神田橋公園の入口脇にひっそりと設置されている奇妙なブロンズ像。作者は彫刻家の山下恒雄。
腕組み&立て膝で偉そうなポーズを決めているが、なんでも黄金虫が擬人化して千代田区の豊かさと更なる発展を見守っている... という設定らしい。
神田橋公園の入口脇にひっそりと設置されている奇妙なブロンズ像。作者は彫刻家の山下恒雄。
腕組み&立て膝で偉そうなポーズを決めているが、なんでも黄金虫が擬人化して千代田区の豊かさと更なる発展を見守っている... という設定らしい。
いちばん大きいのは江戸時代の人気力士生月鯨太左衛門。約230cmあるのでアンドレ・ザ・ジャイアントよりもデカい。当時の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が145cm程度だったそうなので、実物の生月を目にした江戸庶民はさぞかしぶったまげたことだろうと思う。
📷️ Leica D-LUX 8
いちばん大きいのは江戸時代の人気力士生月鯨太左衛門。約230cmあるのでアンドレ・ザ・ジャイアントよりもデカい。当時の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が145cm程度だったそうなので、実物の生月を目にした江戸庶民はさぞかしぶったまげたことだろうと思う。
📷️ Leica D-LUX 8
📷 Leica D-LUX8
📷 Leica D-LUX8
創建年代については諸説ある。一説には江戸期の歌舞伎役者、二代目關三十郎が伏見より勧請したとされている。
失せ猫探しの御利益あらたかな神社としてよく知られているが、これは「マグネットの三島」と呼ばれた工学博士の三島徳七が行方不明となった飼い猫が戻ってくるようにと祈願したところ、3ヶ月後に無事に見つかったことによる。参道の入口脇にある碑は三島夫妻が建立したもの。
📷 Nikon D200 + SIGMA 30mm F1.4 DC HSM
創建年代については諸説ある。一説には江戸期の歌舞伎役者、二代目關三十郎が伏見より勧請したとされている。
失せ猫探しの御利益あらたかな神社としてよく知られているが、これは「マグネットの三島」と呼ばれた工学博士の三島徳七が行方不明となった飼い猫が戻ってくるようにと祈願したところ、3ヶ月後に無事に見つかったことによる。参道の入口脇にある碑は三島夫妻が建立したもの。
📷 Nikon D200 + SIGMA 30mm F1.4 DC HSM
室町時代中期頃まで現在の東京北部一帯を支配していた豪族豊島氏と由縁のある地蔵堂らしいが、詳しいことはよく分からない。ずらりと並ぶ石仏は全部で18体。造立年はまちまちだが、いずれも江戸時代の物。「下道」は「しもみち」と読む。この辺りから志茂 (しも) へと向かう道が分岐していたので、そう呼ばれる様になったと伝えられている。
📷 Nikon F3 + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
🎞️ Kodak Gold 200
室町時代中期頃まで現在の東京北部一帯を支配していた豪族豊島氏と由縁のある地蔵堂らしいが、詳しいことはよく分からない。ずらりと並ぶ石仏は全部で18体。造立年はまちまちだが、いずれも江戸時代の物。「下道」は「しもみち」と読む。この辺りから志茂 (しも) へと向かう道が分岐していたので、そう呼ばれる様になったと伝えられている。
📷 Nikon F3 + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
🎞️ Kodak Gold 200
📷 Ricoh GR Ⅲ
📷 Ricoh GR Ⅲ
来月から撤去工事が始まる廃橋。架橋されたのはバブル期の1986年。お台場を含むこの辺り一帯の大規模開発に伴い、工事車両専用道として開通。その後、一般道扱いとなったが、その期間はわずか3年。30年以上も放置状態になっていたなんとも不憫な橋。
長らく廃橋扱いになっていた理由は、撤去するのに莫大な費用がかかる為。数年前に東京都がようやく予算を計上し、ついに撤去されることになった。
アップした写真は2014年の冬に撮影したもの。左側にパレットタウンの大観覧車が写っているが、こちらは3年前に撤去済み。
来月から撤去工事が始まる廃橋。架橋されたのはバブル期の1986年。お台場を含むこの辺り一帯の大規模開発に伴い、工事車両専用道として開通。その後、一般道扱いとなったが、その期間はわずか3年。30年以上も放置状態になっていたなんとも不憫な橋。
長らく廃橋扱いになっていた理由は、撤去するのに莫大な費用がかかる為。数年前に東京都がようやく予算を計上し、ついに撤去されることになった。
アップした写真は2014年の冬に撮影したもの。左側にパレットタウンの大観覧車が写っているが、こちらは3年前に撤去済み。
📷 Nikon Df + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
📷 Nikon Df + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
📷 Panasonic DC-G9Ⅱ + Leica DG Summilux 12mm/F1.4 ASPH.
📷 Panasonic DC-G9Ⅱ + Leica DG Summilux 12mm/F1.4 ASPH.
コース上から撮影したこの写真では、ごく普通の地方競馬場にしか見えないけれど、実は周辺は民家だらけ。住宅街に隣接している競馬場なんてかなり珍しいが、開設された当初のこの辺りは田んぼしかない僻地だったそうだ。
📷 Leica D-LUX 8
コース上から撮影したこの写真では、ごく普通の地方競馬場にしか見えないけれど、実は周辺は民家だらけ。住宅街に隣接している競馬場なんてかなり珍しいが、開設された当初のこの辺りは田んぼしかない僻地だったそうだ。
📷 Leica D-LUX 8
📷 Leica M3 + DR Summicron 50mm/F2
🎞️ Kodak Tri-X
📷 Leica M3 + DR Summicron 50mm/F2
🎞️ Kodak Tri-X
3年前にリニューアルオープンした同園だが、その際に観覧車も新設。以前のものより二回りぐらい大きくなっている。製造と設置を受け持ったのは大阪に本社を置く泉陽興行。ちなみに葛西臨海公園の大観覧車や横浜みなとみらいのロープウェイなども泉陽興行製。
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
3年前にリニューアルオープンした同園だが、その際に観覧車も新設。以前のものより二回りぐらい大きくなっている。製造と設置を受け持ったのは大阪に本社を置く泉陽興行。ちなみに葛西臨海公園の大観覧車や横浜みなとみらいのロープウェイなども泉陽興行製。
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
📷 Leica M7 + Summicron-M 35mm/F2
🎞️ ILFORD DELTA 3200
📷 Leica M7 + Summicron-M 35mm/F2
🎞️ ILFORD DELTA 3200
遊園地ホテルの開業は1910年 (大正10年) 。当時のパンフレットなどを見ると、落ち着いた外観の洋館だったことが分かる。オープン翌年には渋沢栄一や後藤新平の講演会が行なわれたりもしているので、格付け的にはかなりの高級ホテルという扱いだったのではないかと思う。建物が取り壊されたのは1967年 (昭和42年) 。現在はこの門柱だけがモニュメント的に残されている。
遊園地ホテルの開業は1910年 (大正10年) 。当時のパンフレットなどを見ると、落ち着いた外観の洋館だったことが分かる。オープン翌年には渋沢栄一や後藤新平の講演会が行なわれたりもしているので、格付け的にはかなりの高級ホテルという扱いだったのではないかと思う。建物が取り壊されたのは1967年 (昭和42年) 。現在はこの門柱だけがモニュメント的に残されている。
いわゆる昔ながらの駄菓子屋さん。創業は戦前で当初は食堂だったそうだ。米の入手が困難になった終戦直後にパン屋に商売替え。子ども相手の駄菓子専門店になったのは50〜60年前らしい。
しかし残念ながらこの写真を撮った翌月に突然閉店。店主のお婆さんはお元気そうだったけど、おそらく跡継ぎもいないということで店を閉めて、隠居したのだろうと思う。
📷 Leica D-LUX 8
いわゆる昔ながらの駄菓子屋さん。創業は戦前で当初は食堂だったそうだ。米の入手が困難になった終戦直後にパン屋に商売替え。子ども相手の駄菓子専門店になったのは50〜60年前らしい。
しかし残念ながらこの写真を撮った翌月に突然閉店。店主のお婆さんはお元気そうだったけど、おそらく跡継ぎもいないということで店を閉めて、隠居したのだろうと思う。
📷 Leica D-LUX 8
園内に設置されているこの彫像の作品名は「フィオーナとアリアン」。文京区公式サイトの説明によれば、2体とも「フィオーナであり、アリアンでもある」そうだ。作者は日本美術界の重鎮として活躍した朝倉文夫の次女で、父親と同じく彫刻家であった浅倉響子。
ちなみにこの公園は1986年10月開園。元々は東京教育大学の大塚キャンパスだったが、同大学が1978年に筑波大に改編されて閉校したのちに跡地が文京区に移管された。
📷 Leica M10-P + Elmarit-M 28mm/F2.8
園内に設置されているこの彫像の作品名は「フィオーナとアリアン」。文京区公式サイトの説明によれば、2体とも「フィオーナであり、アリアンでもある」そうだ。作者は日本美術界の重鎮として活躍した朝倉文夫の次女で、父親と同じく彫刻家であった浅倉響子。
ちなみにこの公園は1986年10月開園。元々は東京教育大学の大塚キャンパスだったが、同大学が1978年に筑波大に改編されて閉校したのちに跡地が文京区に移管された。
📷 Leica M10-P + Elmarit-M 28mm/F2.8
📷 Leica M3 + DR Summicron 50mm/F2
🎞️ Kodak Portra 400
📷 Leica M3 + DR Summicron 50mm/F2
🎞️ Kodak Portra 400
1887年 (明治20年) 竣工。二連アーチの見た目から「二重橋」と呼ばれることが多いけれど、これは正しくない。二重橋とは、この奥にある正門鉄橋の呼び名、あるいは鉄橋と石橋をひっくるめた総称... とされている。
より厳密にいえば、本来の意味での二重橋は既に存在しない。現在鉄橋のある場所にはかつて二重構造の木造橋 (西の丸下乗橋) が架けられていた。元々の二重橋はその通称。
📷 Panasonic DC-G99M2 + Leica DG Summilux 15mm/F1.7 ASPH.
1887年 (明治20年) 竣工。二連アーチの見た目から「二重橋」と呼ばれることが多いけれど、これは正しくない。二重橋とは、この奥にある正門鉄橋の呼び名、あるいは鉄橋と石橋をひっくるめた総称... とされている。
より厳密にいえば、本来の意味での二重橋は既に存在しない。現在鉄橋のある場所にはかつて二重構造の木造橋 (西の丸下乗橋) が架けられていた。元々の二重橋はその通称。
📷 Panasonic DC-G99M2 + Leica DG Summilux 15mm/F1.7 ASPH.
今日の会見では「角界のマツコ・デラックスと言われたのはありがたいこと。それがきっかけで自分のことを知ってもらえたし、応援してくれるファンも増えた」と語っていたけど、シンガポールではペンキのテレビCMに出演していたお相撲さんとして知られている。貼付した画像はそのCMの撮影スナップ。
今日の会見では「角界のマツコ・デラックスと言われたのはありがたいこと。それがきっかけで自分のことを知ってもらえたし、応援してくれるファンも増えた」と語っていたけど、シンガポールではペンキのテレビCMに出演していたお相撲さんとして知られている。貼付した画像はそのCMの撮影スナップ。
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
📷 Leica M10-P + Summicron-M 50mm/F2
年に一度の例祭開催中ということで境内はもちろんのこと、神社からときわ台駅南口までの通り一帯に露店がびっしりと立ち並んでいる。
年に一度の例祭開催中ということで境内はもちろんのこと、神社からときわ台駅南口までの通り一帯に露店がびっしりと立ち並んでいる。
📷 Panasonic DC-G9Ⅱ + Leica DG Summilux 25mm/F1.4 ASPH.
📷 Panasonic DC-G9Ⅱ + Leica DG Summilux 25mm/F1.4 ASPH.
中野五差路の角地に建っていた闇市発展系と思われる小規模マーケット。赤いトタン張りの外観が異様な雰囲気を醸し出していた。正確な竣工年は不明だが、1958年の住宅地図には建物名が記載されている。解体されたのは2010年夏頃。
この写真を撮った頃には既に廃墟寸前の状態だったけれど、数軒の店が残って細々と営業を続けていた。2階は中野光座というポルノ専門の映画館だったが、こちらは1994年に閉館したらしい。ただ閉館後も建物が取り壊されるまではとくに改装されることもなく、小劇団やアングラ劇団がときどき公演会場として使用していた。
中野五差路の角地に建っていた闇市発展系と思われる小規模マーケット。赤いトタン張りの外観が異様な雰囲気を醸し出していた。正確な竣工年は不明だが、1958年の住宅地図には建物名が記載されている。解体されたのは2010年夏頃。
この写真を撮った頃には既に廃墟寸前の状態だったけれど、数軒の店が残って細々と営業を続けていた。2階は中野光座というポルノ専門の映画館だったが、こちらは1994年に閉館したらしい。ただ閉館後も建物が取り壊されるまではとくに改装されることもなく、小劇団やアングラ劇団がときどき公演会場として使用していた。