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さるかに合戦って、英語にするとmonkey vs crab なんですかね? 『なか』さんの映画レビュー | Filmarks https://filmarks.com/users/nakacrab #Filmarks #映画
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百姓、社会的弱者の強かさを伏線にしてラストシーンの名セリフに繋がる構成がすごいよね。社会の歪みは弱者にも強者にものしかかる。

尊厳を犠牲にして頭を垂れながらも最期に村を復興したのは百姓達。担ぎ上げられ百姓を先導して勇敢に戦ったものの最期に死んでいくのは侍達。
映画 七人の侍 スクリーンで見てきた。やっぱエンタメの王様の時代の映画やわ。百姓の苦しみや狡さや弱さを叫ぶ菊千代のシーンが泣ける。百姓と侍、つまり弱者と強者のどちらでもない存在だからこそ俯瞰的に語る。

弱いことは罪ではないものの弱いことから背け続けるわけにはいかない。隠れて殺し盗み、武器を手にする百姓の姿は悲しくありながら褒められるものではなく。
批判する時は性善説ベースで作られたシステムやツール側を叩くのに、擁護する時は悪用する利用者側の責任にする。

この手の自身の都合に合わせて思想の立ち位置を切り替える人はたくさん居るだろうけど。

大衆や市民という大勢を対象とするツールやシステムで起きた問題というのはその社会全体に対する影響度の大きさや対処のしやすさを基準に考えないとポジショントークになりがちなんだろうな。
ぶつかりおじさんに逆襲した的な迷惑人間に対して果敢に挑む武勇伝て、本気になれば相手に勝てそうという無意識なラベリングがあってこそ行動に移せてるだろうから迷惑人間と似た土俵に立ってしまってるんやろなぁって。

ぶつかりおじさんがぶつかる相手を選んでる時、ぶつかりおじさん逆襲もまた相手を選んでる。

勝てそうな相手にだけ強気に出ようとする精神性は勝てなさそうな相手と対峙する時に自身の弱さをを恨み自己肯定の欠落に繋がると思う。
公明を切って維新と繋がったことで最高値を更新したんなら、他の政党だったら日経平均なんぼになるか全通り試してほしかったよな。それにしても平成不況ってなんだったんだ。
ボードゲームもTRPGも実際に触れるまでは面白く感じないわけやしこれを題材にヒット作を作るなら「別にこれが題材じゃなくても良くね?」って思われるくらいの内容にするしかないのかも。
カードゲームやホビーを題材にした漫画で、物語を盛り上げるために世界の命運や命のやり取りに発展していく設定って、作者や周囲の関係者自身が自分達の作ってるゲームやホビーそのものに対する面白さを信じきれてないところあるよな。

漫画やアニメという媒体で面白く感じるようにするために自ずとそうなってしまうところあるけど。どこまでいっても実際に触れないと面白さは伝わないわけやし。
褒めようとした言葉が的外れになって相手を傷つけたり困惑させてしまうというよくある失敗に対して、たいして相手のことを観察できず興味もないのに機嫌だけ取ろうとする愚か者やからそうなるねん的な返しがあったけど。

人対人のコミュニケーションにおいて失敗を許さない、失敗したくないという過度な緊張感は果たして誰かを幸せにするのだろうか、という感想が出た。

人生単位で心を傷つけるような言葉でもないのに、些細なすれ違いに対して強い言葉を用いることの方を見直したいよね。
夜になるとそこらじゅうでポケモンバトルが行われる街、時間割してるだけ遊戯王のやつよりもまだ治安が良いかも。でも遊戯王はただカードゲームしてるだけやしポケモンの方が断然危険ではあるよな。
儲けが出たらOKの価値観に支配されると自然保護や教育や科学や文化や平和維持みたいな分野はほんとに無価値に近づくねんな。

儲けという簡単に数値化できる指標は隠された他の価値よりも何故か重要に感じさせてしまう毒があるというか。
儲けが出たからOK!みたいな話題を見てると市場規範に毒され過ぎに感じる。一般来場者が来なくても仕事の取引が活発になって新しいビジネスがどんどん増えたならそれはもう成功やねんな。てか本来はタダで市民が来場できる方がスジやと思うねん。だって元を辿れば市民のカネなんやからさ。まぁ職場からチケットを配られた人からしたらタダなんやけど。
でも当初選ぶ予定のやつにしといたら初期不良を引かずに済んだ可能性あったよな~とはいえ初期不良を引く可能性は常に一定やから気にしても仕方ない。いや、メーカーによって不良の確率は違うからリスクが変わるのは確かだよな。うーん。
七人の侍がスクリーンで見れるの楽しみやな。凄腕の剣豪が実際にどんな戦いぶりかがわからない演出ほんまおもろい。霧の中から一人で帰ってくるの強キャラ感すごいもんな。
量販店におけるおとり商品という概念を知ってからは何も信用できなくなってしまった。ゲーミングPCの予算を20~30万円と踏んでいて、20万で買えそうな商品が見つかってもそれはおとり商品の可能性が高い。販売員からスペックの説明を受けると25~30万円の商品の方が妥当に思えるような誘導を受けることになる。

つまり最初から20万円の商品は売るつもりの無いおとり商品であり、本命はその一段上にあたるという話。
普段インスタント食品を食べてないと、たまに食べた時にとんでもなくしょっぱい。ラーメン屋なんかだとそこまで気にならないのに、即席麺はほんとにしょっぱい。不思議。
子どもがスマホに依存気味になると身の回りの様々なものを遊びとして扱う習慣が損なわれて勉強や学習の面でも興味の取っ掛かりが失われてどんどん沼にハマってしまうみたいな話。

これは子どもに限らず、大人でも遊びとしての創作活動が生活の中から損なわれていくとお金がかかる余暇の過ごした方しかできなくなる点も無視できないよね。

料理や裁縫や日曜大工やキャンプや歌や踊りやスポーツは内心から生まれる楽しみを得られる。絵や小説みたいな創作活動に限らず日々の暮らしにこういった楽しみを見出だせる豊かさを残したい、
という。
ブルースカイに大統領上陸おもろい。大統領もクソリプに嫌気がさしたのかな。
携帯ゲーム機も当時はかなり触ってたけどネットで新作をすぐに手に入れて遊べるわけでもないから飽きてしまうし長時間やり続けにくくて。それでもポケモンの育成をひたすら布団に隠れてやり続けた人はたくさん居たからね。それくらい携帯可能なアイテムは依存しちゃう。
かなりゲームやりまくってた自分でも平日は2時間前後に収まってたのはやはりテレビディスプレイが家族の共有物だったからという点は否めない。

それくらいスマホの依存性は携帯可能であることが理由として大きそう。あとは人間関係のツールという点も大きいやろね。
未成年が16:00~18:00に帰宅して就寝までの23:00は5~7時間程度なわけやん。食事や風呂や家族の団らんで1~2時間使うとすると残り3~6時間なわけ。

ここから宿題や勉強といった学生の本文である活動を行うことを考えるとスマホ使用に2時間という制限はむしろ多いくらいで。しっかりこの規制を守ったとしても1時間しか勉強時間が残らないわけ。スマホ使用の時間制限に対して反対する人はこの計算を真面目にやったんやろか。
夜間の迷惑バイクの騒音についての批判に関する話題に対して、

でも大半の人はクルマに頼って生活してるしクルマ産業なくして今日の経済力はあり得ない、

みたいな論理展開で批判に蓋をしようとする人、まじでSNSにはたくさん居る。
よく90~00年代のインターネット環境や倫理観でこれからもずっと浸っておきたい的な投稿を見かけるけど。戦前後の工業による公害や車両やタバコの煙、エンジンや工場の騒音に対して問題意識が向いてようやく現在の街の姿に変わっていった背景を考えると自分が慣れた環境に対しても常に批判的に考えることが大人のあるべき振る舞い方だなと思うんやわ。
グレーな行為に対して安易な価値観を持ってる層の現実味の無さってこれなんすよね。悪い人によって黒く染められるリスクはもちろん、自分自身が染め上げていくリスクがある。

これくらいいいでしょ、っていうのもエスカレートしてからじゃ遅い。自分だけは強靭なメンタルによって「これくらい」で止められると思い込んでるだけ。多数派とか法律とかだけじゃなくて何でも批判的に考えて自分だけの天秤も持たないと危険なんやね。
あと別のエピソードで未成年を供物にして個人的な関係から逃げられなくする手口も描かれてたけどこういうのホントにありそうで怖いよね。あとは危険薬物とかもね。違法賭博もそうだし。

白い人間でも少しづつグレーにしていくことで大きな事件にハメる伏線を作る。だからね、どんな些細なことでも悪事に手を染めたらダメなんですよ。悪い人からしたらグレーを真っ黒に染めるのは簡単なんだから。
詐欺にかかる人間も加担する人間もそれだけ追い詰められてて、その背景が描かれていくのが面白くて。

被害者の常務青柳が人間性が残念なのはもちろんのこと、旧友へのステータスのコンプレックスや家庭が上手くいってないことや社内での権力闘争で追い詰められていることや、様々な面で詐欺にかかる理由としての外堀が埋まってて。

もうコイツは絶対に引っ掛かる!という強力な説得力を読み手に与えてる。どんなに複雑で巨額な詐欺事件でも結局は人間が全て。