LuLi
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LuLi
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舞台好き。 観劇の中心は井上芳雄さん、礼真琴さん、仁左衛門丈。 ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、クラシックなど。 近々の目標はコロナ禍で途絶えていた海外観劇再開。 観劇以外についても呟きます。魂はナイツテイル のアテネへ。 https://note.com/libra1983
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とりあえず、6月ごろからスタックしている各種観劇の感想をきちんとアップしたい。
ある種のお祭りが終わったので、元のモードに戻りたいと思います。
Xに投稿した件に関連して、様々な反応を目にしたのだけれども、宝塚を観たいという気持ちがスッと消えていく音を聞いた。

30年ほど付かず離れず宝塚観劇を続けてきた。ただ、宝塚ファンの掲げる常識は私には理解できぬものも多く。適度な距離で楽しむべき娯楽と思って付き合ってきた。
礼さんがトップになったことで、近づき過ぎたのだろうなと思っている。

最後まできちんと観たいの一心であったが、それだけでは済まない難しい世界なのだなと再認識。

礼さんが退団したら改革の進捗を確認しながら興味ある作品は観劇するスタイルに移行するのだろうと思っていた。
ただ、今はそれさえも…もういいかなという気持ちになっている。
週末、友人が誘ってくれたチケットがある。そして、そこは台風の直撃予報が出ている。
今はもう…公演を楽しみにする気持ちよりも、また諦めなくてはならないのかとの気持ちの方が上回っており。

退団公演のラストスパートを楽しむよりも、自分が期待して落胆したくないという気持ちが上回ってしまっている。
みんなが最後の時間を愛おしむ中に絶対に水は刺したくない。私だってそのつもりでいたのだから。

ラミンのコンサートもナイツテイルも行けるのだろうか…ネガティヴなことしか思い浮かばない。

全てのチケットを手放せば自分で決めたこと=自分の所為だと諦めがつく。たったそれだけのことをできずに悶々としている。
結果的に生活に被害がなにひとつでなかったことは本当にありがたかった。
だからこそ、なぜ私たちはここから一歩も動けないのだろうと。
何ヶ月も前から楽しみにしてきたこの日を楽しめないのだろうと。
仕方ないのはわかってる。納得もしてる。
それでも悲しいものは悲しいのだ。

コンバースの方は本当に丁寧に対応してくださり。観劇できるかどうか、決まったら知らせてくださいと言われていたので、17時に連絡を入れた時には声の震えを抑えられなかった。
この貸切が観たくて沢山買い物をして…出張先で当選通知を開いた時は本当に嬉しかった。あの瞬間で全てが終わって仕舞えば良かったのにと無茶苦茶な思いに駆られている。
最初は情報提供に感謝し、そのルートでは行けないと一件ずつ返信していたが、途中から「ありがとう」とひとこと返すのが精一杯だった。

地元コミュニティで連絡を取り合いたい人と今日連絡を取り合う必要がある人を除いて、LINEは全てミュートにした。
そして、最後は辛くてLINEもひらけなくなった。

本当に気持ちがありがたいのに。
一生懸命調べてくれたものを、それこそ1から10まですべて否定で返すのも。
「大丈夫だよ!」という励ましにありがとうと返さなくてはならないのも。

思い出してくれて、心を寄せてくれたことだけでも嬉しいのに。
現実を突きつけられることに耐えられなくなった。
海岸線を回避した車で道路がスタックするのも、電車が動いている駅周辺の駐車場が満杯になるのも、高速への道が動かなくなるのも…全て3.11の経験から住まう我らにとっては想定内。
そして、笑えないほどその通りに人が動いた。

友人宅に避難している間、私と友人の元には心配してくれたみんなが「〇〇経由したら」「△△は動いてるらしいよ」と連絡を沢山くれた。グループLINEでも心配の声をとどけてくれる人がいた。
でも、そのXで見たよとシェアされる情報は現地を知っている私たちにとって絶望を深めるものでしかなかった。
地形を、交通事情を、道を知っているからこそ。選択肢は猛スピードで消えていった。
星組「阿修羅城の瞳」
最後の平日夜公演コンバーストウキョウの貸切に行けなかった。
理由は津波警報でありとあらゆる交通手段ー最終手段のタクシーまで動かなくなったためだ。

心配した友人達が「絶対に平気」「開演まで〇時間あるから」と沢山励ましの連絡をくれていたが、私もそれから刀剣乱舞の公演を見に行く予定だった近所の友人も9:40に津波警報に切り替わった時点で、今日はおそらく無理だと覚悟ができていた。

マグニチュードと警報に切り替わったタイミング、津波の到達予想時刻…ハワイなど海外の状況を見るにつけ、6時間で警報が解除されることはないことも、電車復旧が早くて深夜なのも…
妻が出て行った夫、亡き恋人を9年思い続けるた男性、年上の上司に恋をする中年男性に、不倫関係にある元夫婦ー
身の回りにありそうな恋愛のシチュエーションを散りばめた本作は言葉の力を全面的に信頼しており。
会話として噛み合っている=成立しているのに可笑しいという絶妙なところを徹底的に攻めている。

ラブコメディを標榜するが、会話劇としての楽しさがコメディ要素を遥かに上回ってきたとの印象である。

炭酸の効いたレモンスカッシュを飲んだかのような軽やかさは、仕事帰りに軽く見るにちょうど良い質量だった。
はぐらかしたり、もてなしたり
(トラム/iaku/2025.6)

横山拓也作品を集中的に観ている。日常の中にあるドラマが平易な台詞で淡々と表現される点が気になっているからだ。
元教え子の歳の離れた妻が常日頃作ってくれていたオムライスにソーセージが入っていなかった。そんなシーンから始まる夫婦の物語りは小さなリアリティの集合体であり。特別なことは何一つないのに、そこはかとなく面白い。

トラムという決して広くない会場に用意された最低限の階段のセットは観客をありとあらゆる世界に連れて行ってくれる。
iakuはワンシチュエーションなどセットが作り込まれている印象が強いので新鮮だった。
だが、発声やニュアンス、間合い、視線ー
細かな解釈の上に張り巡らされた配慮により身体の大きさだけでは表現しきれないもの、すなわち、己の恋心で阿修羅となった女性を完全に観客に納得させてしまった。
彼女にほんの少しの身長があり、彼女のために衣装が作られ、あと少しの稽古時間が与えられたならば。
本役として十分成立するだけの見事なつばきだった。

特筆すべきは、直接出門の血を舐める描写が消えた宝塚版において「お前の血、美味しゅうございました」の台詞を成立させた点。
阿修羅城の瞳という戯曲が出門とつばきの壮絶な恋物語であることを彼女の演技は再認識させてくれた。

新たなつばきを観られたことに心から感謝。
本役(暁千星)も新感線版(天海祐希)も男役が演じた闇のつばきの詩ちづるさんが圧巻。

彼女のつばきは台詞のひとつひとつが繊細。
危ういところは一部あれど、台詞回しは流麗で一言一句が確実に脳に届く点、ノンストレス。

宝塚版への演出改変でわかりづらくなった出門とつばきの血の縁が彼女の演技によってクリアに描き出された。台詞とその間合いですべてを表現するとの強固なる意思でつばきと阿修羅が同一人物であることを違和感な明示した。

闇のつばきを演じる素養として身体的素養は大きい。
娘役としても小柄な詩さんのディスアドバンテージは計り知れない。存在だけで押しつぶされるような物質的迫力は彼女にはないからだ。
阿修羅城の瞳
(星組/新人公演/2025.7)

自分たちの芝居を突き詰めるー
未熟さはあれど徹頭徹尾貫かれた自分自身が考えた芝居が圧巻だった星組新人公演。
前評判は聞いていたものの、噂にたがわぬ素晴らしいクオリティ。

本公演において、何故このシーンの間にわずかな静寂やタメがないのかというところが綺麗に解消されており、演出家・熊倉飛鳥への期待値が高まる公演だった。
何れの役も本役の踏襲ではなく、自ら考えた役として、演じられていた点、芝居として大変魅力的。

主演・稀惺さんの芸達者ぶりに始まり、彩紋さんの南北や大希さんの邪空、圧倒的支配力の乙華さんの桜姫等、記録すべきことは数多あるが。
話がずれた。

芸術鑑賞において、コストパフォーマンスもタイムパフォーマンスも私は気にしたことはない。
短ければいいというものでもないし、長ければいいというものでもない。作品に適したパフォーマンスやフォーマット、長さ、そしてコストがあるからだ。

ただ、既知の作品においては投下コストに応じた演者やパフォーマンス水準は求める。

その水準をクリアした作品を自分が気に入るか否かはまた別の話。
例えば、自分がその人の役の解釈が違うとなったとしても。
そもそもの水準が高ければ満足はできなくとも不満はない。水準が低ければ…お察しを。
ケネス・ブラナーが主演監督を務めたハムレットという映画があった。
4時間を超える大作で、時代設定こそ異なれど、RSCのシェイクスピアのエッセンスが詰め込まれた作品は中学生の私にとってとても魅力的な作品だった。

上映終了後、手を洗い待ち合わせ場所に戻ったら、ニヤニヤしながら彼らがこちらを見てくる。「こんなつまんない作品、楽しいっていうの貴女しかいないよね」と同級生に言われた。

確かに、映像作品として長いのは事実だったが、シェイクスピア劇として削ることができるシーンはほぼなかった。
そう反論する私が、帰路の電車の中で誰かと話すことはなかった。今思い出しても不快な経験である。
宛書の関係で再演が抑々難しいというものもありますが、本公演で私が改めてみたいと思うものも過去10年だと辛うじて3本かな…といったところでしょうか。

今の世の中が求めているものが、自分の嗜好とかけ離れているのか、集団の変容なのか―
AKBや坂道といったアイドル集団(才能と努力で上に行ける可能性がある媒体)が出てきたあたりから大きく変容したなと思います。

技術の向上と継承される芸のバランスが難しいのは理解するのですが、宝塚はエンタメ界におけるポジショニング戦略で自ら不利なところに行こうとしているなという気はしています。
過去30年で秀逸な大劇場作品は数多あった。でも、その大半が20世紀なのだ。
作品の、脚本のクオリティで、物語の質で盛り上がりたい。その作品をより魅力的にする演技や演出で話が弾む経験をしたいのだ。

私の観劇動機が演者(生徒)を観ることではなく、純然たる作品としての魅力に浸りたいである以上。
脚本に魅力を感じられる可能性が極めて低い大劇場作品のSS席1.4万、S席1.1万を払うことはできないだろう。

A/Bの値段が据え置かれたため、興味ある作品は観劇するだろうが、S席へのハードルは高い。
1.1万円あれば東宝やホリのA席や、小劇場ストプレに分配したい。
今の私の正直な気持ちとテンションである。
そして、宝塚の座席料金改定の報を受け、私は本当に宝塚を観なくなるのだろうなと思っている。

世の潮流に合わせ、宝塚が値上げをしたこと自体はいいことだと思う。
雇用環境(特に賃金)が少しでも改善されるのならばそれは寧ろ歓迎されるべきことだ。

ただ、この値上げはコンテンツ力の向上なしには成立しないのではなかろうか。

過去10年の作品で。
出演者関係なく、作品としてよかったと会話が盛り上がる作品の大多数は「別箱」と呼ばれる大劇場以外の演目であり。オリジナル作がメインの大劇場作品では数えるほどしかそれがなく。
そして、その大半が版権もの、すなわちコンテンツ力が一定以上あるものばかりなのだ。
宝塚歌劇座席料金改定

礼さんが退団をしたら。
宝塚に関して私は限られた舞台しか見なくなるだろう―
漠然とそう思っていた。

私の宝塚観劇歴は、大きく4期に分けられる。
・中学~高校時代
・新専科~96期事件
・映像のみ(劇団への抗議期)
・礼さんトップ時代

事件後、劇団に対する怒り・抗議で長らく映像でしか見ていない時期があったのが、劇場に定期的に足を運ぶようになったのは礼さんの存在だった。
それに伴い、精神的ハードルが少し下がったこともあり、他組についても演目に興味があったり、B席が取れたなら観るようになっていった(なお、23年秋以降は礼さん以外は相対的に観劇数を減らしている)。
これまでで一番きつかったのは国際フォーラムAでのライブ。

1階後方席、傾斜がきついエリアで新聞紙をひいて靴を脱いで見ていたが、「前の奴、でかくて邪魔」「マジ、ウザい」と曲のと曲と間になるたびに言われた。
気が付いた隣の人が「気にしちゃだめですよ、前見て楽しみましょう」と声をかけてくれたのだが、インターバル間もそれが続き、回復不能になった。

耐えかねて係員の人に、最後列でいいから立見させてもらえないかとお願いしたが、結局どうにもならず。
折れてしまった心がどうにもならず、そのまま帰った。

以来、そのアーティストのライブは行っていない。
腰をずらせと簡単にいうが、3時間その体制で観ることを考えたことはあるだろうか。
その体制を10分取るだけでも腰は痛くなる。
そして、足を開いて座るなという書き込みもよく見るが、腰を前にずらせば膝が前の座席にあたるので足を開かざるを得ない。
普通に座れば、前の座席の座面の下に足を滑り込ませることができるが、腰をずらすとそれもできないのである。
これをマナーと言われてしまうと観劇などできなくなるのだ。

着座する人の座高に合わせた椅子というのが出てくるのはまだまだ先の話だと思うので、劇場側も子供以外の座高の低い人へのクッションの貸出等、もう柔軟に対応してもらえたら有難いと思う。
先日明治座の二都物語で通常よりも大きな帯枕を入れた御太鼓結びの女性が前に座り、舞台中央の役者が見えなくなるという経験をした。そういった回避できるものに対しての怒りはある。

ただ、前に大きな男性が来て、役者の足元が見えないといった程度の経験は身長が100cm程度の幼少時から数多あり(当時は子供用クッションの貸出はほぼなかった)。
また、そのことで不満に思ったこともない為、正直、そこまで色々と言う必要があるのだろうかとさえ思っている。

座高の低い人にも言い分があるのは理解する一方、こちらとて好き好んでこの身長になったわけではないのだ。
悪魔城ドラキュラの観劇について悩んでいる原作ファン(特に男性)に対して「観に行きましょう!」と勧誘している人を多数見かける。
それ自体、全く悪いことではないが男性=高身長という可能性が高くなるからか「腰をずらして座高を低くするなどのマナーを守って頂ければ問題ありません」といったリプライ散見されて、高身長の生き辛さを再認識している。

私は女性だが173cm。いつも椅子に深く腰掛け背中を座面に付けて観劇している。
それでも上演中に後ろから椅子を蹴られたり、腰をずらしてくれと言われることがままある。これは単独での観劇時によく起きる。
また、余談だが、男性の友人との観劇では一度も起きたことがない。
溜まりに溜まっている感想を順番に文章として整理して書くべきか。
とりあえず直近の観劇をきちんと文字にするべにかー

それが問題だ。

地獄の出張等により、チケットを手放したり感想がスタックしたりしている。

以下、スタック分。備忘。

・ボニー&クライド
・夜の道づれ
・阿修羅城の瞳/エスペラント(東京終了後)
・Back to the Future
・おどる夫婦
・二都物語
・大歌舞伎(音羽屋襲名5,6月)
・芳雄のミューFes
・Robin the Hero/Overture

etc...
どのブランドでも、コレクションが自分に似合う年は色違いですべて購入することすらあるし、好みでなければ全く買わない。そのため、短期ではなく超長期でお付き合いしてくださる担当者が私にとっては本当に重要。
その点を、2回の訪問で理解し、手持ちの他社ブランドとの取り合わせなども言及してくる点、あっぱれとしか言いようがない。

インターネットでも商品は購入できるが、絶対に彼女から買いたい。
そう思える担当者が久々にできたことをとても嬉しく思っている。
こういう方が増えると、お洒落もショッピングも格段に楽しくなるのよね…
礼さん退団に向けて白服を探す過程でご縁のできたブランドの店員さん、お若いがtheプロフェッショナル。
店舗には2回しか行ってないが、さもない会話から私の好みをしっかり把握し、体形の特徴、服の素材や色など考慮し、的確なアドバイスとコンサル、FBがある。
気になる商品を問い合わせたところPos/Negを整理し、理由を明確にした上で買わなくていいのではとまで言ってくれた。

かっちりとしたスーツやワンピースはそれぞれ好きなハイブランドがあるのだが、新卒からお世話になっていた担当者が退職したのだが、いずれも似合うか否かではなく、とにかく売れればいいという担当に変わり、ショッピングが楽しくなくなった。