写真と300字作文
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TLを弄って遊ぶので、フォロー、アンフォロー頻繁にします。気にしないでください。
先日は銀座の金春通りに写真を撮りに行ってました。
僕が路地に惹かれる理由はよくわかりません。小さい頃の遊び場だったので、郷愁を感じるのかもしれないし、物事の裏側を見ようとするへそ曲がりな気質の発露なのかもしれないし、単なる子宮回帰願望なのかもしれない。
なんにせよ狭く汚い路地の中を歩いていると、もうずっとここから出れないまま年老いて死んでいければいいのにと思う時があります。
そんな気持ちでフラフラと歩いていると、突然大きな通りにでてしまって、がっかりしたようなホッとしたような気持ちになったりします。
先日は銀座の金春通りに写真を撮りに行ってました。
僕が路地に惹かれる理由はよくわかりません。小さい頃の遊び場だったので、郷愁を感じるのかもしれないし、物事の裏側を見ようとするへそ曲がりな気質の発露なのかもしれないし、単なる子宮回帰願望なのかもしれない。
なんにせよ狭く汚い路地の中を歩いていると、もうずっとここから出れないまま年老いて死んでいければいいのにと思う時があります。
そんな気持ちでフラフラと歩いていると、突然大きな通りにでてしまって、がっかりしたようなホッとしたような気持ちになったりします。
信頼に値する正義があるとすれば、それは常に迷い、戸惑い、揺れ動く中から、他者への純粋な尊敬や敬意に根を張り立ち上がってくるものなんだと思います。
僕は宗教に明るくないので、カトリックについては(あ、漁師の指輪だぁ)ぐらいしかわかりませんでしたが、それでも十分楽しめました。
信頼に値する正義があるとすれば、それは常に迷い、戸惑い、揺れ動く中から、他者への純粋な尊敬や敬意に根を張り立ち上がってくるものなんだと思います。
僕は宗教に明るくないので、カトリックについては(あ、漁師の指輪だぁ)ぐらいしかわかりませんでしたが、それでも十分楽しめました。
コロナの頃から生き急ぐのをやめたので、今更ながらスニーカーも革靴も、脱ぐ時は靴紐をきちんとほどくようになった。(物の値段が上がってきて長持ちさせないとという気持ちもある)
始めてみると悪くない習慣だった。きちんと玄関に座って靴の位置に足を合わせて、紐を締める。足や指の動きに集中する。日常が忙しくなればなるほど、行為に意識を向ける時間の大事さがわかってきた気がする。
コロナの頃から生き急ぐのをやめたので、今更ながらスニーカーも革靴も、脱ぐ時は靴紐をきちんとほどくようになった。(物の値段が上がってきて長持ちさせないとという気持ちもある)
始めてみると悪くない習慣だった。きちんと玄関に座って靴の位置に足を合わせて、紐を締める。足や指の動きに集中する。日常が忙しくなればなるほど、行為に意識を向ける時間の大事さがわかってきた気がする。
お正月に親戚の用事で通りかかったら、ラーメン屋さんは改築してそばにどでかいモルモン教の教会が建ってたので、なにもこんなところに建てなくてもと笑ってしまった。
下鴨の下宿は神社の南側に住む大家さんに現金と通い帳をもっていくシステムだった。縁側でお茶をいただいたついでに「京都は街がきれいですね。アパートのお隣の方が毎日掃除してくれて・・」というと「あのお家はお爺さんの代に滋賀から来はったんで、京都の人やおへんけどな」と言われて面食らった良い思い出がある。
お正月に親戚の用事で通りかかったら、ラーメン屋さんは改築してそばにどでかいモルモン教の教会が建ってたので、なにもこんなところに建てなくてもと笑ってしまった。
下鴨の下宿は神社の南側に住む大家さんに現金と通い帳をもっていくシステムだった。縁側でお茶をいただいたついでに「京都は街がきれいですね。アパートのお隣の方が毎日掃除してくれて・・」というと「あのお家はお爺さんの代に滋賀から来はったんで、京都の人やおへんけどな」と言われて面食らった良い思い出がある。
・行ったり戻ったりできない
・全体に対する現在地がわからない
・読んだ(食べた?)感じがしない
というだけだ。
ここがしんどくて仕方がない。kindleで本が読める人の読書と、僕の読書は根本的になにかが違うのかもしれない。
一度読んで気に入った本はkindleでも買う。いつでも読めるのはとても良い。一度読んでいるので、前述の問題も気にならない。そうなると大変ありがたい仕組みだなと思う。
・行ったり戻ったりできない
・全体に対する現在地がわからない
・読んだ(食べた?)感じがしない
というだけだ。
ここがしんどくて仕方がない。kindleで本が読める人の読書と、僕の読書は根本的になにかが違うのかもしれない。
一度読んで気に入った本はkindleでも買う。いつでも読めるのはとても良い。一度読んでいるので、前述の問題も気にならない。そうなると大変ありがたい仕組みだなと思う。
当然ながらこれだけ自分に甘いので、他人にも甘い。時々その人のためを思って厳しくするという人がいるけど、他人に厳しく接することと、他人を否定して介入することは、根本的に違うことのように感じる。
僕の両親は非常に厳しい人だったし父親とは長らく不仲だったけれど、自分を否定されたことはないので、それだけはありがたかった。
当然ながらこれだけ自分に甘いので、他人にも甘い。時々その人のためを思って厳しくするという人がいるけど、他人に厳しく接することと、他人を否定して介入することは、根本的に違うことのように感じる。
僕の両親は非常に厳しい人だったし父親とは長らく不仲だったけれど、自分を否定されたことはないので、それだけはありがたかった。
妻氏からチョコをもらう。ケースが良すぎる。
新しい時計を買う。良すぎる。
仕事用の手帳とプライベートの手帳を磨く。良すぎる。
他人の金でカニを心ゆくまで食べる。良すぎる。
妻氏からチョコをもらう。ケースが良すぎる。
新しい時計を買う。良すぎる。
仕事用の手帳とプライベートの手帳を磨く。良すぎる。
他人の金でカニを心ゆくまで食べる。良すぎる。
2024年の末からジムを再開して、ブレストで300m泳いだ時点で息が上がり、愕然とした。2ヶ月経って1kmはいけるようになった。徐々に体がリストアされていく感覚があるので、楽しい。クロールはまだ無理だけど。
ジムの帰りに美味しいビリヤニが食べられるお店を見つけた。これもまた最高に嬉しい。
2024年の末からジムを再開して、ブレストで300m泳いだ時点で息が上がり、愕然とした。2ヶ月経って1kmはいけるようになった。徐々に体がリストアされていく感覚があるので、楽しい。クロールはまだ無理だけど。
ジムの帰りに美味しいビリヤニが食べられるお店を見つけた。これもまた最高に嬉しい。
それぞれの話をすると到底文字数が足りないので割愛するが、なんにせよ生き抜くというのは大変なことだ。そしてとても楽しい。
特に問題なく、上手く生活が回っているな、という感覚は今までの人生で1回あったが、今回はできるだけ長く続けばいいなと思っている。
それぞれの話をすると到底文字数が足りないので割愛するが、なんにせよ生き抜くというのは大変なことだ。そしてとても楽しい。
特に問題なく、上手く生活が回っているな、という感覚は今までの人生で1回あったが、今回はできるだけ長く続けばいいなと思っている。
歳を取るとだんだん自然科学や動植物を愛でるようになる、みたいな話もあるけど、僕は全く逆のようで、どんどん興味が薄れていく。いや、それよりもずっと、人の生業の方に興味が移ってきたということかもしれない。
博物館にある器や絵や像は自然とそこに在るものではない。僕はいつもそれを創り出した「手」を想像する。これを創り出した手の持ち主は、その生きた時代で、毎日どんな事を楽しみ、悩んでいたんだろう。それを考えているだけで楽しいし、一日があっという間に過ぎていく気がする。博物館は楽しい。
歳を取るとだんだん自然科学や動植物を愛でるようになる、みたいな話もあるけど、僕は全く逆のようで、どんどん興味が薄れていく。いや、それよりもずっと、人の生業の方に興味が移ってきたということかもしれない。
博物館にある器や絵や像は自然とそこに在るものではない。僕はいつもそれを創り出した「手」を想像する。これを創り出した手の持ち主は、その生きた時代で、毎日どんな事を楽しみ、悩んでいたんだろう。それを考えているだけで楽しいし、一日があっという間に過ぎていく気がする。博物館は楽しい。
色々なものを見たし、友人も亡くしたが、詳しくは書かない。ただ人間の残酷さも愚かさも、一通り見た。マスコミやジャーナリストを名乗る人達の不誠実さはきっと僕の心から一生消えない。でも、人や社会を信じるに値する光景も、たくさん見ることができた。
年とともに記憶は薄れていくが、僕個人的には、それでいいようにも思う。
色々なものを見たし、友人も亡くしたが、詳しくは書かない。ただ人間の残酷さも愚かさも、一通り見た。マスコミやジャーナリストを名乗る人達の不誠実さはきっと僕の心から一生消えない。でも、人や社会を信じるに値する光景も、たくさん見ることができた。
年とともに記憶は薄れていくが、僕個人的には、それでいいようにも思う。
たまに見たい展覧会があると一人でふらりと行って、美味しいご飯を食べて帰ってくる。他人(子供だけど)の健康やアレルギーに気を使わないで生きるのがこれほど楽だったとは。
集団が苦手なくせに一人でご飯を食べるのが苦手だったが、歳を取るにつれどうでもよくなってきた。今は一人の食事がとても豊かに感じるから不思議なものだと思う。
たまに見たい展覧会があると一人でふらりと行って、美味しいご飯を食べて帰ってくる。他人(子供だけど)の健康やアレルギーに気を使わないで生きるのがこれほど楽だったとは。
集団が苦手なくせに一人でご飯を食べるのが苦手だったが、歳を取るにつれどうでもよくなってきた。今は一人の食事がとても豊かに感じるから不思議なものだと思う。