八洲 太郎
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八洲 太郎
@himayano.bsky.social
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矢は野に放たれ、貴き鷹が羽ばたく、之すなわち雪の暦なり。
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毎年のことながら、シューワ石油の灯油巡回販売で流している「雪やこんこ 霰やこんこ」の曲を聴くと、間が抜けてるなと感じる。
年々、冬の降雪量は減っている。
自分が住んでる地域でも、冬に3、4回程度しか積雪しない。
チラチラと雪が降ることはあってもガッツリ積もることは、ほとんど無くなった。
だから尚更、「雪やこんこ 霰やこんこ」なんて曲を延々と流して回ってる灯油巡回販売には違和感しかないし、何よりうるさい。
大きな音で走り回るのは迷惑でしかない。
季節感に欠ける曲を流して馬鹿丸出しだなと思う。
今どき、灯油はホームセンターで買ったほうが安い。
今年の冬も、この馬鹿丸出しの曲を聴かされるのかと思うと
HSPの特性は良く言えば繊細、悪く言えば神経質である。
ただし気質や性格の指標でもあるので、特性に関しても幅広い範囲が含まれると思う。
若いときには一時的ではあるが潔癖症のように何度も手を洗ったり、外出時に何度も鍵をかけたか確認したりといった行為も、広い意味では特性に含まれるように思う。
ただ、これらは年齢と共に変化して、現在ではほぼ無くなった。
逆に若い頃から変わらないものとしては、アナログ時計の秒針を刻む音は苦手なままなので、自宅の時計は全て連続秒針の音がしない時計か、デジタル時計に変更してある。
また、身体を締め付けるものが苦手なので腕時計のベルトやズボンのベルトも避けており、日常生活で
別に書くことは無いのだが、適当に。
都会に住んだことがないので、食べ歩きなどにも無縁だったが、屋台や惣菜店の食べ歩きみたいなことをしてみたかった。
日々、のんびりと暮らしている。
世の中は政治やらスポーツやらで賑わっている。
外の世界で何が起こっていても、画面越しなので遠い世界の出来事のようだ。
身近に感じれるものといえば、天候と気温。
毎日が、ただ何となく過ぎていく。
何かをしようと思えども結局、何もしない。
したところで、何も変わらない。
一年の経過は早く感じるが、一日の経過は遅く感じる。
健康診断も人間ドックもやってこなかったので、気づいたときには末期だろうけど、それで終わるならそれでも
11月だというのに外に出れば汗ばむくらいの強い日差しである。
YouTubeを観て過ごしているせいか、少し目が痛い。
やはりディスプレイを長時間見続けるのは目に良くないようだ。
YouTubeのおすすめで流れてくる動画を観ているとToni Basilの「Mickey」のMVが流れてきて、何となしに観た。
ふと思ったのが、どこかで観たような構図。
思い出してTailor Swiftの「Shake It Off」のMVを観て、既視感があったのはこれかと思った。
時代が代わり内容に変化はあれど、おおよそ一周して、また戻ってくるのが流行なんだなと思った。
現代で新しいと思っているものも、その幾つかは過
自転車での悪質な交通違反を理由に、車の運転免許が停止になる事例があるとのこと。
来年4月からは自転車による交通違反の罰則が強化され、自転車であっても罰金を払うようになるらしい。
個人的は自転車にも車にも乗っているので、違反が少なくなって安全になれば、それに越したことはない。
特に車に乗っていると、突然飛び出してくる自転車にヒヤッとしたことがある。
逆に自転車に乗っているときは、交通ルールをあまり意識していない。
車道を走るときもあれば歩道を走るときもあり、車が少なければどこでも車道を横切って渡ってしまう。
最近は車のバッテリーあがりを防ぐためにも車に乗る機会が増え、自転車に乗る機会が無くなって
コロナに2回感染して、2回ともそれなりにキツかった。
それでも思うことは、コロナが世の中のオンライン化を進めてくれたように思う。
今でこそ風邪と同様の扱いになっているが、かつては未曾有の感染症扱いだった。
コロナで亡くなった人の遺体にさえ触れられないという事態だった。
個人的には食事は黙って食事そのものを楽しむという点で、黙食も良かったと思う。
オンライン化がもっと進んでいればZoomなどのアプリも増え、仕事のみならず学校の授業も在宅で受けられて不登校という言葉が無くなっていたかもしれない。
ほとんどのやりとりを通信で済ませるようになれば、通信のインフラも飛躍的に伸びたと思う。
未来がそこまで
タイミングよくChromebook Plusを手に入れたように、できればSteam Deckも手に入れたい。
美しいグラフィックのゲームがしたいわけでもなければ、3Dのゲームがしたいわけでもない。
過去にスカイリムを1000時間以上遊び尽くしたので、もう同様のゲームに魅力を感じない。
ヴァンサバのような短時間でサクッと遊べるゲームがいい。
ハンドヘルドPCであってもWindowsPCには戻りたくないし、家庭用ゲーム機にも関心が無い。
長時間かけてゲームをしても疲れるだけなので、30分以内でプレイできるものが望ましい。
結局はファミコン世代なので、難しい操作もストレスを感じるだけになる。
のんび
眠りから覚め起きてまず、さて何をしようかと頭を悩ませるところから始まる。
特にすることは無い。
毎日同じこと。
キッチンへ降りてNest Hubでサティのジムノペディを聞きながら軽く食事を済ませ、コーヒーを飲みつつ猫と戯れる。
食事をしただけなのに、もう眠い。
居間のカーテンを開け、明かりを取り入れつつ雑用を少し済ませる。
これでもう、することは無い。
あとは歯を磨くことぐらいだろうか。
いつの間にか昼になり、いつの間にか夜になる。
気がついたら一日が終わっている。
特に何かをしたわけでもないのに。
時間を持て余した大昔の人々と、なんら変わらぬ日々。
50年や100年ぐらいで、本質までは変わら
映画を最初から最後まで通しで観ることが出来ない。
どうしても途中で一時停止して休憩を入れないと、観続けることが出来ない。
どんなに面白い映画であろうとも。
読書も同じ。
一冊の本を読み切るのに、途中で栞を挟んで閉じ、また開いて少し読んでは閉じるを繰り返し、読み切るのに時間がかかる。
なぜかわからないが、疲れる。
集中力が続かないのもある。
YouTubeで10分程度の動画を観るのにも、途中で何度か休憩を入れてじゃないと観れない。
年齢的なものだろうか。
とにかく集中することが出来ない。
年々、続かなくなっている。
元々、何であれ継続することが苦手ではあるが。
今に至るまで何かを継続してきたこと
夢を見ると、自分の本心を知るように思う時がある。
睡眠中の夢なので、脳が勝手に作り出した創作である。
しかし、その創作は過去の記憶を元に作られている。
なので、まったく無関係なものが創られるわけではない。
現実に存在する人物、現実に存在する場所、かつて見たことのある映像。
音や会話は継ぎ接ぎな場合が多く、映像以上に意味不明なことがある。
それでも何かしら意味を持っているのは、何らかのワードが印象に残っているからだろう。
そして感情。
普段の生活では怒りを表に出すことは、まず無い。
怒りや悲しみを感じても、いちいち外に出さない。
だが夢の中では、それが解放される。
睡眠によって一時的に本音が解放
冷え切った空気に包まれた真冬の早朝、まだ暗いうちに実行しなければならない。
人目につかないように。
脚立にあがり予め準備してあった首吊り用の縄を軒先の木に通し、しっかりと固定した。
あとは縄の輪に首を入れて脚立を蹴り飛ばせば、全てが終わる。
やっと、この肉体から解放される。
これで、やっと。
特に思い返すこともない。
いざ、という時なって初めて心の声を聞いた。
「お前が死ぬか、お前以外の全ての人間が死ぬか、選べ。」
なぜそんな声が聞こえ、そんな選択肢が出てきたのか、わからない。
頭の中に響く、その声を聞いて暫く考えた。
そして縄の輪から首を外し、死ぬのを止めた。
いつの日か、自分が選んだ選択肢
2年前は柿など秋の味覚が豊作で、特に柿は食べ切れないほど貰った。
逆に昨年は柿も栗も少なかったが、今年はまた柿や栗が豊作のようで、多く売りに出されていたし、柿は多く貰えた。
富有柿や御所柿を貰うのだが、やはり富有柿が美味しい。
冬はリンゴやミカンも美味しく、食べ過ぎてしまうので果糖の摂り過ぎに気をつけなければならない。
ただ、ジュースの類をほとんど飲まないのでジュースや菓子の代わりに食すことが多い。
さつま芋を蒸しただけのものも美味しく、それだけでお腹が一杯になることもある。
なんにせよ、買わなくてもお裾分けで秋の味覚を存分に楽しめるのは田舎ならではの贅沢かもしれない。
暇を持て余すと食べるこ
来年の1月までの一年間はYouTube Music Premiumに加入しているが、その後の更新はYouTube Premiumに変更を検討している。
理由は単に潰す時間が増えたため。
Steamで時間を潰すことがなくなり、動画視聴などで時間を潰すことが増えた。
Google Nest HubやGoogle Nest Miniを使うためにYouTube Music Premiumに加入していたわけだが、今後はより一層YouTubeを利用することになりそうだ。
だが、それ以外の時間潰しの方法も検討しなければならない。
50代にして隠居爺ような生活を送っているが、何にしたところで時間を持て余すよう
出資や投資は、そういうものに縁がなかったド素人が絶対に手を出すべきではない。
ちょっとでも儲けよう、という考えも捨てたほうがいい。
そんなに稼いでも、稼いだお金でどれほど物欲を満たしても、もしくは貯め込んで自己満足を極めても、生きている僅かな期間だけのこと。
ほどほどで生きていける国に生まれて、ほどほどで生活できる環境がある。
世界中に劣悪な環境の国が多い中、本当に恵まれた国で生まれ育っている。
だから、ほどほどでいい。
結果的に死ねば、全てを手放すことになる。
生きている間だけ不足なく、ほどほどに満足できればいいのだから、増やそう儲けようと考えなくていい。
どうしても、そういうことをしたけれ
随分前に3枚あったクレカを1枚にしたが、正解だった。
特にVISAとMastercardを辞めて、JCBを残したことは結果的に良かった。
どのみち、国内でしか使用しない。
また、JCBだけは日本発祥なのでJCBタッチなどのタッチ決済も、田舎町のスーパーなどでも早くから使えた。
基本的にスマホを持ち歩くことはしないので、スマホ決済の代わりに財布に入れたクレカ一枚で支払いができるのは、ありがたい。
多くの人がスマホを持つようになったが、スマホのサイズ的に携帯には不便と感じている。
バッテリーや電波の状況を意識しなければならないのも、面倒。
現金主義に戻ろうかと思っていただけに、クレカのタッチ決済の
個人のネット配信は増えている。
旅先で配信をしたり日常を配信をしたり、主として動画形式をメインにしているので目と耳で楽しめる。
それに比べ個人のネットラジオは少ない気がする。
音声だけではあるが、目を休ませて耳だけで楽しむのにはラジオ形式のほうが良い。
寝る前の視聴も映像を見ると寝付きが悪くなるが、音声だけなら寝付きの邪魔をしにくいだろう。
既存のAM・FMに加えネットのradikoで幅広くカバー出来ているのかもしれないが、もっと個人のラジオ配信が増えてもいいのではないかと思う。
カメラの映像が必要ないので高性能なスマホも必要ない。
配信者の見た目も関係なく、声だけなので準備も手軽に済む。
小学・中学・高校と週刊少年ジャンプが全盛期だった時代に生きていたので、大人になっても漫画とはなかなか縁を切れない。
ネットでも無料で読めるものを主として読んでいる。
昔はコミック本を集めていたこともあったが、全て手放した。
同じ漫画をだらだらと何度も読んでしまい、本当にただただ時間を潰すだけだった。
文字だけの単行本のように想像力は必要ない。
漫画のページを目で追っていればいいだけ。
だけど新鮮なのは最初だけ。
なのでネット上の無料漫画は最新作を読んだ後に読み返すことはない。
ちなみにBluesky上でも「4コマ漫画」で検索すると面白い作品に当たる。
まるで吉田戦車氏の4コマ漫画を思い出させる
『ミーガン2.0』を見終えた。
前作もそこそこ面白かったが、今作もそこそこ面白かった。
おそらく娯楽作として3作目が作られて3部作構成になるのだろう。
機会があれば3作目も見てみたい。
AIについては素人だが作中に、まだ中国が登場したことに少し驚いた。
AIにおいても中国が最先端を走っているらしい。
人命を最優先にしない分、技術はどんどん進歩するだろう。
AIに関連した技術も連動して、凄まじい発展を遂げるだろう。
結果的に他国に比べてAIに支配されるのが早い。
ただ、中国の場合は共産党の支配からAIの支配に変わるだけなので、人々は過去も現在も未来も変わらない。
党の支配下ではなくAIの支配下に
あまりに昔のこと過ぎて、うろ覚えなのだが子供の頃、ほんの一時的にだが我が家にアサルトライフルのモデルガンがあった。
デザイン的にはコルトM4A1カービンが一番近いように思う。
BB弾が撃てた。
私が小学校高学年くらいの頃だったので、記憶に乏しい。
記憶に乏しいながらも照準を合わせて撃つ楽しさを覚えた記憶がある。
迂闊に撃ってガラスを割るなどして結局は取り上げられてしまった。
その後どうなったかは、わからない。
ただ、照準を合わせて撃つという経験をしたことで、祭りの夜店で射的をした際に、なぜかアサルトライフルっぽい射的銃で撃つ店だったので、景品を幾つも撃ち落として持ち帰った記憶がある。
そんなこ
母はキリマンジャロ、私はモカブレンドと好みに違いはあるが、冬はもとより暑い夏でもドリップしたコーヒーを飲んでいる。
私の場合は暇を持て余して、ついつい2杯3杯と飲んでしまい、お腹を下すこともある。
飲み過ぎたと反省して暫くコーヒーを断つが、少し経つとまた飲んでしまう。
特に食べたいものや飲みたいものが無くなってきても、コーヒーや緑茶を口にすることで食欲が出てくるときもある。
数少ない食の好みで、シャトーブリアンが安くなっているときは買って塩・胡椒でシンプルに楽しむ。
それぐらいだろうか。
外食をしないので尚更、食への意識が限定的になる。
個人的にはご飯に味噌汁・漬物・ウルメの丸干しといった和食
記憶に囚われて生きている。
思い出しては嫌になる。
まるで録画したビデオテープを再生するかのように、脳内で記憶の再生が行われる。
自ら望んで思い出すこともあれば、思い出したくもないのに思い出すこともある。
ビデオテープのように簡単に削除できればいいのだが、記憶を削除するには脳の機能停止しかない。
つまり死あるのみ。
上書きすることもできない。
ただひたすら記録し続け、本人だけが見れるビデオテープとして蓄積される。
脳が勝手に編集した映像を、夢として見せられることもある。
ツギハギの奇妙な夢であったり、次から次へと場面が変わる慌ただしい夢であったり。
記憶することも思い出すことも、生きていくうえ
ネットを介して様々な新しい言葉が飛び込んでくる。
ググれば意味はすぐにわかるだろう。
でもあえて調べない。
無知ゆえに馬鹿で、馬鹿だからこそ、あらゆるものを新鮮に感じる。
馬鹿のままでいたほうが、ちょっとは世の中を楽しめるのかもしれない。
わからないことでも自分の経験を元に知ったかぶりしてしまいがちだが、たかが人間一人の人生経験ぐらいで世の中の全てがわかるはずもない。
中途半端な半人前のまま人生を終えそうだが、それもまぁいいだろう。
一人前には、なれそうにない。
どうしても気になる場合は、調べて結果を得て満足すればいい。
そこで得たものが何か役に立つかはわからないが、結果よりも過程で満足できれ
管理を一任している管理会社の社員同士の連携不足で2度、こちらが困ることがあった。
1度目は多少なりとも不利益を被ることで、2度目は直接的な影響はないものの不信感が募るものだった。
どちらも担当者のミスではなく、担当者と他の社員との連携不足のようだ。
企業の内部のことゆえ、オーナー側がとやかく言う事ではないかもしれないが、同じようなことが3度続くと不信感が強くなってしまう。
これまでは安心して任せていただけに、頭を悩ませている。
父の代のときは特に問題はなかったのに、自分が引き継いでから慣れない中、こういうことが続くと、やはり担当者に苦情として処理を願ったほうがいいのだろうかと思案している。
寝ても覚めても疲れがとれない。
そういう年齢なのだろう。
コーヒーを淹れて、狭いキッチンで香りを楽しむ。
居間のテレビからは景気だの物価だのと、ニュースの音声が雑音のように聞こえる。
世の中のあらゆることが、遠い世界の出来事のように感じる。
長らくボーッとして生きてきた。
ボーッとしてても半世紀以上生きてこれる国であり、時代だった。
これから先も、さほど変わらないだろう。
気がつけば、人生が終わっているのだろう。
自分一人の人生になれば、テレビも新聞も廃してしまうだろう。
より一層、自分の時間、自分の世界に籠もる。
一人静かに。
考えるだけで行動に移すことはない。
考えるだけで満足してしまう。
国や人種を超えて人類が問題としている全ての事柄は、人間にとってのみの問題であり、もし人類が存在しなければ何一つ問題にならない。
人間にとっての問題は、生物共通の問題ではない。
また多くの問題を引き起こす引き金となっているのも人類の存在である。
仮に地球が一個の生命体だったなら、人類はいわば悪性腫瘍のような存在だろう。
『吾輩は猫である』の一文を思い出す。
「自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいというのは、自分で火をかんかん起こして暑い暑いというようなものだ。」
問題と認識される多くのものは、人間が作り出したものに過ぎない。
人間が大変だ問題だと騒ぐのは、他の生物にとっては迷惑で