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@quiyuph.bsky.social
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がう
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アイドルファンって花に集う妖精のようになりたくて生きてるのか?その願望を否定はしないが、それが破綻する時を思うと、惨くて悲しみに満ち溢れるな
楽しみにも色んな形態があるが、悲しみや虚無感に放り出すような終わりにならないか自己批評を続けることが大事なのかな、と思う。それが
言葉を使った闘争は、結局、分断を深めて終わりだ。一つの問題を解決し、未来に二つの問題を残すようなことばっかだと思う。というか、一つも問題が解決するか?
誰かを打ち負かしたとして、彼らを待っているのは死ではなく、その後の人生なのだから。だから?地球を共有して生きるための良き行いを心がけてください。
最初から一つのことしか考えないことと、フォーカスを絞っていくやり方では、全く出力が違う
差別を正当化したいのではなく、ベースのマインドとしては、言論の戦争なんて誰にもやってほしくないから、理解しあってことを進めてくれればいいのにという気持ちがある。君たちは本当に話し合いというものをしたのか?って。偽物のディベートに明け暮れ、相手を打ち負かすことばかり考えているように見えてガッカリする。

君たちがちゃんとやってくれないと僕が美味い空気を吸えないじゃないか。しゃんとしてくれ。
怖くなくね?とか言うの、感情の段階を否定することってやっていいの?
その感情を解きほぐすのがやり方だと思う
それは差別を学習したからなのかもしれないし、コミュニティ内で共有された空気(誤読だとしても)かもしれないし、普通に流動性の低い地域では異邦人の数人の集団を見ただけでおののくことだって、別にありえないわけじゃなさそうではないですか。
分断がもはや起こりやすいものだと考えることは妥当だと思うけど、情報のネットワークを整理し、権威というものを改めて打ち立てて、体系を見渡しやすくすることや、そうした政治的な思考や調査のアウトソーシングを社会福祉とすることで、人類の思考リソースの効率化ができるんじゃないかな?と思う。
情報も、処理タスクも氾濫していくから人間にとって生きづらくなるし、このままの傾向を続けていくなら、処理能力が低い人から落ちこぼれていく路線が激しく押し寄せることになるのではないかな。
ニュースを見て心を痛めることばかりだ。
そういう意味で、地域コミュニティというものをどうにか刷新して再起動することは良い線に行くのではないか?と思う。
外国人コワイヨーな気持ちは、そもそも外国人も日本にきて不安なので、
・宗教
・国籍
・言語
などのコミュニティで共同して固まる傾向があったりして、それを見て日本人はコワイヨ〜つったりしてるわけではないですか。
そしてそれはその土地で行われるわけですから、地域の自主性も持ったコミュニティとして、移住者コミュニティと上手くコンタクトを取るというか、良い関係を築くことが互いの理解も促進できるし、良いと思う(というか、全ての自治体でそれをしているとは思わないけど、そういう取り組みはあるだろ)
ただの言葉遊びだけに終始ないと僕はかんがえているのだけど、メディアというものがまさしく空間を埋める(情報を伝達する)ものであって、これが(経済的な階級、社会的地位とかなんでも)あらゆる次元で見ても十分に連続的っぽい濃度分布ではなかったりすること、そこに問題があると思う。
そのために全く分断が起こってしまって、例えば移住者の排斥の思考傾向なんかも連帯を形成できないシステム上の問題と考えることができると思うんですよね。
全部愛せる
でも殺し合ってる人たちはあんま愛せない
まとめてグシャグシャぽいってしてあげたい。
根本的な問題として、見た目というものがIPに強力に紐づいていて、その新たな提案がその紐付きを突破する程のエネルギーを持っているか?ということも考えていいと思うな。
見た目に理由はいらないが、人が共有しているヴィジョンから脱し、それを納得させることは生半可な覚悟では成し遂げられない。特に、作品のような完成品はそうなんじゃないですか。

創作の挑戦に対する態度がどれほどのものか?ということも問題があるよね。見る側のリテラシーを適切に批判することが大事だとも思う。適当にイデオロギーの差分をバカにするだけのやつは、悦に浸りたいだけ/イジメを本質的に志向してしまうことから脱却できない可哀想な社会的動物の
なんなら、作品制作上のそういう稚拙さに敏感なのは、より進歩的な感覚を内面化する若い世代の視聴者ということもありえるのではないかな?
アップデートしつつある古い感性によるチューニングは、飲み込みづらいということは過去に身に覚えがあるな
構造に問題があるとして、深い検討をせずに一つの課題のみを達成しようと変更を加えた時に何が起こるか?ということにも気をつけるべきなんだ。
薄っぺらい目配せが批判されるのは当たり前でしょうと思うね。
ヤスケの例とか(プレイしてないけど)日本の歴史を踏み倒すようなことをしてたんだから批判されて、罵倒されてしまうのは仕方がないと思う(バランス感覚の問題)

逆に、あまり進歩的でない視聴者は、巧妙に溶け込まされたポリコレ要素を鑑賞上無視したりしてるんじゃないの?と思ってしまうな。
クリエイティブとポリコレの関係って、単純な問題ではないから妙な対立にしないほうがいい気がする。もっと真摯に慎重に丁寧に見ていく課題だと思う。
そうでなければ感情の戦争でしかなくなって互いに傷つけあって終わりなのでは?
勇者ヒンメルニキのツィートを見た。例えばユニコーン、マリーダ・クルスの退場はすごく悲しかったけど、すごく良いシーンだったよね
すっごい当たり前なんだけど、ギターちゃんとやってる人にとって(完成度の低い)打ち込みのフェイクさはどうしても気になってしまうし、サンプリングが生演奏がいいのでは?となっちゃうかも?どうなんだろう。とくにフレージングはそういうところあるよね。ギターを愛していないとギターの歌われ方を知らないみたいな。
仰々しい/飛び道具みたいに使うのが目的のギミックだったらギター的な歌い回し?である必要はないと思うけど
はっきり言って、俺は人間一般とわかり合いたくない。君たちが共有享受する一般のセンスで満足できない
二元論的男女とかLGBTQとかクソどうでもいい
私の極めて個人的な状態だけがリアルだ
バカじゃねーの全員○ねば?意味ないべこの世界に
一生ドンパチ、シナプスぱちぱち、ソロバンチカチカ、トランジスタシコシコやっとけばいいんじゃないの。どうなんですか?
いやでも、人文知を駆動させればそういうことも省エネできると俺は信じてる。そうか、社会の構造を整えることはある種の省エネなんですね。
それはコンピューターアーキテクチャで省電力を目指したりできることと同じだ。
それとも、人間の飛躍する力はリソースさえあれば無限に駆動するものだと思っていたけど、実はやっぱり駆動上限があって、そういう終わりというか停滞がやってくるのかもしれない。
社会保障って自分がコケた時の保険だったり、他人がコケた時の保険という考え方はおkそう。
セーフティネットがなければ死ぬだけの話ではなく、その話には続きがあって。社会の仕組みというものが治安を下支えできるんですよ。素晴らしい国に住んでいる、素晴らしいこの美しさを維持したいあるいは取り戻したい!そうおもってくれているなら、まともに知性を働かせましょう。それどうやるのっていうのなら、みんなでいったん落ち着いて、ゆっくりと、誠実に丁寧に話し合おう。手取り足取りで話し合おう。話をしないのは、人間じゃない。考えることをやめた集団は人間的でなくなっていく。
俺はまださなぎだけど~ さなぎのままおわりつもりはね~
情報弱者は弱者の渦から抜けることがより難しい。逆に、情報強者はそのポジション故に多くの情報に容易にアクセスできるのですね。
個人にできることは、情報を取りこぼさないように体をねじ込んで情報をかせぐことぐらい
情報弱者を作らないような取り組みのために、力のバランスの平衡を保とうとしたり、こういう問題意識を持つ人が根気良く人を誘い続けることだと思う
僕はそれができるような「人懐っこさ」を持っていないと思うから、コミュニティではそういうことをあまりしていない
困っていそうな人に声をかけるくらいはやるけど、自分にできることは場所によってはあまりなさそうだったり、ふつうにかったり〜寝た方が気分いいわ!と
普通に頭イカれてて、「今後の配信はLoLをやるって話」というタイトルに空目して、めっちゃ悲報じゃんと思ってたら、全然違った。そんなわけ・・・ないですよね。でも彼結構LoLやってる
オレは君たち全人類を愛したいと思っているわけだ。