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メモ帳
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夏と冬しかなくなりつつある。
冬物衣類が足りてないのもあり、どうにも耐え難いので、やむを得ずおとといの夜からオイルヒーターを入れている。カバーもしてない状態だったので、スイッチ部分とコードだけ拭いて、そのまま使用。今朝になり、寝室の方は切って、窓も開けている上、さらに外気が恋しいくらいなんだけど、別室の室温計を見ると、18℃近くになっている。20℃程度でも耐え難くなる体質なので、あれ、おかしいなと思って、念のため熱を計ったら、やはり微熱があった。頭痛もそのせいか。湯たんぽは入れ直してから寝たけど、たぶん踵からの冷え。
しるこコレクターのことも
しるこコレクションの略称、シルコレ
ありがとう( ; ; )
お陰さまで、大分よくなって来て、昨日は久しぶりに受診してきました。パナマはんも、くれぐれもお大事にね。
週末から体調を崩している。
普段から一年中具合が悪いのだけど、そこからさらに体調を崩してみると、具合悪いなかにも、それなりの活力とそれに根ざした驕り、それから狂気というものがあったのだなということがわかってくる。
体調を崩すことで、健康の有り難みがよくわかるというほかに、健康特有の(身体を忘れてしまいがちな)異常さもよくわかる。
…と思いながら、少し良くなると、またその良くなった分だけ甘えてしまうのだから、しょうもないんだけれど、せっかく体調を崩したのだから、本当は変えたいなと思っていた方へ、ちょっとずつ修整していきたいと思う。
「これはジャックの建てた家」がいつの間にか「これはジャックの食べた家」になる体質
Twitter で、「大勢の人に恐れられている者は、大勢の人を恐れることになる (Necesse est multos timeat quem multi timent)」というラテン語の警句(?)を見かけて(カエサルに向けられたものと考えられているらしい)。
「大勢の人に恐れられている者」を「大勢の人に忘れられている者」に空目。
大勢の人に忘れられている者は、大勢の人を忘れることになるのか。やはりそうか。
でも大勢の人から忘れられるためには、まず一度は大勢の人に憶えられる必要があるので、大勢の人と関わったり注目されるくらいの社交性や活動性が求められる。
「大勢の人に恐れられている者」を「大勢の人に忘れられている者」に空目。
大勢の人に忘れられている者は、大勢の人を忘れることになるのか。やはりそうか。
少しだけ陶芸をやったときも思ったのですが、手で何かをこねたり形成したりすること自体が、心身を癒やす効果があるような気がします。指先から伝わる感触のおもしろさや、物質の状態が自分の手によって具体的に変化していく過程など、頭や言語的な活動、対人関係特有のストレスを離れられる、とても貴重な時間な気がします…。
とても美味しそう!お料理がストレス解消って、素敵です。混ぜたりこねたり、と言われてみると、何だか粘土のようでもありますね。よい香りのする食べられる粘土…。
ついに、うちにも金木犀の香りが漂って来た!
カーテンを閉めるために窓辺に立ち、庭を見ていると、何か窓ガラスの外側に動くものがあり、小さめの蛾のようだった。ジッと観察したかったけれど、体調も悪く、ほかに優先してやらなければならないことがあったので、脳内で「申し訳ないけれど(いまはあなたを観察することはできない)」と話しかけてからカーテンを閉めた。
…という自分に対し、いや申し訳ないって何だよ、蛾にしてみれば、べつに私に観察なんてされなくても一向に困らないし、むしろされない方がいいくらいだよ、と微熱のある頭で思った秋の夕暮れ。
「さきほど撮れたての中秋の名月」を
「さきほど壊れたての中秋の名月」に空目
山東京伝の名を知ったのは、百閒からで、はじめ「山(やま)・東京・伝」だと思っていた。山Tokyo伝説。
帽子はペットボトルのお茶のキャップ
たしか、眉毛は木の枝で、目は白山吹の艶々の黒い実、くちびるは山茶花の花弁だった気がする。
母との通話画面に出てくる雪だるま(母作)
自分を偽れないというか、自分を欺けない、の方がより強いかも。
先日 Twitter にこんなことを書いてしまったが、ものを思うとき過去と現在は混ざり合うものであるとはいえ、ここでは主に10代〜20代の頃の感覚を思い出しながら書いていた気がする。
現在は大抵のとき、自分という総体が輪郭を失いがちで、ただその時々で現れる細かな感覚がバラバラに散っている。
年々その傾向が増しているため、何かを言語化しようにも、言葉に収められるほど感覚が均一化されておらず(そのため、言葉ひとつひとつがいちいちゲシュタルト崩壊する)、また言語化欲そのものが減衰しているし、自分になろうにも、自分という纏まりを留めておけるほどの固定力や粘着力みたいなものが不足している。