ぐみ
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ぐみ
@mochagummy.bsky.social
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読書/映画/音楽 闘病中のクィアです。 あらゆる差別に反対します🏳️‍🌈🏳️‍⚧️
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まず、「普通に働いたら」というの、働ける人たちの傲慢だなって個人的には思います。ルサンチマンだなんだと言われようが、絶対に譲りたくないです。
「普通に働いたら普通に生きられる」は、言葉を放つ人が思う以上に、強固なエイブリズムではないでしょうか。
社会を良くしたい皆さんにお願いなんですけど、「普通に働いたら普通に生きられる社会」を標榜するの、そろそろやめてもらえませんか?
それでは足りないんです。
「普通に働いたら普通に生きられる社会」では、働けない人は、生きていけないんです。
働けない理由って人によって様々ですが、原因によっては通院等で健康状態の人よりもお金が必要なのに働けなくて、人生楽しむお金すらなくて、日常生活もギリギリ、そういう生活が普通に転がってるんですよ。
どうか、働けない人たちのことを、社会運動の外に置かないでください。
差別したい人にデマだと指摘しても、差別したい人はただ差別して気分良くなりたい人たちなので、何だかんだと理由をつけてまた差別やデマを言い続ける。
だからといって、あいつには何言っても無駄だしデタラメなのは見え見えだから放っておく、ということをしてしまうと、そういうデタラメに流されてしまう人を生んでしまう。そして、このくらいの差別的なことなら言っていいんだ!と大衆に思わせてしまう。
デタラメで相手にするのもくだらないと感じる相手だろうが、炎上商法だろうが、「差別は許さない」という社会の雰囲気は絶対に大事なので、そう言うのにはいちいち声を上げたほうがいい。
可愛い犬のぬいがやって来た。
幸せ度がちょっぴり上がった。
高市支持率70%の差別主義社会の中で生きてくの、本当に怖いです。
もう何年もずっと、お前は要らない死ね、って言われてきてる感覚があるし、外に出て人と関わるのが本当に本当に怖いです。
奴隷として従順に働いて、怠け者(とお上が指さす者たち)がいたら袋叩きにして、逆らう者(お上があいつら悪い奴らだと指さした者たち)がいれば排除して…それが理想の日本人。日本の教育が育ててきた日本人。
高市の支持率70%、みなさん本当にご立派になられましたね。教育の賜物です。感動して涙が出ます。
なんとか生き延びましょう、なんて書いてしまう日もあるけれど、この社会で生きのびるのは本当にしんどいもんね。簡単なことではないし、誰かが自分に降りかかる差別や排除から守ってくれるわけでもない…。
生き延びられることだって、その環境にいられるある種の特権ではないかって気がしてきて、その言葉を簡単に口にしていいのかわからなくなってきた。
死ぬ死ぬって言うやつは死なないなんて言われてるけど、人間ってそう単純なものではないよ。
死が念頭にある状態ってつまりは様々な選択肢に普通に死が入り込んで狩るってことだから。
幸せな瞬間に、幸せだからこそここで終わろうって思ってしまうかもしれない。
普通に散歩してて、今ここで車が来た瞬間に道路に飛び出ようかな〜って何気なく思った日もある。
そんな瞬間知らない奴らに、死ぬ死ぬって言ってるうちは大丈夫だとか思われたくないし、この泥沼のような苦しみを「みんなそう」で片付けられたくない。
他の方に死なないでって祈りのような気持ちをずっと抱いている一方で、自分はいつ死のうかって考えてる。
今はまだ死への恐怖があるから踏み切れないし、まだ自分が社会で出来る小さなことを探したいし、声を上げていたいし、趣味だって残ってるし…みたいな未練があるけれど、何かのきっかけで死への恐怖がふっきれて感情が振り切れる瞬間が来たら、やってしまう気もする。
映画「カラオケ行こ!」は好きな作品だしとても面白かったけど、狂児含めたヤクザは作中ずっと一般の道理が通じない怖い奴らだったし、絶対に関わっちゃ駄目なやつじゃん早めに縁を切ってくれ…と何度も思った。
あれでもかなり漂白されて、しかも綾野剛の怪演のお陰で、お茶目で可愛く見えちゃうんだから、結構危うい作品ではあるし、そういう部分で批判があるのは必然だと感じてる。
カラスバは決していいヤクザではない…というかいいヤクザなど存在せず、彼は身内やお気に入りに甘いだけだし、狐面の男は本質が悪ではないものの家父長制に支配されておりその価値観で雛子を支配しようとしている(要するに助けるのは優しさではなく支配の延長)ということは、ちゃんと理解したうえで、彼らのキャラクター性にメロってくれ…と思う。
カラスバや狐面の男が優しい人のように消費されてんの見るとしんどいよほんとに。
悪役の台詞を正論としてリプ欄に貼って何か言ったような気になってみたりさ…。
ヴィランやトキシックなキャラの悪(または敵)役としての本質を愛さずにどうするんだよ…。
悪役を好きになる気持はわかるからこそ、悪役のトキシックな部分を漂白して理解した気になってほしくないし、好きであるならその罪から目を逸らしてほしくない。
正しくはない・間違った選択に気付いていない・害もある、そういうトキシックなキャラクターとして愛するのは理解できるし悪いことでは全くないと思うのだけれど、作中のトキシックなキャラクターの「トキシック」な部分を漂白したうえで、ちょっとお茶目とか正論言ってるとか本気で思って愛してる人たちがいる気配があるように感じてしまい、とても不安になる。
ポケモンのカラスバみたいな本物のヤクザが悪いけどちょっとお茶目なところもあるメロい男として消費されてんの本当に気持ち悪いし、サイレントヒルfの雛子の痛みに頓着しないモラハラ狐面がメロいって持て囃されてんのもすごい気持ち悪い。
悪い奴だとかモラハラだとか、そういうキャラクター像を誤解せず理解したうえでトキシックな本質を含めてメロいキャラクターとして愛するのならわかるんだけど、そいつらのトキシックな本質から目を逸らしたり、理解せずに持て囃してる空気感を一部に感じて、ずっと釈然としない気持ちでいる。
仮面ライダーガヴを観てきたから、ブレイドで人間を襲ったりしてない始が人間でないという理由で嫌味言われたりしてるの見ると普通に「えっ? それって差別じゃん」という気持ちが湧いてきてしまう。
アンデッドが古代でバトルロワイヤルをしてたのだとしても、現代に生きる始は今のところ人に加害を加えたりはしてなくて、始が狙われてるせいで周りの人が狙われることがあってもそれは始自身が悪いわけではない(ショウマと似てる)と思うので、アンデッドだからと嫌味を言ったりする虎太郎の態度にモヤモヤする。
そもそも失業保険の不正受給はそんな問題になるほど多いの?
これも生活保護の不正受給デマと同じで、事実とかけ離れた「不正受給してる者が大勢いる」というデマが蔓延し失業者に対する社会の圧力が高まった結果、ハロワの人が何度も言わなきゃいけなくなってるってことない?
裏金議員が罰せられずのうのうと大臣になってる一方で、必死に求職活動しながら失業保険もらってる者に対しては「不正受給は犯罪です!罰せられます!!不正してはいけません!!!真剣に求職して正しく受給して早めに就労して社会の役に立ちましょう!!!!」って何度も何度も厳しく言われるの、本っっっっ当に納得いかない。
日本って欧米圏の文化は文句言わず喜んで取り入れるのに、それ以外の文化圏の物事が入ってくると侵略だとか何とか言って排除しようとするよね。
白人かそうでないかの違いで、同じ「外国人」でも扱いが酷く違うのも吐き気がする。
わたしたちは既に様々な文化の混じり合いの中で生きているというのに、特定の文化圏だけは許せなくて排除しようとする心情は、間違いなく差別心でしょう。
「外国人政策」とか言って小野田が掲げてるものってどう見てもどう聞いても単なる差別なんですけど、なぜメディアははっきりとそのことを指摘しないんですか?
なんで、ずーっとずーっとそういう指摘を放棄して、市民から声が上がれば「差別発言か?」とか「賛否」みたいに言葉を濁して自分たちでは批判しようとしないんですか?
同様のテーマで、問題の本質に迫る良質な作品はもっと沢山あるのだろうけれど、「仮面ライダー」という結構大きなシリーズのヒーローにおいて、こういったテーマの作品が登場した意義は本当に大きいと思ってる。
何度でも言うんだけど、家父長制のともに行われる一族経営の悪辣さや、経営者・支配者による搾取構造、家父長制・マチズモからの逸脱を一貫して描いてくれた仮面ライダーガヴというヒーローが、この時代に生まれたことをわたしはこの胸に希望としてずっと持ち続けていたい。
働けて一人前とか、子供を生み育てて一人前とか、未だにそんなことを言ってくる人がいるので、そんなことを言う方が間違ってるっていう社会になってほしいし、していきたいです。
サービス残業してる人にとって労働時間の規制緩和は朗報だとか…冗談も休み休みにしろ。
サービス残業自体が間違ってんだよ。
労働時間の規制を緩和とこ本末転倒だろ。
まず国はサビ残しなくていい労働環境の整備をしろよ。
労働時間の規制緩和でサビ残が正当な労働時間として換算されるとか喜ぶの、搾取されすぎて感覚おかしくなってるよ。
もう生きていけない…本当にどうしたらいいの
自分が利用してる小規模なお店の店員さんと交流したりお話したりするけれど、もしその人たちが差別に肯定的だったりしたら怖いなって気持ちがここ数年ずっとあって、更に身体悪くして仕事辞めてからは(その職場でも差別的な発言は普通にいっぱいあった)、外に出て人と関わるのがとても怖くなってしまった。
わたしが弱いからなの?
世界をもっと信じるべきだとか、この社会の有様を見てそんな言葉を無邪気に投げかけるのは余りに軽率じゃないか。