遠に生きられる命をわざわざ戦闘で落としたくない”というのがあっただろうから敗戦に至ったと思う。「チ。」の名言で戦いに勝つ者は殺す覚悟がある者ではなく死ぬ覚悟がある者という様に。七英雄は特異点の集まりだったから英雄足りえたし、存在を恐れられただろうし。
ロマサガ2とエタレジェは似てる確信。永遠の命を持つ古代人の過ちを定命の種が打ち払う構図。同じ作品に感銘を受けて生まれた作品なのかな。私は文学は元より小説や映画に超絶疎いから邪推でしかないけど偶然かもしれないけど。まぁ原典があったところで初代聖剣伝説大好きなのにラピュタに興味ないから見たいとは思わないけど。自分の好きな設定やテーマの傾向があるなぁというしょーもない自己分析
最近ずっと七英雄の事ばっか考えてるな。多分ちょっと頭冷やした方が良いかもしんない。でないと一番気になってるボクオーンの考察が完成しない。他の6人と違った達観と異形化後の活動の違和感に整合性を付けたい。異界に追放された彼は何を望んであんな形になってしまったのか。無敵であるはずの七英雄という属性で麻薬製造と金策による支配は何が目的だったのか。他英雄に認めさせたい承認欲求から新人類を支配しようとしたクジンシーとは違うはず。過去の回想で意味深なカメラワークになるボクオーン、あれは何の感情表現だったのか、を見いだせればわかりそうなんだよな~
ワグナスが一番この世に対して憎しみを持ってるだろうし無念を抱えていたと思う。なのに、結局異形化して目的や性別さえもわからない存在になってしまった。彼に対しては超越という印象が浮かんだ。ダンターグが他の事を意に介さず一生強さだけを求めての不変のマインドだとしたら、ワグナスは当時も異界でもずっと色んな考えや想いが逡巡し続けた結果だと思ってる。最後に残った感情は敵意。第二形態の血の涙の様な顔の紋様と禍々しさからそう感じる。スービエやダンターグと違って思慮深いが故に一周回って同じように最後に残った感情に支配された。結果は同じなのに二人と違って過程が最も地獄だったはず。彼の理解者は英雄内にいただろうか。
多分他の七英雄はサクザーやオアイーブの存在を嗅ぎつけたら真っ先に殺しに行くと思う。例え旧知のワグナスですらケジメをとらすハズ。なのにノエルは秘密裏に会っていた。サクザーと会ってたという事はもちろんオアイーブもノエルとあっていたはず。親友のノエルを陥れたことを後悔したサクザーと恋慕していたオアイーブが彼らを殺す決意をしたのはなぜなのか。確かに元凶は彼らの父である大神官だが、私は彼ら兄妹も死ぬべきだったと思う。七英雄の死を見届けたなら死ぬべき。別次元へ逃げた父にケジメを付けさせるべき。でなければ、現世に残った責任とは?ノエルへの想いは何だったのか?今後この世界で生きて何があるのか?があまりに無情
七英雄の最大の悲劇は、自分たちを貶めた元凶に終ぞ復讐を果たすことなく新人類に駆逐されてしまう所よな。そしてもっと不幸なのは、元凶の子らでありノエルに想いを寄せていたオアイーブとノエルの親友サクザーは親の所業に責任を感じて現世に残ったのに結局七英雄を殺すために動いた事。特に現世に帰ってきたノエルと温和に会話していたサクザーは目の前でノエルがやられてもリアクションが諸行無常って感じで「あぁ…」程度なのがどういう感情なんだよそれって未だに意味が解らない。ノエルは多分サクザーに会っていたことを他の七英雄に報告してなかったと思うし本当に親友との再会を大切にしてたんだろうなと思うとサクザーは何を求めてたん
ダンターグの脳筋ッぷりも呆れるけど、過去と異形化後とで一貫性があるという意見はなるほどなと思った。思ったけど、いやお前は変われよと思った。脳筋が強いのってやっぱ思考がシンプルだからなんだけど他人の気持ちや後先を考えないから強いのであって逆に言えば複雑な事情を抱えたらそれを処理できるメンタルを持ってるのか疑問なんだよな。見ないように考えないようにしてれば誰だって強くあれるけど、見えてしまったら、知ってしまったら無視できないことってあるよね。それを処理したうえで強いのなら本当の強さだと思うけど、ダンターグの強さってのはマジで視野狭窄の成れの果てだと思うから私は好きに慣れんのよな。
クジンシーが意外と人気なのビックリ。確かに最初私も結構好きだと感じたけど、ああ、アレって共感だったのかと納得した。小物の見栄っ張りが英雄っぽくないところとか、他の英雄が豪傑過ぎてプレイヤーがクジンシー視点に近かったというか。でも七英雄とは何を想いどうあるべきだったのかと考察を繰り返すうちにマジで異物でしかないと感じ出して評価が変わってきたんよねぇ。ロックブーケが一番人気なのはまぁ、紅一点だし…。こういう思考停止な人気の理由ってのは当然の結果だけど受け入れがたいね。逆にスービエがサバサバ好青年なのに人気ないのはやはりワグナスに全てを預けてる思考停止っぷりが影の薄さにつながってると思うから、さ。
周回して思ったのは最初小物のクジンシーが七英雄という意外性に面白みを感じて気に入ってたが、考えれば考える程やっぱコイツキモくね?と他の英雄と同じ感情になってきた。ワグナスですら異形化している中、紳士なノエルが人型を保っていたのは理性と信念が勝っていたと説明付くが感情的なロックブーケも人型だったのは謎だったけど頑固で意地でも考えを変えない性格という過去を見ればなるほどと周回してみて納得いった。ボクオーンの現代での姿とその行為に違和感しかなかったけど彼の本質を考えると絶対に無意味なことはしないと思うのでそこに考察の意義があるように感じた。他、自己中脳筋のダンターグ、思考停止のスービエという印象。
為に惰性的に遊んだ結果、今回もっと深く理解できたような気がした。運よくいい方向に機能したのは多分ロマサガ2という作品が持つポテンシャルが高く、その深度をリベサガは上手くリメイク出来ていたんだろうなと思った。周回して世界のフラグ管理の全貌が見えてきてそう感じる。これをスーファミ時代に遊べたの??という事実にメガドライバーとして完敗だよと唸る(ゲハ的意味でなく、畏敬の念としてね)。
無理やり消化しようとして逆にゲームに辟易してしまう要素でもあると感じていたし、今もそう感じる面はある。やらなきゃいいだけと思うけど、スキマがあるものを埋めたいという心理は誰しもどこかにある。それがゲーマーにとっての実績って要素だと感じる。そしてメーカーが示す実績は、ユーザーがそれを埋め切ることによって”やりきった”と思ってしまい、その先を自分で見出せないユーザーを増やす可能性も感じる。もちろんそれを無視してやりまくる特異点も存在するだろうが大局を見てその危惧はある。さりとて、常人が達成不可能な実績を用意してもユーザーの自信を砕く危険性もある。つまり実績とは諸刃の剣だと思ってる。が、それを埋める
P3R買ったけどリベサガ実績全解除してからじゃないとそっちに進めんという実績に縛られる現象。昔なら二刀流で遊んでたと思うけど今は同時に別ゲー遊ぶ自信がない。一個のゲームをやりきる前に乗り換えるとやりきらないかもしれないという恐怖がある。物凄い不自由な思想。…と思ってたけど、実績解除が義務化してしまったはずなのにいつしかリベサガの深淵を知りたいと感じるようになってきた。周回するごとに見えてくる色々、人を惹きつける”なにか”をうっすら言語化出来そうな気がしてきた。実績とかいう自己満の機能、ゲーマーという生き物にとって無視できない要素ではあるがやり込みの幅を限定してしまう要素だと危うさも感じていたk