明日 雨
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燗酒好き。ドラマ好き。アイコンは神田まつやの鍋焼きうどんです。ここのアカウントには、主に朝ドラと読んだ本のことについて投稿してます。フォローもフォロー解除もお気軽に、です。
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「恋と革命」の人もいる。「恋と生活」の人もきっとたくさんいる。恋の相手の性別が、という話ではなく。そして、「恋」の成就と遠い人もいるだと思う。

恋って何かな、とも思う。人間と人間とのこころの交差を恋と呼んだのでは。というような私の人生を顧みて、人間が人間を求めてしまう欲求についても考えてしまう。
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#ぼくたちん家

じわじわ、涙が出てきた。

自分らしく生きてゆく。うまく言えないのだけど、積極的な意味だけじゃなくて、「上手に息をする」という意味合いにおいての、自分らしい生き方。そういう息の仕方についての物語であるような気がした。観続けよう。
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そんな個人的なことは置いておいても、何故こんなことをここで書いたかと言うと、 #ばけばけ の世界に繋がる気もしたからです。

圓朝のマクラを、ずっとずっと、思い出しているのです。
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#ばけばけ

オープニングの、「学があったら、お化けの話など馬鹿らしくて〜」の流れに、圓朝(江戸〜明治の噺家)の「真景累ヶ淵」のマクラを思い出した。

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「今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申しますは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございまさん、と申すものは、幽霊と云ふものは無い、全く神経病だと云ふことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌ひなさる事でございます。」
(「明治の文学第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房 より引用)
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私にとって、西洋の影響を受けた日本の近代文学というのがスタートにあったので、「近代以前」と出会ったことは、すごくすごく大きかったのだ。
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知らないけれど、知っている。
たぶん、この感覚は、日本列島の歴史に根を持つ。

こう思ったのが、ここ5、6年の(もっと遡ると大学生からの)私の興味です。今まで知らなかった(=言語化されてこなかった)からこそ、とてつもなく惹かれるのだと思う。
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最新のspotifyで話したこと。

合理的な社会になる中で、(そして、そんな社会に生まれ育った私もまた)、人間の中に消えない非合理のもの。について想起して話しました。日本の芸能についての本、について。

spotify.link/Nn30d0ANvXb
#11 逸脱者が作る新しい文化|『メディアの発生: 聖と俗をむすぶもの』
spotify.link
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喜劇って何、笑いって何、と考えている私に、メタ喜劇としてその片鱗を見せてくれる物語である気もする。

演劇について、この時代の舞台について、ストリップについて、街と文化について、何か良い本あったら、誰か教えてください。

#もしがく
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#もしがく 面白いですね〜

シェイクスピアも演劇史も全然知らないのだけど、妖精パックはガラスの仮面で知っている。

1985年・渋谷百軒店、という歴史としての場に
横断する、シェイクスピア(劇中劇としての「夏の夜の夢」と、他にも引用している物語がありそう…と思うのだけどどうなのだろう、有識者の解説欲しい。神社の立ち位置とか。)という古典。
大河みたいな作りのドラマなのではないかなぁ、なんてことも思う。
(あくまで作りという側面で、「光る君へ」を思い出しつつ。)
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<日記>
昔、ミスドのエビグラタンパイが好きだったな〜。ということを、ふと思い出した今日でした。

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いつの間に複雑と制御不能を知るかつて世界はエビグラタンパイ

何となくため息つきて幼さと甘さの混じるエビグラタンパイ
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spotifyの次の録音のために、新刊を何か探しに行ったのが今日の目的だったのだけど、小一時間本屋さんをウロウロして、やっぱり自分の興味のある本を読みたいなぁ。というところに終始したのであった。
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「武家」(武士の家)というものに興味があり、今日本屋さんで見つけたこちらを購入。序章を読んで、もうちょっと手前の基本の内容をじっくり知るのでも良かった気はしたのだけど、そのあたりは他の文献を調べたりして補いつつ読むとして。その上で、読み物としてワクワクさせてくれそうな一冊。読むの楽しみ。
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そういう、トキの淡いこころの要素と、「父」「母」という愛情と、「イエ」の問題が重なっている。
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脚長おじさん的なニュアンスも感じる「おじ様」
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トキにとっての「おじ様」、父的な大きな存在と、恋ともつかない淡い憧れとの重なりにあるのだろうなぁ、と思った回でもあった。

清光院と松風の怪談、「怪談って寂しいもの」
傳さんと銀二郎さんと、何故繰り返されるのだろう。と思っていたけれど、トキにとってのときめきの様なもの、が重なっているのだとしたら。

#ばけばけ
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で、定信の旧里帰農令の対象者には、まさに昼間に(ばけばけの文脈で)書いていたような、農村の二男三男も大いに含まれると思うのだけれど、、
奉公に出されたり奉公先でうまくいかなかったり、出奔したり。いずれにせよ、不景気で食えなくなっている「旧里」に、帰る場所なんて無い、というような人々を、呑み込むのが都市の「悪所」なのだろう、なんてことも思った。
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「部屋住み」
(江戸時代の部屋住み、の項目が、この時代の次三男についての記述)

「無役の閑人」と書いたのは岡本綺堂だったのか。
「大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば頗る悲惨な境遇に置かれていた。」
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%...
部屋住み - Wikipedia
ja.wikipedia.org
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おていさんを観ていて、「新之助の儀」についても思い出した。
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#大河べらぼう

蔦重は、「実際に会った人」にしか情けをかけないから…と思っていたところ(感想として書いてもいた)、定信との対面が実現し、驚く。とても印象的なシーンだった。

しかし口八丁の蔦重と、倫理の定信は平行線。
(狂歌における)「白河」と「田沼」は本当に二項対立なのか?実際には、その流れの入り混じるところがあるはずで、魚はそこを行き来しているのではないか。

おていさんの、論語による矛盾の指摘は、そういう永遠に交わらない二項対立を、縦に斬るようなものにも感じた。
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#大河べらぼう 前半まで観たところ。

やっぱり、定信と直接会おうとする蔦重が描写されるが興味深い。(先週の回の感想で、蔦重の危なっかしさについて以下の投稿のように書いていた。)

蔦重にとって、「世界」は知っている人たちで構成されたもの。それ以外は、対岸なのだと思う。(それは「民」=黄表紙の読者層、の持つ「世界」観と同じなのではないか。)

一方で、須原屋が地球儀を回しながら語る「世界」も、源内が観ていた「世界」も、それは蔦重の想定を遥かに超えるものである。そして、源内的意味合いの「世界」が、蝦夷の文脈に繋がってゆくわけだな。
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蔦重が不安定で危なっかしいのは、この「欲求」についての線引きができてないからだろうなぁ、と。

一方で「欲求」を大いに肯定するわけだけど、それを挫く対岸の他者の存在があり、それについては激昂し行動しようとする。
どこからが対岸で、どこからがこちら側なのか、というのは、突きつめると「情」があるか否か、ではないのか。(「情」をかける相手は、蔦重が実際に会ったことがある人、というのが、この物語においてはあるような気がする)

でも、それは封建社会下の町人の限界でもあると同時に思う。蔦重は主人公だけれど、「正義のヒーロー」にはなり得ない。うまいバランスなのだろうな、とも思う。

#大河べらぼう
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出身地の話よりも、旅行先の話を聞くのが好きなのは、酒場ならではだと思います。根本を知り合いたいのではなく、表層で重なり合うものを瞬間共有できたら良い。酒場というのはそういうバランスの場所で、それこそが尊いのだと思うので。
(SNSは真逆で、現実を全く知らない人と根本の言葉で共鳴し合えるのがすごいと思う。どちらも上手く使うのが良いと思う。)
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<雑記>
実家の父が、ダイニングテーブルの横の新聞に重ねて、私たちが子供の頃使ってた地図帳を置いていて、話の流れやテレビの映像に合わせてパラパラ開いては、「ここかぁ。こんなところだよ」と見せてくれたのだけど、最近やっと地図を見る楽しさを覚えた私は、お店にも地図帳置いておこうかな、とふとそれを思い出したのだった。

地理からわかることってとてもあるんだなー、とこの歳になって改めて知ったのです。お客さんの話の中では、旅行に行った話を聞くのが好きなのだけど、地理を知るとより解像度が上がって楽しく話を聞ける気がする。
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それはそうと、二男の死と養子に出されたトキと、何か関係があるのかな。とただの勘で書くのですが。現実的な話じゃなくて、何か別の力(呪いとかそういう類の)がもたらす不幸を引き離すような行為としてあったのでは、という可能性についても、ただの勘で書いておく。
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「部屋住み」
(江戸時代の部屋住み、の項目が、この時代の次三男についての記述)

「無役の閑人」と書いたのは岡本綺堂だったのか。
「大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば頗る悲惨な境遇に置かれていた。」
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%...
部屋住み - Wikipedia
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二男・三男(家督を継がない者)の境遇の悲惨さ(人権のなさとも言ってしまえそうな)は、私は「雨月物語」から知りました。べらぼうの新之助も御家人の三男だったのでどこか連想させて見ていた。豊雄も新之助も、「イエ」から出た者。

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#大河べらぼう 9話

「吉原の恋の地獄」の全てが詰まっていたな…凄いわ

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この説得力を下支えするのは、個人的にはやはり新之助だと思う。

「御家人の三男」という設定なのだよね。この時代の「長男でない者」たちの浮遊感については色々な文献で読んだ。
(そういえば、上田秋成「雨月物語」の「蛇性の淫」の主人公・豊雄も三男。こちらは漁師の家だけれど)

加えて、刀を構えるも切ることはできず、切腹もできない、「もはや闘うことのない」武士身分の子、なのだよな。

「不甲斐なさ」の背景には、社会秩序の大義名分とズレてゆく現実の社会があるのだろう。爛熟する"徳川の平和"という社会。
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トキの独特の無神経さは、彼女の苦境ゆえで、松野家の笑いの底に流れるものだよなぁと再確認する。

苦しさや恨めしさ。恐ろしさを相対化するように怪談を求めるトキと
恨めしい気持ちに自分の感情を重ねる(「怪談って寂しいもの」という言葉)銀次郎とは、同じ怪談好きとは言え、見ているものが全然違うのだろうなぁ。なんてことも思う。

#ばけばけ
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→キャラ造詣において、確かに「うっすら馬鹿に」してる側面もあるのだろうけれど、それを他者としてでなく、自己として引き受けているような感じなのだろうな、と思った。人の痛さを笑う、じゃなくて、自分の痛さとして、それを引っくるめて物語を切り拓いてゆく面白さというか。

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コントにおける女性が、客体でなく主体となる。
ということが、少なくとも大会を観ていた私には、文脈として欠如していたのだな、と思い至り、すこしびっくりもした。
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遅ればせながら、 #キングオブコント 録画で観ました。面白かった〜!密かに応援し続けているロコディ優勝も嬉しかったです。めでたい👏

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レインボーの「女芸人」だけ、実はどう受け取ったらよいのかわからず(カーネーション吉田さんを余り知らなかったのもあり)、「馬鹿にしてる」という受け取り方で良いのか…?と考えを巡らせていたのだけど、

レインボーにおける「女性」って、コント的客体ではなくて、物語の主体なのではないかと思い至った。

物語の視点はジャンボ演じる男性にあるが、実は彼は狂言回しで、池田演じる女性が、「見られる」キャラに見せて、実は物語の主体なのではないか。→