ニートになりたいニートになることを推奨するアドバイザー
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@neeet.bsky.social
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推定キモいおじさん実際キモくてカスのおじさん。人権はない。アカチャンホンポで服が買える ちょっと体調不良。妖怪もいつか4ぬ。最後楽しかったありがとう
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キモくない存在とは?
絶対的な非キモさとは、存在しないことでしかない

相対的なキモさをどう定義しても、最低でもここ半年くらい判断力が低下していたとしか考えられない

やはり周期的にキモくなったりキモくなくなったりするしかないのか
本当に難しい話はどんなに噛み砕いても分かりやすくならない
テンションと閾値のコントロール

そもそも存在自体がキモいのでやること全てキモいのでは?

ロールの逸脱、という意味では最初からそうだし
技術的・能力的な評価ができない状況で、どのように賞賛するか

自分がどう受け取ったか
・聴いていて心がすっとした
・一声で引き込まれた
・思わず息をのんだ
・声の響きが気持ちいい
※「最初の一声で」のような具体性は評論ぽい感じが出そう

自分が聴いてどうなったか
・元気をもらった
・落ち着いた
・今日一日頑張ろうと思えた
・何度もリピートしたくなる
・自然に笑顔になった
・ただ聴き入った

敬意
・この歌を聴けて本当に良かった
・素敵な時間をありがとう

※語彙が批評的にならないように。技術的評価に聞こえる、わかってる風、上から目線

そもそもコメント打つ資格があるのか……?
そもそもキモオタでなければここにはいなかった
キモオタはキモい語彙が豊富すぎて、ちょっとした拍子に溢れ出す

逆に、自分が詳しくないことについて褒める語彙を持たない

うっかり何かいうと素人が評論家ぶっていると思われるのではないか

よって最高、上手い、かっこいい、助かる以外の語彙がない。その他の表現は調べれば1回は使えるかもしれないが繰り返し使えない

キモオタでごめんね……
疲れててストレスが溜まってる時って、このインターネット上の精神的自傷行為が効くんだよなー
俺の中のキモオタが、せっかく最高のパスを出してくれたのに

「そうか聞き間違ってた教えてくれてありがとう訂正するね

産んでくれてありがとうございますおぎゃああああああ」

って返さないなんてありえないと詰めてくるんだが

最近人間のふりをしようとしてるせいでやめろとも聞こえるどうしたらいいんだうわあああああああああああ

パスがあまりに足元すぎてこれをスルーするのはさすがにQBKすぎるのでは……?

そもそもこういうコメントが来るのを最初から想定して動画を作っているのでは……
こうしてみると罵倒する側のリスクってまあまああるな
罵倒側の、攻撃模倣行為を繰り返すことによる閾値の低下
支配関係の再構築(快楽的言動としての再訓練)
文脈を共有しない第三者の混入により合意なき暴力が再生産される問題
など

本気で嫌われてはいないというメタ認知による文脈と合意が維持され共有される密度が高いことが必要
禁忌の越境による生の体験であることには間違いないので、バタイユ的な観点からはエロティシズムとは言えるか……
ここでいうマゾヒズムによって得られる悦楽とはいわゆる性的快楽のことではもちろんなく、統制された自己、社会的役割の緩和・破壊に伴うカタルシスであり、(オギャるなどの)奇行や(ネット上における)誹謗中傷などといったものとスペクトラムとして語られるべき概念である
配信者側と視聴者側の非対称性、職場とプライベートな場云々について
安全でない状況において助からないというのは、それはそう
「罵倒助かる」とは「最も安全な感情的マゾヒズム」であり、そりゃ助かるに決まってるのである。
現実で散々、失敗と敗北と喪失を繰り返しているので、物語くらい、成功と勝利と獲得をさせてほしい。

医療の充実や日常生活の安全化により死が身近でない。これは作家側に死の表現が乏しくなる原因にもなるだろう。

シリアスさより「爽快感・安心感」を重視する傾向。なろうなどの小説投稿サイトのシステム自体が、主人公の苦境を長々と描写することが読者離れに直結しやすいものになっている。
‪ラノベ1800冊が無言の帰宅しない問題。

俺TUEEE物がまだまだ人気が衰えていないこと

(物語の舞台として選ばれることが多い)現代日本では死を身近に感じることが少ないこと

などを考えると、そもそも主人公の身近な人物が死ぬというシチュエーション自体が、特に最近のライトノベルに少ないのではないかと予想。‬
「適切に考える」ための2つの条件

・知に対して誠実であること(前提として必要な知識を、正しく段階的に学習していること)

・発想に対して挑戦的であること(「わかるはずだ」と粘り強く試行錯誤を続けること)

無知な人間が自分の頭で考えるなどということが必ずうまくいかないのは、集積知に対してひどく傲慢であるからだ。結局のところ浅学な人間の自己決定権とやらを尊重したふりをするには、わかったつもりにさせるしかない。
本気を出すということは、変わり続けるということだ。「明日から本気出す」が必ずうまくいかないのは、本気を出した瞬間に何かができるようになるわけじゃないってことを勘違いしているからだ。本気を出してもすぐには何も変わらない。今この瞬間に変わるとか、この一瞬が全てを変えるなどというとか、単なる妄想だ。その妄想はいずれ、結局何も変わらなかったという新たな挫折を産むだけ

残念ながら、いや、喜ばしいことに、僕らの魂はこの人生の成果を次の人生に持っていくだけの両腕を持っていない。だから、僕らはこの惨めな人生の結果を次の人生に持ち越すんじゃない。
こうやって前に進むんだというやり方を、魂に刻みつけていくんだ
そうだとして、それまでの変化、努力は無駄なのか。

いや、そうではない。
それは単にこの人生では、その時までに成果が得られなかったということでしかない。

今回の努力したと言う事はこれからの君にとって無駄にはならない。これは気休めではない。確かに本気の出し方を学んだ。次の人生で本気を出すための準備ができたんだ。今回のやり方ではうまくいかなかった。次の人生では、きっともっとうまく本気出せるさ。そう、この踏ん張りは必ず次の人生の糧になるんだ。必ずだ。
もちろん、必ずしもうまく変われるわけでもない。無駄に終わる努力もある。失敗して見当違いの方向に進んでしまうこともある。

怖いか。怖いよな。今から変わろうとして、全力で準備をして、本番で死力を尽くして、結果ダメだった。きっとそうなる。だって今、こんなにも足りない。

もちろんそういうこともある。そしてその時確かに、自分はやればできるんだという根拠のない幻想は、打ち砕かれる。
今さら変われないなんて事は無い。これは希望的観測なんかじゃない。だって彼は積み上げた自分を壊しながら、全く新しく作り変えて、何度も立ち上がり、今なお最前線にいるじゃないか。今だってまた新しい武器を手に入れようとしている。
弱くなったと、時代は終わったと言われながら。迷走していると、そんなこと人間には不可能だとすら言われながら。
彼の姿を見ながら、今更変われないなんてことが言えるのか。
何かを成し遂げようとする時、前提となる何もかもが足りない。あれも足りない。これも足りない。そう思った時に絶望するか。今まで積み重ねてこなかった自分に。打ちひしがれるか。今まで積み重ねてきた物を失ったことに。

違うんだ。現在は今までの、過去の積み重ねではない。クソだった自分の残骸なんかじゃない。現在は常に理想の自分に変わっていくための過程なんだ。だって人生は前方向にしか存在しない。だからまさに今この瞬間から少しずつ変わっていくんだ。

皆さんにもお分かりいただいてるとおり、私は情けない人間だ。しかし、今までの自分はクソだったけど、今もクソだけど、そういうこととは関係がないんだ。
次の人生から本気を出すということ

努力をするには、努力そのものを楽しむしかない。つまり、変化の過程を楽しむしかない。

次の人生から本気を出すというのは、究極の過程重視だ。我々は今、次の人生でよりよく生きるために、つまり本気を出すために、この人生で本気を出す練習をしているのだ。次の人生が素晴らしいものとなるために。たとえ今回の努力の結果が惨めなものであっても、次の人生のための教訓となる。結果はすべて次の人生で出ればいい。責任は全て次の人生に押し付ける考え方なのである。