やねの庇
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やねの庇
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感想用
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9th Dawn Remake Switch版クリア。できる事が豊富であるが故に気がつかないとかなり手間取る。そのあたりSkyrimに感覚近かった。

防具作成の場所と錬金術で進化素材作れるのがわかるとかなり楽になったが、それに気がつかないまでが難しかった。
途中から呪文が圧倒的に強い事に気づき、防具の強化=攻撃の強化になるため、優先順位を変えていった。
錬金術、レベル制限でマスクされているから最初有用性に気がつかない…。
ヴィンランド・サガ 29巻読了。主人公トルフィンが何と戦っていたのかを最後の戦争を通して伝える。

間違った事(暴力)を仕方がないとする、それと戦うには逃走も交渉も手段を考える、という壮年期トルフィン。親友のエイナルがその業を背負ってしまった事で、読者がわかる構成になり、最終巻に相応しいと思った。

暴力を行う事が普通の世界で、さらに自分がそれを最も得意としていたとしても、その理由を極限まで問い詰め排除する姿勢がかっこいい。人が集まるのも頷けるカリスマだと思う。
16巻あるのに32才の主人公の経歴、家族、住居に殆ど触れないのも凄い。触れた方が明らかに楽だと思う。

二階堂地獄ゴルフとかハンチョウ、路傍のフジイとかのおっさん生活モノ路線でもいけたんじゃないかなぁ。それが正解ではないけど、最初にフックにかかった読者層は読んでそう。
怪獣8号 漫画版最終巻まで。
読んだ後に1巻から読み返した。
怪獣処理会社と夢破れた主人公という1話のクオリティが高い。怪獣が前提のちょっぴりリアルを感じさせる社会、本当にやりたい仕事ができてないおっさんと虚構と現実のドラマがうまく噛み合っている。

社会と心情の良い塩梅のリアル感をお仕事モノとしてやっていくのか…と思った所でまさかの少年バトル漫画の方でいったのが、読者層に合わなかったように思える。

怪獣処理会社の仕事の内容を濃くする(怪獣リサイクルするとか)だけで社会感の層の厚みが出、会社にいながら試験に受かる話でドラマも作れるという恵まれた環境だったのに、と思ってしまう。
美少女の美術史 読了。2014年の展覧会の冊子であったため、ネットフリマにて購入。
美人画や少女漫画等をアイドル・音楽・アクティビティ・魔法少女etc…のテーマで切り取っていく。
テーマの切り取り方が良かった。例えば音楽が「昔」どのように少女と描かれていたかを説明した事で、冊子上は初音ミクあたりまでの歴史であったとしても、2025の「今」どうだろうかという冊子からすると未来にへの余地が残る。普遍性が高いテーマが多く、観点が増える良い本だった。
劇場版ポールプリンセス‼︎ 応援上映会。
応援上映を始めて見た。合いの手、拍手、サイリウムがあるだけで臨場感が違う。

シリアスな笑いの部分を真面目に応援する事でシリアスに見えるという一人で見ていては得られない効果があった。

また、ポールダンスという題材上、冷静に見るとセクシー感による恥ずかしさが否めない所を応援上映にする事でカッコ良さに変えていくというのが面白い。

個人的にライバルキャラのトッププレイヤーのダブルス、シングルスの演技(3Dモデルでのダンス再現)が凄く、劇場で見れて良かった。
タコピーの原罪 アニメ版。原作既読済。
終わらせ方が思い出せず、一気に見てしまった。
配色のセンスが良く、彩度は高めだが明度が落ち着いている夏の背景の生々しさの中にタコピーの異質なショッキングピンクが目立つ。
また、タコピーの生物感・触感は漫画だと伝わり辛かったが、アニメは描ききれていたと思う。取扱うテーマがシリアスであるが故に、タコピー自身の現実感が映像で増したのは大きい。
終わり方としてタコピーの優しさが記憶としてみんなを救ったため、存在(かたち)は重要でないのかもしれない。ただ、やはりノートにタコピーを描いたおかげで救われた結末から、タコピーの現実感を映像で増したアニメは意義があった。
エレン側の話について、個人的にそこまでハマらなかった。天才の孤独はつきまといつつ、基本チームで動いていた事からか悲哀はそこまで無かった。

光一の方は創作モノの王道、課題解決型で物語が進行するため、ウンチク含め楽しめた。それと共に心情描写が多く、理解されない孤独感はこちらの方が強く感じた。
左ききのエレン リメイク版漫画読了。
エピソードによって時間が飛ぶ中で最終エピソードの時間軸のために補完していくのが面白い。ただ、最初はどの時間軸が最終エピソードなのかいまいち分からなかったため、もう一度読み始めた。
各エピソードにそれなりの強度が必要な中、凡人と天才の苦悩が仕事という観点で良く描かれていた。
特に凡人側の主人公、光一の仕事の上手くいかなささ・葛藤はエグい。社会的な絶対値では上澄みながらも、天才に囲まれすぎて相対値で劣る事に自覚しつつも抗う姿が良い。
そのため、天才側の主人公のエレンがどれ程天才かを描く必要があり、少年マンガ的な能力バトル風(多分わざと)であった。
いわゆる水戸黄門、暴れん坊将軍、上条当麻みたいなお約束にすると、敵に対する回答を主役がやってくれるため、収まりが良い。
猗窩座は自己解決した事で炭治郎が蚊帳の外にはなった。ただ、死闘で気を失っているレベルで説教始めたらそれはそれで違和感あり、やはり恩人の仇というのもあるため、会話させなかった、という選択肢もわかる。あと、守れなかった者の生き方という回答を炭治郎自身持っているかも危うい。
今回炭治郎は説教ができる立場では無いが、その精神性・技量で勝った流れとした。その事で、炭治郎というキャラクターが生きた。
お約束はキャラクターを物語の装置としてしまうのを逆説的に感じた。
鬼滅の刃 無限城編 劇場版。原作未読。1クールアニメも挟んでいる為、人気落ち着いているかなと思っていたが、凄まじい来場者だった。入場前のドリンク売り場で40分待ったのは初めて。
今回トリッキーなバトルがほぼ無く、ひっきりなしにパワー系バトルのため脂っこい印象。
箸休め的に回想が入るのはいつものではあるが、猗窩座の回想が凄い尺取っていた。いい話ではあるし、人として命を断つ理由でもある重要なものではある。
ただ、妓夫太郎の時のような主人公との掛け合いは特に無く(恩人の仇だからか)、ちょっと浮いていた。
主人公を説教マシーンとする物語も書けそうだけど、あえてドライに割り切っていた。
主人公は愚かとは言ったものの、行動原理が恋という他者のためのものであったのが人間性として素晴らしい所であった。

本当に自分が楽したいのであれば、先生の言う事を鵜呑みにして話せばいい所を、先生への信頼はヒロインには無い事にちゃんと気付き、自分の言葉となるよう調べあげていた。

主人公に人を見る目や先見の才があるとは言えないけれど、土俵際(これ以上は人間的にNGという瀬戸際)の判断力がちゃんとある所が憎めない。
客観的な事実らを主観で無理矢理繋ぎ合わせて論理にする事自体を批判しているのではなく、それの使い方(真実として一人で思い込む、他人に押し付ける)を考えるべきという結論だったのがよかった。
ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ 読了。まさか4巻で終わるとは思わなかった。
主人公の愚かさの描写が凄まじく、見ていて怖かった。陰謀論を信じていくところよりかは、相手の話している内容が理解ができずに自己完結して流される感じがとても気まずい。陰謀論から遠ざかっても最後までそこについては変わりないのがしょうがないけど辛い。
陰謀論を上から目線で一蹴したヒロインが、それが真実かもわからない事に気づき、ただ本心でそれをどう思うか答えたいとしたのがかっこいい。
物語の視点が多過ぎ(ニャアン、ジオンのシャリアサイド、キシリアサイド、シャアの過去)てマチュというキャラクターを捉えるのが個人的に難しかった。
マチュがアムロ的な物語を終わらせる役割、シャリアがシャア的な裏で世界を救う役割であったため、明らかにその分マチュが割食ってたのは仕方ない。
ただ、マチュがシュウジを好きになっていく、マチュとシャリアが仲良くなる、マチュがニャアンを許すあたりが説明は受けたが唐突すぎな印象を受けた。
いくらニュータイプとして会話できても心や思想までは通じ合わないから争う…といういつものを女友達という観点で期待していたんだろうけど、マチュのシュウジに対する執着が意外と無かったのにびっくりした。
地球行くまでの行動原理がそれだったから、それを貫くもんかと思ってたら、ララァが可哀想の方が優先された。

シュウジのどこに惚れてたのかといえば、世間に束縛されない自由さだったんだろう。
ララァを救うはマチュが自分で初めて見出した目的であり、大人のフォローもあり、求めていた選択の自由だったのかも。
どちらかといえばニャアンの方がシュウジに執着していたため、対比として描かれてたなら納得。
GQuuuuuuX 12話視聴。
ニャアンがマチュに嫉妬する事もなく、マチュがニャアンの横恋慕を咎める事もなく、ぬるっと仲直りした。マヴ戦略の展開熱くて好き。
マチュがララァを救う事で全てうまくいくようになっていた。
よくわからなかったシュウジがようやく表舞台に。この動機ならば確かに最終話で見せるしかない。
シャアのやろうとしていた事に絶望してシュウジが暴走した流れがよくわからなかった。
キラキラに心理的な象徴性を持たせるかと思いきや、特に無かった。
マチュの精神性に熱くなれるはずなのに乗れなかったのは動機がよくわからなかったからか…?
パナソニック汐留美術館のルドン展。パステル画目当てで行ったかいがあった。
下地が紙である事が多く、紙の色も茶系などこだわりがありそうであった。また、パステルを筆で延ばすというのは手法として面白そう。結構パステルで大きめな作品もあったのも意外だった。
作品としてペガサスの絵が個人的に良かった。青系の下地にミントグリーンでぼかしつつ、黄土色で微妙に筆致を出して燐光に見せる感じがカッコいい。其々の色が強めの彩度にも関わらず、主のミントグリーンの類似色だから成り立っているのか。
GQuuuuuuX 10話まで視聴。12話でたたむ為の準備終わった感じ。
シャロンの薔薇という根幹ギミックの説明のため、マチュとニャアンの話の割を食われた印象。

お互いの戦う理由までは推測できるくらいに説明されているけど…ニャアン生き残って欲しいと思うくらいに関係が希薄な気がする。友人の友人くらいの関係だったような…。

ニャアンが敵役をちゃんとやってもらうしかマチュのキャラとしての救いがない。マチュに対して境遇と好いた男を理由にラスボスして…それにマチュが回答してもらうしか…。
あとシュウジがトロフィー状態なため掘り下げ欲しいが、もうそれでいい気もするくらいに時間がないのでは。
Stray Switch版クリア。サイバーパンクな世界に迷い込んだ猫が地上を目指すゲーム。猫視点でダクトや配管上を駆け回るという発想が面白い。猫とロボットしか出てこず、仲間との別れも多い硬派な作品であった。

ジャンプ可能箇所が決まっているため、あの場所に飛びたいんだけど…というもどかしさはある。
また、アクションが増えて行動範囲が広がる…という要素も無い。そもそもチャプター方式のため、オープンワールド的要素は多少割り切ったように思える。

ただプレイ時間を踏まえると、ストーリー性を高め、アクションと報酬系(やり込み要素)を小さくしたのは英断と思う。それくらい別れの描き方が良かった。
さとう氏の引き出し(イナズマン、レッドバロン、アメコミetc…)をオマージュ、リスペクトとしてかなり入っている作品であった。
個人的な感想になるが、ある意味ビッグオー自体が色々なスタッフのメモリーの産物である。作品そのものがメモリーに囚われている(こう言うと語弊がありそう💦)中で、ビッグオーという世界を作ろうとするスタッフの意志が独自性の確立、個性、自由さを生み出したように思えた。
制作サイドのトークイベントを初めて行ったのだが、べしゃりが上手かった。
さとう氏は自分のやりたい事をどうすれば会社や世間に通せるか、という点で人を凄く見ているように感じた。
小中氏は出来上がったイメージボードから話を膨らませる(街の設定からライトテーマを作る、ドロシーをレギュラーキャラにする)のが凄まじかった。
THEビッグオー25周年イベント、2部側に参加。さとうけいいち氏と小中千昭氏のトークが面白かった。以下印象に残った話。

・さとう氏が片山監督に声掛けして企画を進めた。新たなロボットアニメの企画であり、通すのに3年くらいかかった。
・イメージ面はさとう氏、ストーリー面は片山監督と小中氏が構築していった。
・深夜アニメを仕事帰りの大人が見るとしたら落ち着いたものがいいのではという企画の推し方もした。
・記憶喪失の街の設定は巨大メカに街の人がどういうスタンスでいると面白いかから決めた。結果として記憶がテーマの一つになった。
・エメリッヒ版ゴジラからカメラワーク(ビル群からの俯瞰)の影響受けた。
シャリア・ブルをあのなりで子供として描きそうな理由として、スタドラの親父で前科があるのと設定上30代で青臭いことしても今の時代なら許されそうだから。
建前はどうであれ、本心シャアとの邂逅は望んでるから、キラキラとの向き合い方の決着には関係させるだろう。
ただ、そのエンドをやると「エヴァの焼き直しか…」とか言われそうだからメタ的に避けるかも。アニメ・夢からの脱却やるとエヴァ的って言われるの反則じゃないか?

だからニャアン&シャリア・ブルにはキラキラ滅ぶべし→シュウジと邂逅してキラキラも悪くないよね!が理想なのかも。