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論語はじめ現代において意訳・誤訳で訳出された内容が通説になっている古代漢文書籍を文法的に正しく翻訳して読んでみようという事で 古事記を現在は翻訳中です。
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現代でいうと倭国領土は和歌山・三重とはしましたが、奈良県については両者の境界でもあり、倭国領土と出雲領土が入り組んで存在していると思われ、四国や九州については各地域に倭国名と出雲名の二つの呼び方があるように、地域によっては倭国と出雲の領土は入り組んでいたと思われます。
基本的に都が置かれる場所は倭国領土と出雲領土の境界付近であるともいえ、飛鳥時代の飛鳥京(奈良県橿原市)から平安時代の平安京(京都府京都市)の時代までにかけて倭国が境界線を南から北に押し上げたということかと。
古事記(320)解説
ソバカリは墨江中王を殺すという功績は挙げたけれども、あまりにも簡単に自身の主君を裏切ってしまったため、今後も同様の話を持ち掛けられれば簡単に主君を裏切るであろうと判断され、功績には報いるという事で宴を開いて大臣の位と官職を与えられたけれども宴の席で騙し打ちに会いすぐに殺され、罪人として墨江中王と共に次の日に都に行く事になり、都に行くのが今日か明日かという事で、その地の名前は近飛鳥(今明日か:コンアスカ)となったと。
古事記(320)現代語訳―②
すなわちその隼人に対して大臣の位と百の官職を命じ与え隼人は歓喜しありがたがり思いを遂げる事をなしたともってし
一同はその隼人に告げ今日は大臣と共にし同じ杯の酒を飲む事を共にするとし
その時に顔を隱すほどの大きな椀にその勧める酒を盛り
それらに対し王子は飮む事を先にし隼人が飮む事を後にし
故にその隼人は大きな椀で顔を覆われる事をその時にしながら飮み
一同は席の下に置いた剣を取り出しその隼人の頸を斬り
つまり日が明けてから都に行くのが良いとし
故にその地の呼び名とし近飛鳥(コンアスカ)というのである
(320)現代語訳―①
故にソバカリを連れて都は倭国をおいてするのが良いとし
その時に大坂山口(香芝市)に到り
ソバカリは自分には大きな功績が有るといえども、自身の君主を殺す事を既にしそれらは忠義がないことは言うまでもないとし
(ミヅハワケのミコトは)その功に報いないでは信を無くすというべき
(ソバカリは)その信を裏切る行為を既にし(また裏切るであろう)その心情を恐れ
故にその功に報うといえどもその生命を滅ぼすとし
彼らはソバカリに告げる事をもってし
今日はこの場所に留まり大臣の位を与える事を先にする
明日都に行くのが良いとしその山口に留め
すぐに仮の宮を造り大勢で宴をすることをたちまちにし
古事記(320)直訳ー②
乃ち其の隼人に於いて大臣の位百官が令し賜り隼人は喜び歡し拜み志を遂ぐを爲すを以てす
爾らは其の隼人に詔げ日を今にし大臣と與にし盞の酒を同じく飮み飮を共にす
之が時にし面を隱す大鋺にし其の進む酒を盛り
是らに於いて王子は飮むを先にし隼人が飮むを後にし    
故に其の隼人は大鋺が面を覆うを時にし飮み
爾らは席下に置く劍を出だし取り其の隼人の頸を斬り
乃ち日を明けて上が幸とす
故に其の地を號し近飛鳥と謂う也
古事記(320)直訳―①
故にソバカリを率い上は倭に於いてすを幸とし
之が時にし大坂山口に到り
ソバカリは吾は大功有りと雖も己が君を殺すを既にし是らは義せず然りと爲し
其の功を賽せず信を無くすと謂う可し
其の信の還すを行うを既にし其の情を惶る
故に其の功に報うと雖も其の正身を滅ぼすとし
是らはソバカリに詔ぐを以てし
日を今にし此の間に留めて大臣の位を給うを先にす
日を明けて上が幸とし其の山口に留め
即ち假宮を造り樂を豐にすを爲すを忽ちにし
古事記(320)原文
故率曾婆訶理上幸於倭
之時到大坂山口
曾婆訶理爲吾雖有大功既殺己君是不義然
不賽其功可謂無信
既行其信還惶其情
故雖報其功滅其正身
是以詔曾婆訶理
今日留此間而先給大臣位
明日上幸留其山口
即造假宮忽爲豐樂
乃於其隼人賜大臣位百官令拜隼人歡喜以爲遂志
爾詔其隼人今日與大臣飮同盞酒共飮
之時隱面大鋺盛其進酒
於是王子先飮隼人後飮    
故其隼人飮時大鋺覆面
爾取出置席下之劍斬其隼人之頸
乃明日上幸
故號其地謂近飛鳥也
古事記(319)解説
大坂山口(奈良県香芝市)からタギマ道(奈良県葛城市)を行くと元の都である伊波禮之若櫻宮(奈良県桜井市)方面に向かって行くはずですが、実際は逆方向の石上神宮(奈良県天理市)方面に向かってそこに都を置いたという事で、大坂山口で出会った女性の言葉は嘘で罠であると判断したのだと思われます。そういった事もあり、異母兄弟の中にも墨江中王と組んで同様に天皇の座を狙っている者がいるのでないかと疑われたミヅハワケのミコトはその疑いを晴らすため、難波に戻り墨江中王を殺して連れてくると約束し、墨江中王の側近を買収し裏切らせて墨江中王を殺させたと。
古事記(319)現代語訳―②
故にすぐに難波(大阪)に下り返し
近習(側近)としている所の墨江中王の隼人(元来は鹿児島辺りに住んでいた人々)の名はソバカリを欺き
もしあなた方が私の言葉というものに従うなら私は天皇となりあなたを大臣とさせて天下を治めるのはどうかと伝え
ソバカリはその天命のままにと申し上げ答え
(隼人)一同が受け取る俸禄が多くなるとし
その隼人は以下
そういう事であなた方の王を殺すのであるとし
それらの事があってソバカリは自身の王が厠に入るのを密かに伺い矛をもって刺して殺したのである
古事記(319)現代語訳―①
故に都は石上神宮(奈良県天理市)に置くのが良いとしたのである
それらの事があってその異母弟のミヅハワケのミコトに赴き参上し謁見するよう命令し
天皇一同は私は君を疑うと告げるよう命令し
もしや墨江中王と組んで心を同じくするやと
故に(ミヅハワケのミコトは)言葉を違えず(嘘偽りなく言うなら)
私めという者は心を邪にし穢れてはいないと申し上げ答え
また墨江中王と同様でないとし
またそのように(天皇に)告げるよう命令し
下(大阪)に返す事を今からして墨江中王を殺して彼を都に連れて来るとし
私は言葉通りに必ずやするとその時にし
古事記(319)直訳―②
故に即ち難波に下り還り
近習とす所の墨江中王の隼人の名はソバカリを欺き
若し汝らが吾が言なる者に從うなら吾は天皇を爲し汝は大臣と作り天下を治む那何と云い
ソバカリは命を隨にすと白し答え
爾は給るに祿を多くすとし
其の隼人は曰く
然なる者は汝らが王を殺す也
是らに於いてソバカリは己が王が厠に入るを伺い竊み矛を以てし刺して殺す也
古事記(319)直訳―①
故に上は石上神宮に坐すを幸とす也
是らに於いて其の伊呂弟の水齒別の命が赴き參り謁を令し
爾らが天皇は吾は汝がミコトを疑うと詔ぐを令し
若し墨江中王と與にし心を同じくす乎
故に言を相えず
僕なる者は心を邪にし穢れ無しと白し答え
亦た墨江中王と同じくせず
亦た然なる者を詔ぐを令し
下に還るを今して墨江中王を殺して彼を來て上にす
吾は言を相にすを必ずやすと時にし
古事記(319)原文
故上幸坐石上神宮也
於是其伊呂弟水齒別命參赴令謁 
爾天皇令詔吾疑汝命
若與墨江中王同心乎
故不相言
答白僕者無穢邪心
亦不同墨江中王
亦令詔然者
今還下而殺墨江中王而上來彼
時吾必相言
故即還下難波
欺所近習墨江中王之隼人名曾婆加理
云若汝從吾言者吾爲天皇汝作大臣治天下那何
曾婆訶理答白隨命
爾多祿給
其隼人曰
然者殺汝王也
於是曾婆訶理竊伺己王入厠以矛刺而殺也
古事記(318)解説
難波宮(大阪府大阪市)からハニフ坂(大阪府羽曳野市)、大坂山口(奈良県香芝市)へと逃げてきており、さらに南下して元の都である奈良県桜井市方面に向かっていると思われます。歌の内容は前半はハニフ坂から見ると自分がいた建物以外にも火が燃え広がり大火となっている様が見えると。後半は大坂山口(奈良県香芝市)で出会った女性に道を聞くと、この道なりで行くと兵らが待ち構えて道を塞いでいるため、タギマ道(奈良県葛城市)を行くよう言われたと。
古事記(318)現代語訳―②
故に大坂山口(奈良県香芝市)へ行くのが良いとし到り
その時に一人の女性に遇い
その女性は天皇に申し上げ
兵士等をもってそうして山を塞ぐ事を大勢でしており
タギマ道(奈良県葛城市)から迂回して(山を)越し(道を塞がれているのに)対応するのが良いとし
天皇は一同を代表し歌い以下
オホサカニ(大坂山口で)
アフヤヲトメヲ(遭ったおとめに)
ミチトヘバ(道を問えば)
タダニハノラズ(そのまま行かず)
タギマチヲノル(たぎま道を行けという)
古事記(318)現代語訳―①
ハニフ坂(大阪府羽曳野市)において到り
難波宮を遠くに見て
その火はなお燃え盛るようで
天皇は一同を代表しまた歌い以下
ハニフザカ(はにふ坂で)
ワガタチミレバ(私が立って見れば)
カギロヒノ(かぎのひろ)
モユルイヘムラ(燃える家村)
ツマガイヘノアタリ(妻の家のあたり)
古事記(318)直訳
ハニフ坂に於いて到り
難波宮を見て望み
其の火は猶ほ炳えるごとくし
爾らが天皇は亦た歌い曰く
ハニフザカ(はにふ坂)
ワガタチミレバ(吾が立ち見れば)
カギロヒノ(かぎのひろ)
モユルイヘムラ(燃ゆる家村)
ツマガイヘノアタリ(妻が家のあたり)
故に大坂山口を幸とし到り
之が時にし一女人に遇い
其の女人は之に白し
兵人等を持ち茲に山を塞ぐを多くす
タギマ道自り廻り越し應ずを幸とし
爾らが天皇は歌い曰く
オホサカニ(大阪に)
アフヤヲトメヲ(遭ふやおとめを)
ミチトヘバ(道問えば)
タダニハノラズ(ただにはのらず)
タギマチヲノル(たぎまちをのる)
古事記(318)原文
到於波邇賦坂
望見難波宮
其火猶炳
爾天皇亦歌曰
波邇布邪迦
和賀多知美禮婆
迦藝漏肥能
毛由流伊幣牟良
都麻賀伊幣能阿多理
故到幸大坂山口
之時遇一女人
其女人白之
持兵人等多塞茲山
自當岐麻道廻應越幸
爾天皇歌曰
於富佐迦邇
阿布夜袁登賣袁
美知斗閇婆
多陀邇波能良受
當藝麻知袁能流
履中天皇一行はヤマトから倭に逃げようとしているという事で、大和(ヤマト)というのは倭国の王子であった倭建命(ヤマトタケル)が自らが征服し支配した地域を、その孫の応神天皇(神功皇后)が出雲勢力の助力を得て倭国から独立させてできた国家であると思われ、当時は現在でいう大阪・名古屋は大和支配で、京都・奈良は出雲支配で、和歌山・三重は倭国支配という構図で、大和朝廷内において出雲と倭国の権力争いが常に起こっているという状況だと思われます。
古事記(317)解説
履中天皇は先代の仁徳天皇が元々都を置いていた難波宮(大阪府大阪市)で王座に就くのが本来であるとして、遷都を人々に知らしめるため大嘗祭を行い、その祭りの際に酒に酔って寝込んだところを王位を狙う弟の墨江中王により建物に火を付けられ、そこから阿知直に助け出され、阿知直の判断で倭国(領土)に向かうとして、たぢひ野(大阪府東部)まで逃げてきたところで目が覚めて、そこで履中天皇は歌い、歌の内容は野宿することになるとわかっていたら屏風を持ってきたのにと。弟に謀反を起こされて命を狙われ逃げてきたにも関わらずこの落ち着きようという事で、履中天皇が大人物であるという描写だと思われます。
古事記(317)現代語訳―②
故にタヂヒ野(大阪府東部?)に面し到り(天皇は目が)醒め
この場所というのは何処であるかと告げ
阿知直ら一同は墨江中王が大殿を燃やすため火を付けたと申し上げ
故に倭国に向かって逃げるため(一団を)率いているとし
天皇は一同を代表し歌い以下
タヂヒヌニ(たぢひ野で)
ネムトシリセバ(寝るのがわかっていれば)
タツゴモモ(屏風を)
モチテコマシモノ(持ってきたのに)
ネムトシリセバ(寝るのがわかっていれば)
古事記(317)現代語訳―①
(履中天皇は)難波宮で王座に就くのが本来であるとし
その時に大嘗祭を行って多くの人々に(遷都を)明らかにするととし
その時に大御酒(を吞んで)によって酔っ払って大御寢(深く眠る事)をしたのである
その弟の墨江中王ら一同は天皇の座を奪う事を欲し
火でもって大殿(天皇の寝所)を燃やし
それらに対して倭漢直の祖の阿知直は(目を)盜んで逃げ出し(天皇を)御馬に乗せ
倭国に向かって行くのが良いと命令し
古事記(317)直訳
難波宮に坐ずを本とし
之が時にし大嘗を坐して豐が明とすを爲す
之が時にし大御酒に於いてウラギて大御寢す也
爾ら其の弟の墨江中王は天皇を取るを欲し
火を以てし大殿を著す
是らに於いて倭漢直の祖の阿知直は出ずに盜みて御馬に乘り
倭に於いて幸とすを令し
故にタヂヒ野に于し到りて寤め
此の間なる者は何が處とす詔げ
爾らが阿知直は墨江中王が大殿を著すに火すと白し
故に倭に於いて逃ぐを率いる
爾らが天皇は歌い曰く
タヂヒヌニ(たぢひ野に)
ネムトシリセバ(寝むと知りせば)
タツゴモモ(たつごもも)
モチテコマシモノ(持ちてこましもの)
ネムトシリセバ(寝むと知りせば)
古事記(317)原文
本坐難波宮
之時坐大嘗而爲豐明
之時於大御酒宇良宜而大御寢也
爾其弟墨江中王欲取天皇
以火著大殿
於是倭漢直之祖阿知直盜出而乘御馬
令幸於倭
故到于多遲比野而寤詔
此間者何處
爾阿知直白墨江中王火著大殿
故率逃於倭
爾天皇歌曰
多遲比怒邇
泥牟登斯理勢婆
多都碁母母
母知弖許麻志母能
泥牟登斯理勢婆
古事記(316)解説
伊邪本和氣(イザホワケ)のミコトは仁徳天皇と大后の間に生まれた子で、奈良県桜井市に宮を置いたという事ですから、桜井市は山代付近ですので大后が山代へ行った際に都は山代方面に遷っていたということかと。また名前に本和氣(ホワケ)と付く皇子は母が出雲系の女性である事を示していると思われます。