なきりけい
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技術系中間管理職な占い師。 哲学や社会学の知識を用いながら、占いを「社会から個人を見る術」として解釈しています。
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守破離における離は、自ら離れるではなく自ずと離れていくもの

といった旨の文を目にしたことがあります。
この言葉を正しいとするならば、破から抜けようとする気持ちが薄れたときに離の領域に踏み込むのかもしれません。僭越ながら……。
山紫さんの守破離のご説明はまさにそのとおりだと思います。

守破離は千利休によってまとめられたものと言われますから、山紫さんの論を元にすれば、日本人がダニングクルーガー効果に気付いたのは安土桃山時代になりますね😆
易には人生訓としての解釈(易学)と占いとしての解釈(易占)の二通りがある。二通りあるということはすなわち両輪であって、どちらかが欠けるとまともに前へ進まなくなる。だから易学本ばかり読んでいても易占本ばかり読んでいてもどこかでつまづくのは明白なのだ。

とはいえ占い師にも特性があるため、自分の思考が易学寄りなのか易占寄りなのかを早めに知るに越したことはない。あるいは自分が目指す先がどちらかといってもいい。ただこれは独学のほうが気がつきやすく、習っていると気がつきにくい。仮に気付いても先生にあわせるしかないのが実状ではある。

もちろん私は易学寄りだ。
ありますね、そういう瞬間

銀魂はオマージュではなく、あれはどう考えても悪ノリです😂
占いを始めたばかりの頃は当たるが、しばらくすると当たらなくなる……というのが占い界隈では常識だそうな。ただそこで何が起こっているのか、占い師として何がどう変化することで当たらなくなるのかをちゃんと説明している文章・言葉を見かけたことがない。

まあ、ダニングクルーガー効果以外の何ものでもないのでは?と個人的に思うところ。馬鹿の山を越えるまでが「始めたばかりの頃は当たる」であり、山を越えて絶望の谷に向かうまでが「しばらくすると当たらなくなる」とすれば十分に説明はつく。

つまりは当たる外れるは大きく変わっていないものの、当たったと勘違いしている状態から外れたと認識できる状態に移行しただけだ。
好きな作家は誰ですか?
好きな芸能人は誰ですか?

この手の質問にはいつも困ってしまう。好きな本はあっても、その著者が好きな作家ではない。格好いいと思う・可愛いと思う芸能人はいても、好きな芸能人ではない。

これは屁理屈なのかもしれないが、その作家なり芸能人なりを好きになるだけの情報はあるのだろうかと思ってしまう。会ったことも話したこともない人を好きになるという感覚が私にはわからない。現代ではネットの発達によって会う話すという境界が揺らいでいるため、何をもって会う話すといえるかが難しい。とはいえそれを差し置いても、推し活というものがまったくわからない。
同じくないない範囲に入ってしまいました😭

今年は心の目で雲の先を想像しましょう……
講座そのものを批判する気はないのですが「感性で読む」だとか「直感で読む」という枕詞がついている講座は、何をどうやって教えているのか気になります。何かを導く過程や方法を意識せずにやるから感性や直感であるわけで、それを教え伝えるならば過程や方法を明確にしなくてはならない。それは感性の順序説明であり、理性の領分だと思うのですが🤔
某所で「もっともダサくてもっともユーザーフレンドリーな芸能人のページ」と言われていたのを覚えています。
「なぜ」から始まる悩みには終わりがないが、「なに」から始まる悩みには終わりがある。悩みに振り回されていると感じたなら、まずはその問い方を変えてみる。

たとえば「なぜ恋人ができないのか」ではなく「恋人という存在になにを期待しているのか」と問う。期待が大きい小さいといった量はすぐに思い浮かぶだろうが、何に期待しているのかは簡単に浮かんでこない人が多いはずだ。

でもそれが正しい。安易安直な答えに飛びつきそうになる心を抑え冷静になったとき、あなたの求める恋人という名の存在が見えてくる。
半額セールだぞ、買えよ、買うよな?!

とAmazonがカント、ヘーゲル、ハイデガーを推薦(ゴリ押し)してくる……その人らの本な、入門書でも理解するのに時間かかるんよ。どれもほしいけど、今はいらないんよ。

とりあえず「ハイデガー『存在と時間』入門」は買った。
Reposted by なきりけい
私が新卒だった20年前は、先輩から「仕事はとりあえず60点を目指せ」と教えられた。半分よりちょい上、ギリギリの合格ラインでいいから早めに持ってこいと言われたもの。それが現在はどうだろう。合格ラインは80~90点、修正時間なんてほとんどない一発勝負なことばかりだ。

失敗が許されない世の中なんて揶揄されているけれど、もはや許される許されないの段階ではなく失敗を想定されることすらタブーな世の中になってしまっているのではないか。これが時代と言われればそれまでだが、かといって正しい世の姿とは到底思えない。
「大難を小難に、小難を無難に」は過大評価されている言葉だと思う。

大→小→無といかにも不幸不運を軽減しているように見えてしまうけれど、これらは「あなたが選ぶことのできる選択肢が増えますよ」と言っているにすぎない。大難にはごく限られた(ほとんどの場合一つの)選択肢しかないが、小難になれば選択肢が増え、無難までいけば余程いい加減な選択をしないかぎり事を乗り切ることができる。ただそれだけだ。

よって小難であっても難は難であり、解決にはそれ相応の時間と労力がかかる。無難は難がなくなるのでなく、難なく(いつも通りに)事がこなせるだけで面倒くささは残る。ここを勘違いしている人が多くなっている気がする。
昨晩は易の勉強会。

取り上げた卦のなかに「地雷復」がありました。復卦もなかなかに捉えにくい卦のひとつですが、中国史に詳しい方にはこれで通じるでしょう。

『劉邦や劉裕、朱元璋が挙兵した時期の中国の様子に等しい』

平民から後の皇帝となる人物(初爻の陽爻に相当)が挙兵したばかりであり、世直しの機運はあるものの安定した世にはほど遠い。こんな状況が復卦です。復活復帰の道筋はまだなく、あくまであるのは兆し(スタートライン)だけなんですよね……。

復という字がもつ印象と目にみえている現象とのギャップが大きいので、ここを適切に埋められるかが解釈のポイントであると、私は感じています。
現代は情報を手に入れれば良いというものではなくて、雑多な情報から必要に応じて取捨選択した・された情報を手にしなくてはいけなくなった。情報は多ければ多いほど良いという時代はとうの昔に過ぎ去っている。

昔は収集能力に長ける人が重宝されたが、今は選択能力に長ける人に取って代わられている。そしてその選択能力も、情報を適切に選ぶ(拾う)ではなく、適切に捨てるに比重がおかれている。いわゆる要約であり、AIがもっとも得意とする分野になる。

ただしAIは与えられた情報の要約は得意だが、与えられなかった情報の扱いは当てにならない。ここに人とAIの協同の道があると私は思っている。
しょうぶを しかけてきた
とあるものの、その姿には「さあ、全力でかかっていらっしゃい」という余裕すら感じます

なおトレーナーがサイコノイズとチャームボイスが使えるため、常時回復不可&攻撃必中状態で倒さなければいけないという倒すのが激ムズのトレーナーであるw
ファミコンを知っている世代にしか通じない表現であることは重々承知していますが……占うとは

 オーケストラの生演奏を8bit音楽に変換して出力すること

に相当すると思うのですよ。森羅万象というオーケストラから、その場に必要な3つの音まで情報を絞り込む。ほとんどの情報を捨てはするけれど、音楽あるいは文章として成り立たせる。それが技量だと思っております。

x.com/aidoyuzuna/s...
x.com
「無言の帰宅」がわからないか🤔

慣用句の理解は、これまでにそれが使われている文章を見聞きしているかに依存する。だから知らないものがあることは仕方がない。ただ「こういう意味ですよ」とやさしく注意(指摘)されているのに「は?そんな意味では使ってないんだが?」と逆ギレするのは大人のやることではないとは思う。
Reposted by なきりけい
\\🌃9.26 (FRI)21:30プレミア公開🌕//
久しぶりのソロ歌ってみた投稿です!
擽ル先生の美麗イラストとまるで映画のような迫力あるMVを、ぜひご覧いただけたらと思います...✨
どうぞよろしくお願いします!🙇

月を見ていた / 米津玄師 covered by 庭和みずく
www.youtube.com/watch?v=7BRl...
【女性キー】月を見ていた / 米津玄師 covered by 庭和みずく【歌ってみた】
YouTube video by 庭和みずく- niwawa mizuku
www.youtube.com
読書レベルが上がったと思う瞬間。

前書や序章を読んで惹きつけるものがない本を、本章に進むことなく閉じることが出来るようになったとき。本代より自分の時間のほうが貴重ですからね。もったいないからと自分の時間を浪費するより、本を閉じてさっと忘れることが出来たなら読書家としてレベルアップです😊

達人級になると表紙や題名を見ただけで面白さがわかるのだとか。さらにレベルアップして至高の域に達すると、本屋に並ぶ本を眺めただけで自分の読むべき本が光って見えるそうですよ🤔
人生のコンセプトなんていうと大げさだけど「ここから数年はこの方向に進む」という目標目的がないと毎日が右往左往してしまう。紆余曲折あって……というのも悪くはないけれど、それでも自分のなかに道しるべはあったほうがいい。

なお道しるべを導くのに占いを使ってもいいし使わなくてもいい。それが信頼できる誰かからのアドバイスでも、私淑している歴史上の人物の言葉だって構わない。
先日夢がひとつ叶いました。
その夢というのは「リビングに大きな本棚を置く」というもの。

置くだけならいつでも出来ますが、そこに並ぶのは子どもの本だけというのが私の夢の条件。娘が「もっと大きい本棚がほしい」と言ってきたので心の中でガッツポーズをしながら「どれくらいのがいい?」と訊くと、壁を指さして「ここいっぱいのやつ!」と満点な答えを返してくれました🥹✨

なお娘は娘で、大きい本棚に自分のお気に入りの本を目一杯詰め込むのが夢だったそうです。やはり親子なんだなと思った瞬間です😊
知性や品性という言葉は、それらを備える人を讃える言葉であって欠けている人を蔑むためにあるものではない。知性がない、品性に欠けるという負の文脈ばかりで使われていることが悲しい。