fraternity unforgettable bassfishing
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釣りを愛する教育オタク #一生忘れない魚 を釣りたくないかい?
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2017年12月の魚。
寒冷前線の通過と放射冷却により
一夜で5℃水温が下がったとある河川。
潮汐は小潮の上げ始め。

沖のディープへ避難した魚を
シャローまで引っ張りつつ
根掛かりを回避つつも
ボトムを這わせたいし
アピールも落としたくはない…

そんな釣りを可能にしたのは
スピナーベイトのスローロール
足元でルアーをひったくったのは
自己ベストの魚でした。

いまだ、この魚を上回れないのです。

#一生忘れない魚
そ れ !

匿名であることで
心理的安全性が生まれ
普段なら言えないこともいえる笑

来週も踏み込みます
順序でギャーギャーしてた人たちの
対話の成り立たなさや
攻撃性の高さ、距離感のなさは
こだわりの強さや衝動性で
充分説明がつくんだけど

さらに深い部分には
実行機能とか基本的信頼感や自制心が
スコーンと抜けているように思う

そういう人たちを「包摂」するって
難しいミッションだなあ…
実在論
「掛け算の自由性=数の普遍的法則として実在する」
唯名論
「掛け算の順序の意味は文脈に依存する“名付け”にすぎない」
デカルト
「確実な知をどう築くか」

だと考えると
デカルト的に「確実な知」を求めすぎても現場はしんどいし
唯名論的に「文脈次第」と流しても軸がなくなります

指導主事としては
「現場への伴走」が最優先なので
こどもの発達支援が重要です
自分の主張のためなら
ありとあらゆる根拠を
精度を問わず持ってきそうですけど

興味のないことは

 ど う で も い い

というのが彼らでしょうね
ここ、次回のレッサーが触れていきますよ!
好きなことやや得意なこと
あるいは目的や価値観なども
語れる仲間がいるって素晴らしいです

明日からの発信、どうしよっかなーと
考えております
なんだか
ものっそい気持ち悪い感じでしたね

外来種問題が可愛く思えるぐらい笑
そして残念ながら
どの世界にもそういう人間は
蔓延っているんです

そんな理不尽な世界すらも
愛したいんですけどねえ
「分かること」と
「分からないこと」を

ちゃんと分けて打ち明けられるほうが
よっぽど大事かと思います
どっちの論に傾いても
誰かが湧くのでえらいこっちゃです笑

一種のエンタメだと思って
お楽しみください✨
無礼なポストは片っ端からミュートして
完走することにしよう

しかしまあ…
自分の主義と同じならダンマリ決めて
違うときなら烈火のごとく反応するの
本当に面白いわ
皆それぞれペルソナを被って
仕事をしていると思います

そしてSNSでは
匿名という武器を手に入れ
言いたい放題して
シャドウを保ってるんでしょう

いくら匿名のSNSとはいえ
人を説得するための
エトスが欠落しているなあと
片っ端からミュートしたので
気持ちよくさせてもらっています

正義を振りかざす人の観察だと思って
楽しんでいってください笑
今週はなかなかカオスです!
えらいこっちゃ~
急に失礼します!

って前置きがあれば
何を言うてもええわけちゃうわい

と言いたいところではありますが
指導主事のアカウントなので
真摯に対応いたします
ギラギラしてて好きです!

釣れなかった日に
地元の道の駅やご当地ラーメン
名湯で疲れを癒す…
そういう楽しみ方もできますが

徹底的に釣るためには
釣れなかった悔しさを噛み締めたい…
釣りに対して真摯だと感じます
言葉は聞いた人の解釈に委ね
経験者はより良い態度を目指して
言葉を選んでいきたいですね

「善さ」や「美しさ」
あるいは「好き」などを
ソクラテスは突き詰めていきましたが
老子は道を理解しようとせず
道に従い生きることを勧めました

他人の決めた正解より
自分のうちなる衝動のほうが
よりよい釣りかた…なんでしょうかね笑
その言葉が「救済」なのか
「思考の搾取」になるか…
とても悩ましいなと思います

個人的には
不満足なソクラテスが理想です

在れているかは分かりませんけどね笑
あと

簡単に「知った」とか「これが正解」とか
深く探究をしないまま
浅いところで止まってしまうのは
釣りを愛する者の態度として
どうなのかな?とも感じます

それよりは
まだ知らないことがあるかもしれない
まだまだ自分は上手くなれる
他にもいい釣り方があるんじゃないか
問いを立て魚と向き合う…

どちらが正しいかは分かりませんが
どちらの態度が魚を釣る釣りびとかは
なんとなく想像ができます

ソースは、ソクラテスの弁明です
釣れたらそりゃ嬉しいんですが
「釣ること」のみが釣りの正解なら
それだと成果主義すぎないか?
というのが正直な思いです

釣りは「魚と誠実に向き合う」が
大事なんだろうと思います

釣れるか釣れないか
釣り針にかかるかどうかは
こちらは選べませんが
そこに至るための手段は無限です

しかし釣るための手段を選ぶには
魚と向き合わないと思考できない…
そう考えています

ソースは俺!…ではなく
フロム、バタイユ、アドラー
あたりですかね笑
小学一年生にとっての教師は
「北極星であるべき」と例えられます

教師が問いを立て面白がり
「分からないって楽しい」
「知らなくても恥ずかしくない」
「色々試してみようよ」
こんな姿を見せたいところです

私たちのような
息子に釣りを教える側も
心がけたいものです

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「こうすれば釣れる」
「管理釣り場は釣りやすい」は
きっと安心感を生むのですが

そこでルアーや場所を過信し
「そのうち釣れるやろ」といった
思考停止してしまわないか…
という懸念があるんです

我々にはおそらく
「場所やタイミングが大事」という
理論負荷性があるんだろうと思いますが
これが初心者の立場を想像する際
本当に邪魔になるんです
一言目がそれだと
釣りが「釣れるルアー探し」に
なってしまわないか
という危惧をしてます

カットテールを
(その日の状況に応じて適切に)
投げときゃ
(タイミング次第でそのうち)
釣れる

という行間がありますよね?

こどもは、教えていないことは
語れないし思考できません
「魚がどこにいるか探そう」
「まずは一緒に考えよう」という
中心の問いは重要なんです
そうなんです
遊ぶように仕事を楽しむ人もいます

ワークライフバランスだからと
本来とても重要で本質を突く仕事を
負担軽減の旗のもと切り捨てる

それはたとえ民意であっても
本当に正しいかは分かりません

っていうのが発端です