Halnire
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小説とか映画とかアニメとかを語ります。たぶん。 ネタバレをてんこ盛りで入れます。 わりとオブラート抜きに遠慮なく書きます。
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つーかビルの屋上にあれだけの木本性植物がまんべんなく育ってるとなると…
ふつうなら、まず種子から根を張れるだけの土壌ができてなきゃいけないから100年単位が必要だと思うが、環境ホルモン云々があるからそれで説明をごまかせるか。
結局、何年たってるんだろ。そして二人は人間なのか?人外なのか?
3話
お台場、ビッグサイトのほうへ。
マンションとかにお邪魔しながら旅を続けていることが描かれる。
もちろん、中には本来の居住者も「居た」りする。鏡に銃痕があるように見える。自決したのかな…とか想像する。遺体を描かず、ただ手をあわせるだけの演出で描写することが好み。

ビッグサイト、コミケが121+∞。 121っていうと2032年12月かな。そのへんで世界は終末を迎えたっぽい。

突然の海水浴。アイリは当然のごとく水に浮かないが、ちょっとした浮き輪があれば浮けるらしい。ってことはやはり、全身機械ではないんだな。

なんと秋葉原には生き残り?がいるらしい。なつかしいな。SAOのOPだっけ
海水面が上がっている。
環境ホルモンの影響で生物が巨大化されているらしい。なんだその雑な説明は。たぶん真実は別にあるんだろう。

ロボットさんと出会う。全身機械化された、元人間、らしい。
最初は電源が長期落ちていたため記憶がないが、バックアップされていたメモリを読み込み、元は家族がいたことを思い出す。たぶん海上自衛隊員か何か。一度は殉職しかけ、機械の体で復活できたらしい。横須賀で家族は天変地異?に巻き込まれて死んでしまったようで、ロボットさんはその際、下半身を破壊され電源が落ちたまま年月を過ごしていたらしい…

ロボットさん、最後は家族の元へゆくことを選ぶ。
このへんは演出で泣かせようとする
1話ラスト、なんかとんでもない挙動する星のようなものがいたな…やっぱ暴走機械じゃないの

んで2話冒頭。シェルター内の生活が描かれた。
シェルター内は現在の地球環境に整えられてる、ってことはシェルター外は気圧から何からめちゃくちゃだったのかな。
おねーちゃんなる人物が登場。1話冒頭から年とってなくない? ってことは映像のみでAI的な存在になってしまってるのかな。
アイリはデータバングを体内に持っている様子。脳まで機械かはまだわからん。

海の中に巨大な影。どうやら遺伝子改変された化け物がいる、みたいな感じかな。OPも巨大鹿いたし。
釣り糸がカーボンナノチューブ。やっぱ技術レベルがすごい。
って、自動化された戦車が生き残ってる…人間の乗員は白骨化しているけど。結構技術が進んでる世界だ。
そしてアイリはサイボーグ。おいおい、全然現代ベースじゃないぞ。でも人間の食べ物食べてるんだよなあ。部分的に機械化されてるだけかも。
夜は日本でもオーロラが出てる…
ヨーコは、過去の映像をイメージできるようだ。何か特殊な能力もち?
ヨーコ?とアイリ?という二人の女の子が終末世界をツーリングしてるっぽい。おねえちゃんというのは冒頭にセローに乗ってた女性ツアラーかな。ミスリードの可能性もあるけど。そのスマホの写真を手がかりに旅をするというお話かあ。スマホは当然電波がない。
二人はシェルターから出てツーリングをしていると話す。ってこた放射能か汚染物質や機械暴走などで外環境が人間にとって致死性だったんだろうな。
富士山が噴火してるし、地殻変動かな…
缶詰や食料を探して、実際に食べている。ってことは人間がいなくなってからせいぜい10年以内くらいだろうか。植物の成長からすると20年くらい?
終末ツーリング 1-3話
どうも私はポストアポカリプスものが好物っぽいのに気づいたので、これも視聴してみる。ヨコハマ買い出し紀行の匂いもするし。

1話冒頭。現代かな、と思ったけどやや未来か。水素の値段が281円、ガソリンが453円。風力発電機がやたら多いから、たぶん化石燃料がだいぶ枯渇に近づいたって設定なんだろう。バイオガソリンは生化学的に生成されたガソリンかな。
セローがまだ残ってて、走ってる車も現代の車っぽい。新車の生産が2025近辺で止まった設定だろうか。
バイクから見る世界は2025とそれほど変わらない。
箱根ターンパイクへ向かうと、場面暗転もはさまず時代は終末へ…
千歳くんはラムネ瓶のなか 1,2 話と視聴。
第一印象としては、大人が観てあれこれコメントするのは野暮、っていう作品なんだろうな、と思った。
このあと山崎健太くんがやっぱり救えてなくていろいろ悲惨なことになる展開、とか見せてくれたら相当硬派なリアル追求作品だけど、たぶんそうはならないんだろうな。
何を描きたい作品なんだろか。まだよくわからん。
ワンダンス 2話 視聴
1話と同じく、CGの出来はお世辞にも良いとは言えない…
だけどお話の積み上げの丁寧さは伝わってくる。さすが原作アフタヌーン。
花木の耳のよさは、吃音症を克服するため丁寧に自分の声の出し方、リズムの取り方を意識してきたからこそ、なんだろうか。バスケをずっとやってきているからリズムを意識した体の動かし方も慣れているし。
「つきあってください」が面白い。花木は言葉少なにしゃべるからこういうことが起こるのも納得。

結構引き込まれる作品なんだけど、それだけにほんとCG作画がひっかかる。
なにがどうしてこうなったんだかさっぱりわからん。
やなさんが私の文章を批判や拒絶と受けとめずにいてくださっていることは解っていました。ありがとうございます。
私は3期は期待もしています。
ハニエルの生地の質感をしっかり表現できていたら、私の不安は払拭されるはずです。
あと、文化祭編でメイクシーンが巻かれた分、本誌では描かれなかったハニエルへの本気メイクシーンをアニオリで描写してくれたら、私はあっさり昇天できるとおもいます。福田先生はいわずもがな、は描かないお方。それを補完できるのがこのアニメスタッフたちだろうと。私は結局、なんだかんだ期待してるんですよ、このスタッフたちに。
そうですよね。
文化祭編をじっくり描くなら棺編には入れなかったでしょうしね。
選択と集中はリーダーの決断でしょうからそこに批判を入れるつもりはないです。たくさんの解釈や議論があったはずですから。
なのでこの長文メモは、あくまでも私個人の感想です。原作絵タッチをくずさずに最後まで全部描ききってくれた、という満足の声のほうが世の中、圧倒的に多いでしょうし。
でも私のように感じる人が身近にいたとわかって、なんかほっとしました。力が抜けました。ありがとうございます。
結局、着せ恋アニメには自分でも気付かないほど恐ろしく期待をしていたんだということがわかった。
ドラマには事前には何も期待してなかったら視聴していて不満はあまり感じなかったけど、アニメはもう次元が4つも5つも違うレベルで期待してたんだなと今更ながら気が付いた。

今はもう、3期を期待することがそもそも怖い。
なにせハニエルの造形はかなりシンプルだから、視聴者を圧倒する絵を作ることはとても難しいと思う。でも、だからこそやりきってほしい、などと勝手なことを考えてしまう。
大切な作品だから、やはり期待してしまうのが本心です。どうかお願いします。
着せ恋アニメスタッフの方々はその行間にこめられた情報を、原作のテイストを損なわない範囲で上手く抽出し映像作品に昇華する卓越した腕前をもった方々ばかりだと思う。
1期アニメはまさにそんな作品で、私はだからこそ感動したしここまで追いかけてきた。
2期はすこし、スタッフの解釈の載せ方が臆病だったんじゃないか、と思えてしまう。人形劇や原作そのままカットインは興味深い試みだったかもしれないけれど、原作に正面から向かい合うコミュニケーションでは無かったんじゃなかろうか。もちろんこれは、私個人の感想にすぎないことは百も承知だけど。
この話数以降、なんとなく着せ恋アニメを視聴するモチベーションが低下してしまい、なんでだろうとずっと悶々としていた。小説も書くモチベーションが著しく低下してしまい、どうしても筆が進まなくなった。
いま、一ヶ月以上かけて自分の中でやっと言語化できそうな気がして、こうして青空で長文をぶちまけている次第、だ。

着せ恋は原作からして、すべてを台詞やモノローグで説明したりせず、絵から読み取らせたり、場合によっては一切の描写なく行間から感じ取らせるような作風の漫画だった。
そこに劇伴は必要なく、ただ新菜がときどき筆を持ち替えたり、化粧品を置いたりする音が被服室に広がる小さな反響だったり、ときどきクラスメイトが思わず唾を飲む音だったり、そういうものだけで良かったのだと気づいた。

最後の見開きのシーンはもっと存在感をもって描けたはずだと思った。
あのカットはそのまま必要だとしても、口紅を手にしてからそこにつながるシームレスなカメラワークは追加しても良かったんじゃないかと思う。あまりにも一枚絵が一枚絵すぎたと感じた。

こういったことは視聴してすぐには気づかず、ただ、なんか、違った、という印象だけが残った。
私が求めていたのは、「長時間、ゆっくりと、かつなめらかに、丁寧に描写される新菜の筆運び」「それを受け入れる海夢の表情と、メイクの変化」「固唾をのんで見守るクラスメイトたちの姿勢や表情」。
それらを、もっともっと尺をとって描いてほしかった。
あらゆる方向から描いてほしかったし、新菜の着実な化粧技術が視聴している私たちにも自然と納得させられるような作画やカメラワークがほしかった。
そのへんのアニメスタジオならいざ知らず、Clover Worksさんならそれができるだけの取材材料も技術力もあったはずだと思えた。
面相書きをする新菜の姿と重なる時間も余韻もうんと長くとってほしかった。
あのシーン、作り手の意図はしっかり感じられた。新菜がこれまでで一番、ひょっとしたら初めてかもしれない強い自我を表出させて化粧に挑むシーン。
ひとつひとつのカットはとても美しかった。声優さんたちの演技も素晴らしかった。解釈違いだなんてこれっぽっちも思わなかった。

では何が不満だったか(物足りなかったか)と言えば、もう単なるワガママであることは百も承知なのだけれど、「尺」と「間」の取り方と、あと劇伴だった。まさか劇伴に不満があったなんて私自身もしばらく思い当たらなかったのだけど。
私は作り手側の解釈や思いを映像から浴びたいという思いがあって、アニメ視聴は(読書も映画を見ることもだけど)創作者とのコミュニケーションだと捉えているから、漫画をそのままお出ししましたよ、というのでは、そこに解釈などないんですよ、というメッセージで受け取ってしまう。

そして一番の不満点は…
これはむしろ私自身が単に消化できてないだけで、言ってしまえば私の中で2期が始まるまでの3年間に期待が膨らみすぎてしまっただけのことになるのかもしれない。

それは「文化祭の化粧のシーン」。
でもこれを吐き出しておきたいからこの長文を書いた。それほど私の中では大きい、見過ごせないところだった。
そもそも、2期の原画作成にあたっては、原作の構図を崩すことを過剰に恐れていたような印象がある。
アニメと漫画はまったく異なる媒体なのだから、アニメらしいカメラワークや視点の切り替え、間のとり方がもっとあっても良かったかな、と感じる。原作原画そのままにしましたよ。満足でしょう? という意図を感じてしまったこともある。原作絵をそのまま動かすなら、今ならAIで出来てしまう。
その他、美容師メンバーやユザワヤの宇佐見さんなど、ちゃんとサブキャラの描写も手が抜かれていなくて、二次創作者としては大変ありがたかった。

さて、これまで書いたのは満足だった点。
だけど一番言語化しておきたいのは、これから書く不満点のほう。
これを吐き出しておかないと、どうも着せ恋へ向かい合うエネルギーもなんだか湧いてこない気がするので。

その不満点、一つ目は時々挿まれる原作絵のカットイン。
いくら原作の絵柄を損ないたくないとはいえ、そのままカットインする演出はさすがに興ざめする割合が大きい。人物たちが生きている感覚から程遠くなる。ぼっちざろっくとは違うのだからやめてほしかった。
都や旭の人物の掘り下げも、とても丁寧だった。
最終話まで読むと、海夢は結局、世間から絶賛されながら正体のわからないコスプレイヤーとして、おそらく一回きりで姿を消す伝説の存在として終わる。
その代わりに海夢の人となりをすべて知りつつ、海夢を大げさに絶賛し崇める存在が必要だったのかな、とそういう視点で旭のことを見ることができる。

都はどちらかというと紗寿叶の成長に必要だった人物で、アニメはそれを意図した描写が追加されていたと思う。
都が初めて竜胆司のコスをしたときの拙さは、1期8話の紗寿叶が初めてリリィのコスをした演出と重なる部分が見えて、紗寿叶の心の動きを視ている私に感じさせてくれた。
細かいところだと、看病回で新菜が風邪を引き、そのあと再び海夢宅でお泊りになるときに「「また」風邪を引いてじいちゃんに心配をかけるのだけは絶対に避けたい」と言っていること。
原作では看病回の風邪ひいたシーンはとても軽く扱われていたのだけれど、アニメではその後、五条家で薫がどれだけ心配し、丁寧な看病をしてくれたのかが手に取るようにわかる。それがこの「また」という一言で想起される。
脚本家の方が絶対にそういうところを見落とさないことがとても嬉しい。
だから、その視点をもって原作を振り返ってみると、中盤ではぱたっと出番が途絶えてしまっているのが不自然に見える。それがアニメではきちんと補完されていた。
もともとアニメは1期1話の冒頭以降、家族を失うつらい経験をした新菜が、祖父の薫とのつつましい生活を大切にしていることを細かく描いていたし、薫も孫の新菜を心配しながらも、温かく大切に見守ってきた関係を原作以上に丁寧に描写してきていた。今回のアニメ2期も一貫してその点を維持していてくれたことに安心感があった。
その心の傷を隠し守ろうとするあまね君のかわりに「好きなことを否定されて傷つく必要なんて決してない」と、海夢と新菜が真正面から力強く自分を曝け出す演出と声優さんの演技、それを受け止めて過去を昇華させたあとのあまね君の声優さんがこぼす「そうだよね」の一言の演技はすさまじい説得力で、作り手側の「好きを否定されない」という主題への妥協なき姿勢と熱量を感じられて本当に感動した。

祖父である薫じいちゃんが、原作ではなかった出番をちょこちょこと追加されていることも良かった。
原作をラストまで読了しているファンは、薫じいちゃんがどれほど大きな存在なのかを十分すぎるほど理解している。