あとがきによると「文学の教養がまったくない人間が、数年にわたって月に一回、自分がどうも文学らしいと思っている本を読んだ感想の記録」とあります。書評と言うより読書感想文の趣です。
『ポトスライムの舟』を読んだ時に、自分とは違う目線で世界を見ている人だなあと思ったので私が同作を読んで同じように思うかはわかりませんが、本作では「生きる」という事に焦点を当てている事が多いように感じました。
「生きる」事を人間の普遍性と捉えている作品もまた多いという事の裏返しとして「どう生きたらいいかわからない」という感覚がいかに普遍的かとも言えます。
あとがきによると「文学の教養がまったくない人間が、数年にわたって月に一回、自分がどうも文学らしいと思っている本を読んだ感想の記録」とあります。書評と言うより読書感想文の趣です。
『ポトスライムの舟』を読んだ時に、自分とは違う目線で世界を見ている人だなあと思ったので私が同作を読んで同じように思うかはわかりませんが、本作では「生きる」という事に焦点を当てている事が多いように感じました。
「生きる」事を人間の普遍性と捉えている作品もまた多いという事の裏返しとして「どう生きたらいいかわからない」という感覚がいかに普遍的かとも言えます。
独文学の最高傑作と謳われる古典、と言うよりもワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の原作と言ったほうが伝わるかもしれません。
ゲルマン民族大移動時代に産声を上げた伝承で、十三世紀初頭に英雄叙事詩として定着したものと考えられます。
主人公はジークフリートと思いきや、妻のクリームヒルトを中心に据える事で前編と後編の異なる伝承を結びつけた作品です。
ゲーテはこれに「両編の趣きはおのずから異なる。前編はより多く華麗、後編はより多く強烈。しかし両編ともその内容において、また形式において、相互にまったく均衡を保っている」との感想を残しています。
独文学の最高傑作と謳われる古典、と言うよりもワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の原作と言ったほうが伝わるかもしれません。
ゲルマン民族大移動時代に産声を上げた伝承で、十三世紀初頭に英雄叙事詩として定着したものと考えられます。
主人公はジークフリートと思いきや、妻のクリームヒルトを中心に据える事で前編と後編の異なる伝承を結びつけた作品です。
ゲーテはこれに「両編の趣きはおのずから異なる。前編はより多く華麗、後編はより多く強烈。しかし両編ともその内容において、また形式において、相互にまったく均衡を保っている」との感想を残しています。
デンマークの文化史家の著者がエッダを創訳し1927年に刊行されたものの全訳日本語版(1971年)が文庫収録されています。
訳者は「北欧神話の代表的なものをほぼ網羅し、原典ではバラバラに近い話に文化私的考察を交えて脈絡をつけ統一的発展にその経路を辿っている」と述べ、確かに読みやすい物語だと言えます。
また、神話の継続となる伝説やサガを後篇として加えて(全体の6割超)北欧精神と文学の流れを展望できる点が優れていると思います。
読んで思い出したのが『ファイアーエムブレム』でして、あれは北欧神話を偏愛し過ぎですね。
デンマークの文化史家の著者がエッダを創訳し1927年に刊行されたものの全訳日本語版(1971年)が文庫収録されています。
訳者は「北欧神話の代表的なものをほぼ網羅し、原典ではバラバラに近い話に文化私的考察を交えて脈絡をつけ統一的発展にその経路を辿っている」と述べ、確かに読みやすい物語だと言えます。
また、神話の継続となる伝説やサガを後篇として加えて(全体の6割超)北欧精神と文学の流れを展望できる点が優れていると思います。
読んで思い出したのが『ファイアーエムブレム』でして、あれは北欧神話を偏愛し過ぎですね。
『北欧神話(1984年刊)』の復刻版です。スノップ・ストゥルルソンの散文のエッダ他、考古学資料から多角的に、原典としての北欧神話を検証した内容になっています。
印欧語族の移動で十世紀前後に成立した新しい神話であり、ゲルマン神話の影響が大きく見て取れます。また、ラグナロクには新約聖書「ヨハネの黙示録」の影響が色濃くあります。
正鵠を得ているか定かではありませんが、北欧神話の大きな特徴は運命論だと思います。また、農耕畜産信仰の意味合いが強く「豚」が尊ばれている印象を受けます。
あと、破壊的な自然の脅威の擬人化として巨人があり、苛酷な環境を思わせます。
『北欧神話(1984年刊)』の復刻版です。スノップ・ストゥルルソンの散文のエッダ他、考古学資料から多角的に、原典としての北欧神話を検証した内容になっています。
印欧語族の移動で十世紀前後に成立した新しい神話であり、ゲルマン神話の影響が大きく見て取れます。また、ラグナロクには新約聖書「ヨハネの黙示録」の影響が色濃くあります。
正鵠を得ているか定かではありませんが、北欧神話の大きな特徴は運命論だと思います。また、農耕畜産信仰の意味合いが強く「豚」が尊ばれている印象を受けます。
あと、破壊的な自然の脅威の擬人化として巨人があり、苛酷な環境を思わせます。
出会いから死体発見までの56日間に一体何が起きたのか?
2020年春のダブリンで一組の男女が運命的な出会いをして惹かれ合い同棲を始めます。
これはラブロマンスであり、サスペンスであってミステリーでもあります。そしてロックダウンが言わずもがなという特殊設定として上手く機能するように組み込まれているのです。故にパンデミックは主題ではありません。
現在と過去と二人の視点が交錯する構成は、自分が記憶喪失のサイコキラーになった気分でした。個人的には「今日」だけを最初に読めればよかったなあと思います。多様な読み方が可能な小説です。
出会いから死体発見までの56日間に一体何が起きたのか?
2020年春のダブリンで一組の男女が運命的な出会いをして惹かれ合い同棲を始めます。
これはラブロマンスであり、サスペンスであってミステリーでもあります。そしてロックダウンが言わずもがなという特殊設定として上手く機能するように組み込まれているのです。故にパンデミックは主題ではありません。
現在と過去と二人の視点が交錯する構成は、自分が記憶喪失のサイコキラーになった気分でした。個人的には「今日」だけを最初に読めればよかったなあと思います。多様な読み方が可能な小説です。
エイリッヒ・フロム『愛するということ(The Art of Loving)』日本語新訳者によるフロム心理学のエッセンスを抽出した入門書です。
「愛は成熟した大人だけが経験できるものであり、本当の愛を体験するには、愛とはいったい何なのかを深く学び、愛する技術を習得する必要がある」との事ですが、これは愛を経験する中でのみ成長する事を示しています。
消費に幸福感を見出す事で愛もまた消費の対象に貶められてしまった事で、現代人は愛を誤解してしまった模様です。
本書を通して個人的な問題(解決はできないけれど)の要点が詳らかになり僥倖でした。
エイリッヒ・フロム『愛するということ(The Art of Loving)』日本語新訳者によるフロム心理学のエッセンスを抽出した入門書です。
「愛は成熟した大人だけが経験できるものであり、本当の愛を体験するには、愛とはいったい何なのかを深く学び、愛する技術を習得する必要がある」との事ですが、これは愛を経験する中でのみ成長する事を示しています。
消費に幸福感を見出す事で愛もまた消費の対象に貶められてしまった事で、現代人は愛を誤解してしまった模様です。
本書を通して個人的な問題(解決はできないけれど)の要点が詳らかになり僥倖でした。
ギリシャ神話の寓話を比喩として、その根本思想である不条理の哲学を理論的に展開追求する事で自身の作品の根底を支える思想を示したエッセイです。
その実は「人生が生きる価値はあるのか否か」の論証であって、自殺が主題となっています。
・自死は不条理に目を背ける行為
・不条理の下では行為の結果は等価値
・人生の価値はその不毛性で測られる
・人間の尊厳とは、自己の在り方に反抗を試み、不毛な努力を続ける姿勢にある
このように演繹的に進行してシーシュポスの寓話へと帰結します。
考えた事のなかった視点とその洞察に驚愕する形而上哲学でした。
ギリシャ神話の寓話を比喩として、その根本思想である不条理の哲学を理論的に展開追求する事で自身の作品の根底を支える思想を示したエッセイです。
その実は「人生が生きる価値はあるのか否か」の論証であって、自殺が主題となっています。
・自死は不条理に目を背ける行為
・不条理の下では行為の結果は等価値
・人生の価値はその不毛性で測られる
・人間の尊厳とは、自己の在り方に反抗を試み、不毛な努力を続ける姿勢にある
このように演繹的に進行してシーシュポスの寓話へと帰結します。
考えた事のなかった視点とその洞察に驚愕する形而上哲学でした。
ソポクレスは『オイディプス王』と『コロノスのオイディプス』という二つの物語で深遠な問いを立てています。
・人間の本性とは何か?
・苛烈な運命の下で、人間はいかに生きるべきか?
筆者の物語と史観を掘り下げた真に迫る解説をもって、悲劇の白眉たる凄味を現代人に伝えています。
スピンクスの難問がオイディプスそのものを指し示す問となり「人間の正体がじつは何であり、何でありえるのか?」という解をその生涯を通して表しているのです。
張巡らされた伏線、問の解が表す新たな問、科白に含まれる二重の意味などを通じて古典悲劇がとても面白い作品として読み解けました。
ソポクレスは『オイディプス王』と『コロノスのオイディプス』という二つの物語で深遠な問いを立てています。
・人間の本性とは何か?
・苛烈な運命の下で、人間はいかに生きるべきか?
筆者の物語と史観を掘り下げた真に迫る解説をもって、悲劇の白眉たる凄味を現代人に伝えています。
スピンクスの難問がオイディプスそのものを指し示す問となり「人間の正体がじつは何であり、何でありえるのか?」という解をその生涯を通して表しているのです。
張巡らされた伏線、問の解が表す新たな問、科白に含まれる二重の意味などを通じて古典悲劇がとても面白い作品として読み解けました。
二世紀頃、ローマ一般大衆に向けてラテン語で編まれた277話から成る神話集です。事典的な意味合いが強い。
著者が正体不明かつ写本から校訂本となる16世紀までの間に誤字脱字欠落加筆修正もあり意味不明な所も多いのですが、註釈に助けられます。
「王様の耳はロバの耳」と「触れたものが黄金に変わる王様の話」が繋がっていたり、『走れメロス』の原型の話があったりと瑣末を楽しめました。
ローマ人にとっては名を覚える事が教養らしく、察するには記紀の神産みが如き羅列には漢文の素読の様な意味合いがあったのかもしれません。
二世紀頃、ローマ一般大衆に向けてラテン語で編まれた277話から成る神話集です。事典的な意味合いが強い。
著者が正体不明かつ写本から校訂本となる16世紀までの間に誤字脱字欠落加筆修正もあり意味不明な所も多いのですが、註釈に助けられます。
「王様の耳はロバの耳」と「触れたものが黄金に変わる王様の話」が繋がっていたり、『走れメロス』の原型の話があったりと瑣末を楽しめました。
ローマ人にとっては名を覚える事が教養らしく、察するには記紀の神産みが如き羅列には漢文の素読の様な意味合いがあったのかもしれません。
裏表紙にある「未来での大戦の中、疎開する少年たちは太平洋の孤島に漂着。大人のいない世界で秩序だった生活を送ろうとするが、心に巣食う野獣が目覚め内部対立から闘争へと駆り立てられていく」が話の流れとしては全てなのですが、その中の描写にある機微に(ラヴクラフトを読んだことがないのですが)クトゥルフ神話ってこんな感じなのかな?と思ってしまいました。
また、ラストの士官との会話の内にはヘーゲルの弁証法があると思うのですが、自らを律するに至らない稚拙さと仰げる主人の対比として、キリスト教的な神と人の対比のように感じられました。
裏表紙にある「未来での大戦の中、疎開する少年たちは太平洋の孤島に漂着。大人のいない世界で秩序だった生活を送ろうとするが、心に巣食う野獣が目覚め内部対立から闘争へと駆り立てられていく」が話の流れとしては全てなのですが、その中の描写にある機微に(ラヴクラフトを読んだことがないのですが)クトゥルフ神話ってこんな感じなのかな?と思ってしまいました。
また、ラストの士官との会話の内にはヘーゲルの弁証法があると思うのですが、自らを律するに至らない稚拙さと仰げる主人の対比として、キリスト教的な神と人の対比のように感じられました。
TVアニメ2期で追い抜かれてしまったので展開は既に分かっていたのですが、砦編まだ終わらんのかい?!コミカライズ版も丁寧な展開なのでこればかりはしょうかないのかなと思います。
それにしても楼蘭が猫猫に見せる笑顔は『もののけ姫』でアシタカがカヤに見せる笑顔と重なるものがあります。ここでの楼蘭のそれは仮面としての笑顔ではなく、今生の別れの葛藤を見せまいとする、演技としての渾身の笑みを描いている作画だなあと思いました。
まあ、カヤの小刀同様の運命を辿る猫猫のカンザシも相まっての重なりでもありますが。
TVアニメ2期で追い抜かれてしまったので展開は既に分かっていたのですが、砦編まだ終わらんのかい?!コミカライズ版も丁寧な展開なのでこればかりはしょうかないのかなと思います。
それにしても楼蘭が猫猫に見せる笑顔は『もののけ姫』でアシタカがカヤに見せる笑顔と重なるものがあります。ここでの楼蘭のそれは仮面としての笑顔ではなく、今生の別れの葛藤を見せまいとする、演技としての渾身の笑みを描いている作画だなあと思いました。
まあ、カヤの小刀同様の運命を辿る猫猫のカンザシも相まっての重なりでもありますが。
世界一有名な神話であるにも関わらず、膨大すぎて断片的にしかわからないギリシャ神話をどこから斬り込むべきか…と困った時の阿刀田高なのです。1999年の『NHK人間講座』テキストを加筆修正した上で挿絵に世界の名画を添えたカラー文庫版。
人間にとっての神とは、ギリシャ神話では「敬愛」日本だと「畏怖」と対蹠的な印象です。その為か、ギリシャ人にとってのアイデンティティ、または哲学として現在でも身近な存在として有るようです。
聖闘士星矢世代にとって意外なのが、星座は重要ではないという事です。これはエジプト・バビロニア神話の置換えとしての要素が強いみたいですね。
世界一有名な神話であるにも関わらず、膨大すぎて断片的にしかわからないギリシャ神話をどこから斬り込むべきか…と困った時の阿刀田高なのです。1999年の『NHK人間講座』テキストを加筆修正した上で挿絵に世界の名画を添えたカラー文庫版。
人間にとっての神とは、ギリシャ神話では「敬愛」日本だと「畏怖」と対蹠的な印象です。その為か、ギリシャ人にとってのアイデンティティ、または哲学として現在でも身近な存在として有るようです。
聖闘士星矢世代にとって意外なのが、星座は重要ではないという事です。これはエジプト・バビロニア神話の置換えとしての要素が強いみたいですね。
1946年以降の中学国語教科書掲載作品から独自編集した文庫オリジナルシリーズのひとつです。
科学とは数理に限定して考えがちなものですが、本書を読むと「コップの中の水が教えてくれた事」という例え話が想起されます。
算数で量、理科で正体、社会で輸送、美術で鑑賞、音楽で演奏、技術で素材、保健体育で必要性、道徳で分かつ気持ちを学び、国語でこの話を理解して伝える事が出来るようになる。外国語で世界中に伝え、哲学でその意味を考える。世界をただ見るだけの人生で終わらせない為に。
科学的思考とは大局的には此等を包括する考え方だと思うのです。
1946年以降の中学国語教科書掲載作品から独自編集した文庫オリジナルシリーズのひとつです。
科学とは数理に限定して考えがちなものですが、本書を読むと「コップの中の水が教えてくれた事」という例え話が想起されます。
算数で量、理科で正体、社会で輸送、美術で鑑賞、音楽で演奏、技術で素材、保健体育で必要性、道徳で分かつ気持ちを学び、国語でこの話を理解して伝える事が出来るようになる。外国語で世界中に伝え、哲学でその意味を考える。世界をただ見るだけの人生で終わらせない為に。
科学的思考とは大局的には此等を包括する考え方だと思うのです。
羊、猴、鶏、犬、猪、鼠の六支。牛がいないのは、関東大震災で鼠が没稿、打ち切りの為。腹稿が近年発見されました。
羊は意外と凶暴らしく、ヤギと比べても両者共に気性が荒い一面があるようで意外です。
猿は尻尾のあるモンキー、猴は尻尾のないエイプの意味合いなのだそう。近世以前まで二足歩行の猿猴は鳥に分類されていたそうです。
インド叙事詩『ラーマーヤナ』の要約と解説が興味深いですね。これが誤解釈のまま伝来して日本で青面金剛になった模様。
また、丹心丹誠の丹に戯れで猿の尻の赤をかけたお遊びから「真っ赤な嘘」と正反対の意味を取る言葉遊びなぞいとおかし。(続く)
羊、猴、鶏、犬、猪、鼠の六支。牛がいないのは、関東大震災で鼠が没稿、打ち切りの為。腹稿が近年発見されました。
羊は意外と凶暴らしく、ヤギと比べても両者共に気性が荒い一面があるようで意外です。
猿は尻尾のあるモンキー、猴は尻尾のないエイプの意味合いなのだそう。近世以前まで二足歩行の猿猴は鳥に分類されていたそうです。
インド叙事詩『ラーマーヤナ』の要約と解説が興味深いですね。これが誤解釈のまま伝来して日本で青面金剛になった模様。
また、丹心丹誠の丹に戯れで猿の尻の赤をかけたお遊びから「真っ赤な嘘」と正反対の意味を取る言葉遊びなぞいとおかし。(続く)
十二支の動物に関する事柄を思い付くままに書き連ねた雑誌連載をまとめたものです。虎、兎、竜、蛇、馬の五支。
ルビも多く付されており、口語体なので現代人にも読める形にはなっていますが、連想から別の動物の話になり、鉱物の話から植物になったり、生態や伝承の他にも食べ方やその効能に至るまで自由闊達が過ぎます。加えて改行もなく延々と続く事が読み難さになります。
虎では、当時ネコ科もイヌ科も同じ肉食動物の括りで同じ様に見られていた印象でごちゃ混ぜに出てきます。
兎は、意外と性に関わる象徴として考えられていたようですね。
辰巳午に続く。
十二支の動物に関する事柄を思い付くままに書き連ねた雑誌連載をまとめたものです。虎、兎、竜、蛇、馬の五支。
ルビも多く付されており、口語体なので現代人にも読める形にはなっていますが、連想から別の動物の話になり、鉱物の話から植物になったり、生態や伝承の他にも食べ方やその効能に至るまで自由闊達が過ぎます。加えて改行もなく延々と続く事が読み難さになります。
虎では、当時ネコ科もイヌ科も同じ肉食動物の括りで同じ様に見られていた印象でごちゃ混ぜに出てきます。
兎は、意外と性に関わる象徴として考えられていたようですね。
辰巳午に続く。
「絶滅から生命の進化を読み解く新しい生物学の教科書」と銘打たれています。
養老孟司は解説で「はたして絶滅とは何を意味するか、丁寧に鋭く突く」と述べていますが、基本的な語彙の説明にこそ丁寧かつ文化系であって、人文系を対象とした生物学入門一歩手前という趣きがあります。
何故絶滅するのかという問いには、環境適応が最大の要因として考えられる所ではあります。環境を人為的に変容させる力があるという意味で人類の影響は大きいのだと思います。
種や系統においても生物個体同様の寿命があるのか?という解決不能な難問こそ真相なのだろうとも思う。
「絶滅から生命の進化を読み解く新しい生物学の教科書」と銘打たれています。
養老孟司は解説で「はたして絶滅とは何を意味するか、丁寧に鋭く突く」と述べていますが、基本的な語彙の説明にこそ丁寧かつ文化系であって、人文系を対象とした生物学入門一歩手前という趣きがあります。
何故絶滅するのかという問いには、環境適応が最大の要因として考えられる所ではあります。環境を人為的に変容させる力があるという意味で人類の影響は大きいのだと思います。
種や系統においても生物個体同様の寿命があるのか?という解決不能な難問こそ真相なのだろうとも思う。
「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」
運命を回避しようと足掻いたりする事もなく、世界はあっさりと滅亡を受け入れる所から物語は始まります。故に最期の瞬間までどうやって過ごすのか?という四人の眼差しが、幸せとは何なのか?という問いを読者に投げかける作品となっているのだと思います。
眼差しの語るジャンルこそバラバラなのですが、共に幸せのテンプレートから外れた日常から世界の滅亡の間際に至り、自身の居場所に納まる事で「自由を手にした=幸せの結末」という印象です。
ある意味でパンデミックを経験した後の世界にこそ響く世界観の作品かなと思います。
「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」
運命を回避しようと足掻いたりする事もなく、世界はあっさりと滅亡を受け入れる所から物語は始まります。故に最期の瞬間までどうやって過ごすのか?という四人の眼差しが、幸せとは何なのか?という問いを読者に投げかける作品となっているのだと思います。
眼差しの語るジャンルこそバラバラなのですが、共に幸せのテンプレートから外れた日常から世界の滅亡の間際に至り、自身の居場所に納まる事で「自由を手にした=幸せの結末」という印象です。
ある意味でパンデミックを経験した後の世界にこそ響く世界観の作品かなと思います。
海洋人類学者の著者が何故神話かと言えば「DNA分析によるホモサピエンス移動の軌跡を、神話を分析する事でその足跡がより理解出来る為」だそうです。
本著はマイケル・ヴィツェル『世界神話の起源』で人類最古の神話的思考と人類最古の物語に大別した学説をベースに仮説を思索します。類例として各地の神話が読めてしまう特典付き。
指輪物語のトールキンはかつて「その報いは人間とエルフを少しずつオークに変えてしまうことだ」と国策的ナショナリズム扇動に神話を用いた事に対して述べています。古層である神話的思考とは、この言葉を再度見つめ直す意味を持っているものかと思います。
海洋人類学者の著者が何故神話かと言えば「DNA分析によるホモサピエンス移動の軌跡を、神話を分析する事でその足跡がより理解出来る為」だそうです。
本著はマイケル・ヴィツェル『世界神話の起源』で人類最古の神話的思考と人類最古の物語に大別した学説をベースに仮説を思索します。類例として各地の神話が読めてしまう特典付き。
指輪物語のトールキンはかつて「その報いは人間とエルフを少しずつオークに変えてしまうことだ」と国策的ナショナリズム扇動に神話を用いた事に対して述べています。古層である神話的思考とは、この言葉を再度見つめ直す意味を持っているものかと思います。
職場で定年退職後の延長雇用の方と組む機会がしばしばありまして、先日面白い小説が何かないかと探しているという話になったのでオススメ小説を交換して手元に来たものがコレです。作者最長編を渡してくる辺りが凄いマインドだなあ。
作中の「教祖の奇妙な話」にて始原仏教からインド哲学の話に始まり、偶然にしてもまたインド……スタンド使い同士は惹かれ合う…!などと因縁を感じてしまいました。
内容は、対立する宗教団体の教祖によって運命を翻弄される4人の男女の物語なのですが、世界系に収束する事で全てを煙に巻かれてしまったという感じがします。
その他、私感はツリーに書いてみます。
職場で定年退職後の延長雇用の方と組む機会がしばしばありまして、先日面白い小説が何かないかと探しているという話になったのでオススメ小説を交換して手元に来たものがコレです。作者最長編を渡してくる辺りが凄いマインドだなあ。
作中の「教祖の奇妙な話」にて始原仏教からインド哲学の話に始まり、偶然にしてもまたインド……スタンド使い同士は惹かれ合う…!などと因縁を感じてしまいました。
内容は、対立する宗教団体の教祖によって運命を翻弄される4人の男女の物語なのですが、世界系に収束する事で全てを煙に巻かれてしまったという感じがします。
その他、私感はツリーに書いてみます。
日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞という邦国でのエッセイに対する二大賞を史上初めてダブル受賞したという怪作です。
豊饒な語彙をやさしく噛み砕いた様な緻密な文体でもって「様々な色彩が宿っている事を感じられる」そんな文章が綴られています。
また、名もなき人間の生き様にしみじみとしたとした読後感を残す事が、人間にある深みを引き出せている証左としての美文にも思えます。
事実は小説より奇なりとはよく言ったものですが、イタリアという見知らぬ土地はさながら異世界の様相で、小説のように読めてしまう魅力のあるエッセイでした。
日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞という邦国でのエッセイに対する二大賞を史上初めてダブル受賞したという怪作です。
豊饒な語彙をやさしく噛み砕いた様な緻密な文体でもって「様々な色彩が宿っている事を感じられる」そんな文章が綴られています。
また、名もなき人間の生き様にしみじみとしたとした読後感を残す事が、人間にある深みを引き出せている証左としての美文にも思えます。
事実は小説より奇なりとはよく言ったものですが、イタリアという見知らぬ土地はさながら異世界の様相で、小説のように読めてしまう魅力のあるエッセイでした。
2001年放送のNHK「ハイビジョンスペシャル 河合隼雄 ケルト昔話の旅」を書籍化したものですが、旅行記でもなければ調査研究の報告書でもありません。しかし、ケルト文化についての概要が読み解く思索エッセイのような深みを覚えました。
特に儀式に関してのホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を取り上げての考察では、インド哲学においての行為のヨーガに通じる見解を表していた事が非常に興味深ったですね。
ケルトに見られる丸の中に十字のシンボルは太陽と火水風土を表すそうな。キリスト教以前の文化なので、そりゃ受難のシンボルであるわけがないですね。
2001年放送のNHK「ハイビジョンスペシャル 河合隼雄 ケルト昔話の旅」を書籍化したものですが、旅行記でもなければ調査研究の報告書でもありません。しかし、ケルト文化についての概要が読み解く思索エッセイのような深みを覚えました。
特に儀式に関してのホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を取り上げての考察では、インド哲学においての行為のヨーガに通じる見解を表していた事が非常に興味深ったですね。
ケルトに見られる丸の中に十字のシンボルは太陽と火水風土を表すそうな。キリスト教以前の文化なので、そりゃ受難のシンボルであるわけがないですね。