無色
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逸民
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岡山から多度津までの鉄道距離は博多から佐賀とほぼ同じ。
明治5年10月2日太政官布告第295号
「娼妓・芸妓等年季奉公人一切解放可致。右ニ付テノ貸借訴訟総テ不取上候事。」
明治5年10月9日司法省第22号
「同上ノ娼妓・芸妓ハ人身ノ権利ヲ失フ者ニテ牛馬ニ異ナラズ。人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ。故ニ従来同上の娼妓・芸妓ヘ借ス所ノ金銀並ニ売掛滞金等ハ、一切債ルベカラザル事。但シ本月二日以来ノ分ハ此限ニアラズ。」
このときの司法卿は江藤新平。
江戸川乱歩が昭和4年に発表した「何者」の舞台は湘南海岸。登場人物は寂しい片瀬海岸よりもにぎやかな由比ガ浜を好んだとの記述がある。当時は由比ガ浜が海水浴場としてメジャーであった。
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The fantastic Cyd Charisse and Fred Astaire in Band Wagon.
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Fred Astaire could float but Gene Kelly could FLY.
明治20年刊の本富安四郎「地方生指針」に、「東京府下ニ居留スル者ノ中ニ四大種族アリ。書生、官員、車夫、兵隊是ナリ。(中略)東京ノ繁栄ハ実ニ此四種族ノ為ニ成立ス者ト云フモ不可ナルベク……」とある。
林正登『炭坑(ヤマ)の子ども・学校史』(葦書房 1983年)に掲載されている筑豊のエネルギー革命時にはやったという炭坑の子守唄(俗称ザリガニの歌)(作詞作曲森中鎮雄)
父ちゃん今日も帰らんき 母ちゃん廃坑(やま)にボタひろい
秀坊のおもりはうちばっかり ふみちゃんと縄飛びしたいとに
兄ちゃんどこまでザリガニ取りに 学校やすんでいたやろ
ザリガニ取ってなんにする ゆうげのカユのサイにする
夕やけ雲はあかいのに あしたも学校にゆかれんと
東京の三鷹に昔住んでいた。
最寄りバス停は三鷹農協前。二部屋に8人で住み、それが二つ〔合わせて16人〕ごとに共有の畳部屋一部屋がある月額三百円。畳の部屋は8畳で、ここにテレビがあり、靴を脱げる唯一の部屋なので宴会集会もここであっていた。8畳に16人なのでもんごもんごして、あれはあれでおもしろかった。
吉祥寺駅から井の頭公園を通って太宰治が入水した玉川上水を越える緑道が通学路だった。九州にはなかなかないケヤキの林や落葉樹の並木道の雰囲気が好きだった。
ミュンヘンは北緯48度にあり、稚内より北にある。稚内は北緯45度。
1太陽年は365.2422日。陰暦は1年を354日としているため、毎年11日ずつずれる。
19年で209日が不足するため、この間に7回の閏月がおかれる。
一方、二十四節気は冬至を11月中気として起点とし、以後、小寒(12月節気)、大寒(12月中気)と、約15日ごとに節気と中気を繰り返して1太陽年を巡る。閏月はこの中気を含まない月とする。
佐賀県内の鉄道の駅(九州旅客鉄道、松浦鉄道、甘木鉄道)の各駅間の営業キロ数(最短距離)を見ると、鹿児島線けやき台駅と松浦鉄道福島口駅間が一番長く、ちょうど100kmである。
吉川幸次郎『「人間詩話』」によれば、「詩話」とは欧陽修がはじめて書いた体裁の文章で、評論ではなく、詩人の逸事、すぐれた句、ないしは滑稽な句についての話など、短い一条一条が雑然と並んでいる著述をいうそうだ。
「口笛が流れる港町」の劈頭のアキラと錠のからみは阿蘇が舞台。本編は宮崎の山間部にある鉱山が舞台。浅丘ルリ子はその後継ぎ娘。一切、港町は出てこない。口笛も聞こえてこない。
佐渡を舞台の渡り鳥シリーズ「渡り鳥いつまた帰る」では、こまどり姉妹が「浅草姉妹」を歌う。
福沢諭吉は明治14年10月24日から地方凡例録を読んでいる。
「人生不可解」と明治36年に華厳の滝で自殺した藤村操は、自殺の数日前に英語の下読みを怠けて、講師の夏目漱石から叱責されたという。
芥川龍之介が大正11年の学習院での講演で、学習院の場所を知らなかったので目白駅から人力車に乗ったと言っている。彼は当時田端に住んでおり、また、本郷の大学に通った代々の江戸っ子である。この発言は本当のことを言っているのだろうか。仮に知らなかったのが本当であるならば、学習院という存在が華族以外の者にはまるで縁がなかったというべきか、目白というのが東京の範疇をはずれたようなところだったのだろうか。
林修三『法令用語の常識』 (日本評論社 1958年)によると、「……の規定は、……の場合に適用があるものとする」という用例は、そこで問題になっているある規定が、ある場合に適用があるのは、解釈上あるいは論理上当然のことであるが、解釈上の疑義を避け、法文の理解を容易にする意味で、念のために規定を設けるというような趣旨の場合に使われる。これを「適用する」と言い切ってしまうと、本来適用のないところを、この規定で適用するようにしたという創設的意味が加わってくるので、単なる解釈的意味であることをあらわす趣旨でこのような表現が使われる。
アーネスト・サトウは、大西郷の印象を、「この人物は甚だ感じが鈍そうで、一向に話をしようとはせず、私もいささか持てあました。しかし、黒ダイヤのように光る大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった。」と書いている。慶応2年、兵庫で会ったときの印象である。
ソウルの光化門は朝鮮戦争で焼けて、石垣だけになったところ、1968年に再建された。
辛亥革命から10年近くたったこのころ、辮髪の風習は既になかったという。この年、清朝最後の皇帝溥儀が辮髪を切っている。この描写は芥川龍之介のフィクションなのである。
芥川龍之介は、大正10年に中国を旅行した。このとき、上海の城壁は既に撤去されていた。豫園湖心亭の描写は以下のとおり。ちくま文庫「芥川龍之介全集」8所収「上海遊記」による。
「その露地を向うへつき当たると、噂に聞き及んだ湖心亭が見えた。湖心亭と云えば立派らしいが、実は今にも壊れ兼ねない、荒廃を極めた茶館である。その上亭外の池を見ても、まっ蒼な水どろが浮んでいるから、水の色などはほとんど見えない。池のまわりには石を畳んだ、これも怪しげな欄干がある。我我が丁度そこへ来た時、浅葱木綿の服を着た、辨子の長い支那人が一人、(中略)一人の支那人は、悠然と池へ小便をしていた。」
摂氏(Celsius)=5/9(華氏(Fahrenheit)―32)
華氏=9/5(摂氏)+32
白銀1枚は43匁。1疋は銭10文。裏尺1尺=曲尺√2尺。丸目1尺=曲尺1/π尺。
平家物語の重要人物、斎藤実盛が稲株につまづき討ち取られたため、その霊が祟っていなごになり虫害をもたらしたという伝説から、実盛人形という藁人形を放棄、流す、焼却する行為により虫害を免れようとする虫送り行事が実盛送り。
判例時報1789号に、自治会費に含まれる特定宗教費(神社関係費)の支払を拒絶した自治会員に対して自治会員としての取扱をしなかった自治会の行為は神社神道を信仰しない自治会員の信教の自由を侵害し違法であるとして自治会員の地位確認請求が認容されたが不法行為による慰謝料請求は棄却された事例が掲載されている。(佐賀地方裁判所平成14年4月12日判決平成11年(ワ)392号)
この裁判では、地方自治法第260条の2が、重要な争点になっている。