長谷川さより
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「うつくしいものが嫌いな人がいるのかしら? それが年老いて死んでいくのを見るのは、悲しいことじゃなくて?」 🧸 https://on-a-wet-night.com/
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#2024年映画ベスト10
#2024年映画ベスト
死と生、後悔と謳歌、衝動と渇望、人生と寂寞、舞踏と開放、女と男、別離と邂逅、分断と親子、時代と未来……わたしが生きるために欲するものが描かれていた映画だったし、余韻の中で踊るように生活させてくれる映画だった
2024年公開映画ベストの場面写真。以下そのタイトル。
『異人たち』『本日公休』『システム・クラッシャー』『アット・ザ・ベンチ』『化け猫あんずちゃん』『夜明けのすべて』『コール・ミー・ダンサー』『きみの色』『緑の夜』『密輸 1970』『ロボット・ドリームズ』『動物界』『バーン・クルア 凶愛の家』『あんのこと』『侍タイムスリッパー』
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美をバレエとアニメで理解しているので、うつくしいバレエはタメツメとコマ打ちが見える
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酒を飲んでもこれといって特段何もないのは得といえば得だが損といえば損
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村八分どころか度を越した誹謗中傷が寄せられているのを見ると、1回落ち着いて何がそこまで自分を駆り立てるのか考えてみないか? 1回インターネットはいいから……と言いたくなる
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労働で政治と折衝を浴びまくっているためモリモリ削られている。様々な労働
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すべての巡り合わせに生かされて今があるわね
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こういう、まず最初に「大丈夫だよ」と両手を上げて伝えようとするみたいな書き方ができて、それが実際に受け入れてもらえたことがあるの、結構マジで自分のエポックだな
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この記事はTVアニメ第1・第2シーズン直後に新規劇場版があることで第3シーズンがどう変化するのか(せざるをえないのか)という話がメインなんだけど、冒頭を原作者執筆のスピンオフ小説の改稿の話にすることで原作ファンに心を開いて読んでもらおうとしていて、シンプルにえらいなと思う
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『文豪ストレイドッグス』「DEAD APPLE」以後の「父の肖像」の在り方について - 小夜倉庫 on-a-wet-night.hatenablog.com/entry/2019/0...
アニメ化に伴う原作改変についてブログを書いたことがあるんだけど、これが思いのほかあたたかくストレートに原作ファンに受け止めてもらえたのって自分にとってはかなり大事な経験になっている気がする
『文豪ストレイドッグス』「DEAD APPLE」以後の「父の肖像」の在り方について - 小夜倉庫
アニメ『文豪ストレイドッグス』31話「ヘルリス!」「父の肖像」は、その大胆なカットによって賛否を集めています。それについて、自分の心の整理のためにここですこしだけ語っておきます。
on-a-wet-night.hatenablog.com
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自分の人生が作品鑑賞の道具になってるときがいちばん気持ちいいから
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わたしは自分の愛したものに義理を通せればそれでいいから
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別に現在の宝物に意味がなくたっていいし過去の苦痛に意味がなくたっていいし、それでも意味が必要なら自分だけの意味でもいいんだけどね、本当は
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東京の路線と地理の関係を未だによく知らない
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そういえばスーパー排外主義ラッシュの傍らで万博やってたのか。ウケるな
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根本的な話として、ファンダムで誰かとなかよくしたいという気持ちを相応の切実さで持っていない人間の言葉って上滑りするだけになりがちだよな〜というのがある
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なんかこれ……違うかも!と思ったらシレっと軌道修正したってぜんぜんいいらしい
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怖いオタクすぎて再録本出すとき「鍵アカでわたしの悪口言ったりそれに同調したりしてても欲しかったらこっそり買ってぜんぜんいいからね」つってた
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正しくない気持ちを置いておける場所になってくれる作品がだいすき
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「自分は常に正しく寛容でなければならない」という意識のもとでは「弁えた女性ならいてもいい」「いい外国人ならいてもいい」みたいなロジックが錬成されて、かえって自分の気持ちと向き合うのが難しくなっちゃうからね
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「自分が正しくなければならない、自分が被害者でなくてはならないから相手が間違った加害者であることにしなくてはならない」という思考回路の苦しさってあるよな〜と思っている。別に気持ちのぜんぶが正しくなくたっていいしそれをどのように扱うかでしかないんだけど、今のインターネットには正しくない気持ちをただ置いておく場所がぜんぜんなさそうなのでつらいね
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いつ誰のどんな言葉なら自分の心にスッと入ってくるのかはひとそれぞれで、真実変化を求めて考えさせるのならそれはまず啓蒙的な態度にはなりえないし、わたしはあなたの味方ですよということを(しばしば平素の態度から)十分に信じさせながら苦難の伴走の覚悟を示さなければならないのだろうけれど、それを「外」から試みるのは本当に難しいだろうと思う。このとき内と外を隔てるのはコンテンツへの「愛」でさえないだろうとも思う
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マジでハチャメチャになっとる二次創作界隈を眺め、迎合を求める因習村(みずから領域を拡張させる怪異)すぎる……となった