つくばのくま
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それに適した素材はすぐに見つかります。(おれは詳しいんだ
本日開講された社会科教育学の修論指導ゼミ(複数領域の教員同時参加)では、「先行研究批判パートであなたの研究と違うけどいちばん近い社会科教育学の授業分析、具体的には授業場面のトランスクリプトを使っているがEMではない論文、の特定の断片の(二次)分析を軽くやってみせて、EMでないとこんなにも生徒の発話の意味を取り違えてしまう、というデモンストレーションを組み込んでみたら?」という不穏なアドバイスをしてみました。

ご査収ください。
テーマセッション「実践の記述は誰のためのものか:実践的・分野横断的な示唆に向けて」
emca.jp/archives/4176

同じフィールドにかかわる他分野の人びととの対話をしようとするとき、参与者の志向にもとづいた相互行為の精緻な記述が社会的・学術的貢献にいかに結びつくのかを説得的に示すことは、しばしば容易ではありません。本セッションでは、そのような課題に取り組んでこられた方々にご登壇いただき、こうした困難をどのように乗り越え、生産的な議論を可能にするのかを、フロアとともに検討していきます。
2025年度 秋の研究大会 | エスノメソドロジー・会話分析研究会
emca.jp
よっしゃあああああアマゾンのRED本微妙に捌けとるうううう(営業成功
重いから持っていかない。
明日の社会政策学会・労働史部会の『市民社会論の再生:ポスト戦後日本の労働・教育研究』(稲葉振一郎著、春秋社、2024年)合評会では、労働(史)研究者たちに「必読文献です」と脅しをかけるじゃなくて営業するために紙版著書2冊の現物を持ち込む所存。
重いから持っていかない。
明日の社会政策学会・労働史部会の『市民社会論の再生:ポスト戦後日本の労働・教育研究』(稲葉振一郎著、春秋社、2024年)合評会では、労働(史)研究者たちに「必読文献です」と脅しをかけるじゃなくて営業するために紙版著書2冊の現物を持ち込む所存。
だが寝坊はしなかった。(えらい。
いまのわたくし。
まえに主催者の先生からいただいていたメール見てみたら「非会員にも公開しています」て書いてあったわ。メールちゃんと読んでなくてみんな(だれ?)ごめん。
直前までかかってまるっとコメント2本分のレジュメを作成してしまった。(わたくしはいったいなにをしているのか
(実際持ってみて重くて挫折したらごめん
明日の社会政策学会・労働史部会の『市民社会論の再生:ポスト戦後日本の労働・教育研究』(稲葉振一郎著、春秋社、2024年)合評会では、労働(史)研究者たちに「必読文献です」と脅しをかけるじゃなくて営業するために紙版著書2冊の現物を持ち込む所存。
ええわべつに。筋トレでもすっか。今日はなんの日や。胸トレか。
いやまじでなにをしているのか(ほんとに
ひとはわかるようにならないと、わからない。(トゥルーイズム
この課題――パラドックスを可視化したうえでそのパラドックスに対峙するや否やそれを不可視化し、法的決定について従来とは異なる解決策を導出する課題――に取り組んでいるのがジェンダー法学である、だから最新のジェンダー法学(そしてフェミニズム政治学)の動向を追え――Sさんが伝えたかったことをいいかえると、このようになるのではないか。

Mキャンパスの研究室にまで押しかけて、辛抱強くつきあっていただいてから、はや7年か、、、自分の歩みのあまりの遅さに目まいがする。

でも前に進まないよりはマシさ。(死んだじっちゃがそういってた。
「これを読もうと思っています」とこちらが示した某書を一読して、「ジェンダー法学におけるこの20年の議論の進展がカバーされていない(だからダメ)」と喝破されたのも、この問題の系。

フェミニズムによる公私二元論批判にはパラドックスがある。「公だ」といっても、「私だ」といっても、どちらにも陥穽がある(経験科学的アプローチによる観察)。だが、法システム/法学においては、このパラドックスを不可視化・分解・展開して――つまり、なんであれ公/私の境界線を引き直して――、直面する準拠問題に対するなんらかの問題解決を図らなければならない(=規範科学的アプローチ)。
わたしはいまはじめて、7年前にRED研についてSさんからもらったコメントの内容が理解できた、希ガス(そのコメントをもらったときにいただいた「これ読め文献リスト」のなかのひとつを読んでいた)。

当時のSさんによるRED研への激しい違和感の表明は、要するに「福祉的再編」というワードに無批判・無自覚に依拠して「ジレンマを不可視化」しようとしている(ように見える)点に寄せられたものだった。

RED本のワードを使っていいかえれば、「ジレンマが不可視のまま、(別の)不可視化を進める(に置き換える)」ことにしかならない準拠問題の設定(とその解決策の提示)になっていることへの批判であった。
今日はレイ・ハラカミの祥月命日か。もう14年前。早死ににもほどがある。

合掌
少し整理された(わからなさがわかった)気はするが、ここからもうふた踏ん張りぐらいしないとRED研をはじめた当初の入り口の前にすら立てない気もした。

でもやるけどな。