テレンスの青い空
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テレンスの青い空
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xでは「テレンス」名義でやっておりました……ていうか、今もやってます。ただ、最近のxのしんどさに避難してきました。とりあえず映画の感想中心に……。あ、感想は基本Xのものと同じですが、イイですよね? よう知らんけど。
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●出町座でアルベール・セラ『パシフィクション』(2022)。正直最初はどうなるのかと。しかし、ブノワ・マジメルのある場面での長台詞の演技から、彼が映画全体を見事に体現してみせていることに気づいて、うわ〜もう1回最初から見直してぇ〜と(苦笑)。それぐらい尋常じゃない映画でした。
先日見た『サターン・ボウリング』と同じ2022年の作品。余計な感傷やカタルシスを排している点で共通するのは偶然か必然か? 『パシフィクション』の場合はナルシシズムとは違う、ある種の諦念のようなものが伝わってくる。ラスト、いや~そこで終わりますか!と。
誰か配給・公開しませんか?
●シネ・ヌーヴォXで横浜聡子『海辺へ行く道』(2025)。三好銀の原作を読んで見直すと、原作の面白さを踏まえての脚色・演出の素晴らしさに唸った。石井輝男がつげ義春を映画で肉迫した方法は採らず、十数年後にアップデートされた、映画から原作への愛すべき返信のように見えた。再見の今回も堪能。
●シネ・ヌーヴォでサタジット・レイ『主人公』(1966)。監督の映画を続けて見ていて、良い意味での人への視線の厳しさを感じていたけど、更に言えば真面目。もう少し浮かれまくっても良いのにと思うぐらい主人公が真面目、それゆえの厳しさだなぁと思ったり。限定された空間での人物捌きもあざやか。
●シネ・ヌーヴォでサタジット・レイ『臆病者』(1965)。これもまた題材的にはメロドラマになっても不思議ではないのだが、そんな甘さを蹴散らす厳しさが映画に漲っていた。この時代にこれを作る凄さを思いつつ、60年近くを経てインドの若い監督が『私たちが光と想うすべて』を撮った意義もひしひしと。
●シネ・ヌーヴォで成瀬巳喜男『女優と詩人』(1935)。その後の成瀬作品のイメージからは想像もつかない軽やかな喜劇で驚くが、トーキー2作目でこれほど手馴れた音や声の演出をしていることにもビックリ。クレジットには主題歌ならぬ主題落語(!)があったそうだが、確かに映画のノリは落語に近いかも?
●京都シネマでパトリシア・マズィ『サターン・ボウリング』(2022)。先日の映画批評月間で見た監督作にも「男をこんなふうに見ている」という面を感じさせてはいたが、本作はそれを更に深化させ、余計な感傷を排し、ひたすら観察し凝視する映画に。その徹底ぶりと内容の凄まじさに恐れ慄く。物凄い。
●イオンシネマ高の原で押井守『機動警察パトレイバー2 the movie』(1993)。今夜だけ一番大きな劇場での上映だったので満を持して(?)。今見ても驚くほどに凄い、それもかなりヤバい映画だったんだなぁと。そして絵の素晴らしさは勿論だが、声の演者さんの素晴らしさに改めて感動。特に榊原良子さん!!
●シネ・ヌーヴォでサタジット・レイ『音楽サロン』(1958)。撮影や美術、音がホント素晴らしくて。主人公にはちっとも同情できないのにね…と苦笑。そんななか踊り子と楽団を招いた会での主人公の行動は、唯一共感というか胸がすく思いに。でも後できっちり方を付ける、その厳しさと容赦のなさに圧倒。『チャルラータ』もだが、今時の映画の作り手でここまで登場人物に厳しい視線を持つ人、いますかね? その一方で『音楽サロン』では、主人公が没落する前は人々に慕われていたのであろうという面が、説明ではなくニュアンスとして、そこはかとなく伝わってくるのだが、それ故にギャップもまた凄い。
●シネ・ヌーヴォでサタジット・レイ『チャルラータ』(1964)漸く初見。知らない固有名詞が一杯あったwけど、画面から受ける躍動感、空間の捉え方、音や音楽の絶妙さ…と、ハーッとため息の連続だった。特に凄かったのがラスト。甘いようで、寧ろ人の見つめ方の厳しさを感じて、見終わって暫し呆然。
●シネ・ヌーヴォでアルノー&ジャン=マリー・ラリュー『ジムの物語』(2024)。一見すると駆け足で物語を追ってるように思えて、時間の流れとそれに伴う変容と不変を的確かつ繊細に捉えていて、それらを見事に体現する主演のカリム・ルクルーに唸った。これはどなたか頑張って配給・公開してほしいなあ。
●尾花deキネマでパスカル・ボニツェール『オークション 盗まれたエゴン・シーレ』(2023)。ドロドロとした魑魅魍魎な世界とそこに生きる人々(と、そうでない人々)をサラリと語ってみせるのが愉快だが、個人的には嘘をつく=演じることでこの世界を生き抜こうとしている…ように見える研修生の女が痛快。
●シネ・ヌーヴォでパトリシア・マズィ『走り来る男』(1988)。一応ジャンルとしてはドラマなんだろうが、サスペンスも、スリラーも、そして西部劇もある(!?)と意外な印象も強く、長編第1作にしてこのエネルギーに凄え〜ッ!と唸った。これは『サターン・ボウリング』を心して見に行かなくては……!
●シネ・ヌーヴォでパトリシア・マズィ『ボルドーに囚われた女』(2024)。ファンタジーで甘いお菓子を゙拵えてしまいがちなところを、それは無い!と毅然と言い切り、更にその先をもきちんと描いてみせるあたりに、ちゃんとした大人の監督が作る映画だなぁと。こういうのこそ日本で配給ついてほしいね。
●アップリンク京都でエナ・センディヤレビッチ『テイク・ミー・サムウェア・ナイス』(2019)。よく練られたと思しき1つ1つの画面が、見ているうちにどんどん窮屈な印象になるのだが、それが3人の登場人物が置かれている状況や心情にスライドしているよう。ユーモラスよりも切実な何かを強く感じた。それにしてもよくまあ、こういうのを買い付けて配給・公開したなぁと。
●塚口サンサン劇場でソイ・チェン『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(2024)。見終わって感じたのは『ALWAYS三丁目の夕日』とアクションとの香港的融合。特にセットと合成の在り方にそれを強く感じる。経過する時間の重層性が至る所から感じられたり、思った以上に渋い味。最後、泣けた。
●なら国際映画祭forYOUTHで見た、SSFF&ASIAの短編5本は、今年の受賞作からのセレクトだけあってどれも面白かった。特に好きだったのはファビアン・ムンスターヤーム『破れたパンティーストッキング』(2024)で、調べたらSSFF&ASIAの今年のグランプリだそうで、なるほど!と大いに納得した次第。
題名に『2』とあるように、実は監督の出世作の続編なのだが、前作からの時間の変化が巧みに描かれていたり(兄妹が木登りする場面とか)、母親が何故娘の夢を応援してるのかがそこはかとなく伝わってきたり、私を含め前作を未見の人でも全然大丈夫な、映画としての周到さや力強さにも圧倒させられた。
●なら国際映画祭for YOUTHでリマ・ダス『ヴィレッジ・ロックスターズ2』(2024)。再見して、監督の生まれ故郷であるアッサムへの思い、文化や風習の美しい側面だけでなく、洪水や現在の状況と負の側面もキチンと捉えるその真摯な視線に胸打たれた。流れてくる音楽の情感がまたどれも素晴らしくて。
その土地やそこに住む人々や時間を映画でしか成し得ない表現で描く、という意味で去年公開された『すべての夜を思いだす』『霧の淵』に通じるものを感じたり。それでいて、映画の持つ佇まいはどれにも似てない、オリジナルな印象。『距ててて』の次に「点と」がこういうのを撮るというのも面白いなあ。
●シネ・ヌーヴォで加藤紗希『わたのはらぞこ』(2025)。一見すると浮世離れな世界や人々に思えて、実は大いに地に足がついてる絶妙な塩梅が映画全体を覆いつつ、見るもの聞くものあらゆる要素から、積み重なっては変容する「時」のイメージを随所に連想。スケールも大きく懐も深い「点と」の新作。
インドの気鋭監督リマ・ダスの作品を継続的に上映してくれる大阪アジアン映画祭の存在あってこそだが、なら国際映画祭でも2019年プレイベントでのユース審査枠での同監督『ブルブルは歌える』に続いて今回の上映、観客としてとても嬉しく思います。
x.com/naraiffnarai...
●シネ・ヌーヴォXで未見だった高橋伴明『夜明けまでバス停で』(2022)を漸く。今でも続く社会のどんよりした空気を的確に捉えていて、特に自己責任の呪縛は根深いものがあるなぁと他人事ではおれない気分に。だからこそ見てホント良かった。「心の中は本気だぞ!」の気概に見終わって嬉しくなったり。
映画を見たあとに本屋を探して、その日のうちに原作の三好銀『海辺へ行く道』全3冊まとめ買い。独特の世界にどっぷり浸かり、何度も何度も読み返す日々。映画版は、原作へのリスペクトを踏まえた上で、横浜聡子監督らこれまた独特の味が加わり、結果、幸せな融合体になっているなぁと強く思う。