子子
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子子
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書き捨て場
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大事な言葉だな、これ
“自分はこう思うしそうは思わない”ってのは大切なんだけど、それを行動の理由にしてしまうと社会に適応できなくなってしまうんだよね。自分一人で生きていける、さかまいてでも生きていけるならそんな些事は気にしなくてもいいんだろうけどね
“仲良くなる”ことが目的になるとうまく構築できなかったり、長続きしないってことなのかな
根底的に“相手の気持ちが理解できるから許容する”のではなくて、“相手の行動原理は勝手に推測できるから許容する”だけなんだよね、多分。だから気持ちを理解してくれていると間違えさせてしまう、期待させてしまったという過失が生じる
自分が悪い、原因があると思ったのなら、自ずと次の行動は思考あるいは試行なんだよね。他者への映り方という意味でも必要ではあるが、そもそもそれが自身の言動に責任を持つことでもある
自分の中で相手がこう思っているだろうと思考するのは当たり前の話ではあるし(むしろそれをしないのは他者を意識に入れていないだけともいえる?)、ただその答案を相手に突き出して正誤を図るのが関係性を大事にする上では大事だろうね。無論それをしない方が大事になる相手との関係値は存在するんだけど。社会的な立場としてのね
「相手がそうしたかったから」という理由の推察の前提に「でもそうさせたのはお前自身だよ」って意識を持たなければならない
優しいから相手を思いやってるんじゃなくて、自分の感情に対処する手段として相手に善意を差し向けているだけなんだよね。だから相手にその善意を突っぱねられることもあるし、自分がよく見せたいからこそ行っている偽善であることは自覚しておかなければならない。期待しない、見返りを求めないって話もこの辺に繋がるのかな
だからこそ(関係性を大事にしたい)相手からのNOに対して、理由や動機に関わらず一度手を止めることが大事になるんだろうという話に繋がるわけで。その理由や動機が、自分の中にいる相手しか持っていない可能性があるから
失敗の本質はここにあるんだろうな。今の「自分の中にある相手と対話するのをやめる」ことにも繋がるんだろうけども
『集団生活のランニングコストが高くつく』…おお…なるほど…
それが許される社会であるかどうかは別として、矛盾した感情が同時に存在するのなんてあまりにもよくあること。理屈と理屈でも、感情と感情でも、無論理屈と感情とでも、その自己矛盾は発生する。軸があればあるほど、個人としての確立が強ければ強いほど、かえってこのダブルバインドに囚われてしまう。個人としての思想と、立場としての思考ががっちすることなんて、なかなか起こり得ることじゃないからね
『あらゆるしてもよい権利の裏側に、あなたを蛇蝎の如く嫌う人間の存在も許されている。その人物があなたを害する権利がないのと同様に、あなたにはその実物が視界に入ることを害する権利が与えられていないのだ』
理解できない側のあのうっすらとした嫌悪感というか嫌厭した感じ、あれが根源的な恐怖というケースがあるのは素直な学びかもしれない
心理的安全性がないってやつなんだろうな。安心と安全を求めて擦り寄ってしまい、相手が自身に対して心理的安全性を見出せていないにも関わらず、いざ不調をきたしたり期待した形から一度でも外れれば保証を“裏切られた”と認識して関心を失ってしまう
身に刺さるが腑に落ちる言葉ではある、色々と
『緊張感のある人間関係の構築を望みはしない』
他人を求めれば変な人間が寄ってくるし、他人を拒めばまともな人間から離れていく。その辺のグレーであやふやなバランス感覚なんだろうな、だから難しいよねって話ではあるんだけども