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Twitterから移住。返信やフォローバックは原則していません。最近は色々な思考の記録に使っています。 【注】論文アブスト(#サイコロabst)については,内容の正確性を保証しません。 ○はてなブログ: https://psychamabook.hatenablog.com/ ○心理学系論文アブスト(#サイコロabst): https://www.bluefeed.app/feed/19380ed42615339
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私個人は一貫して「本邦の世論調査は多くの問題を抱えており、正確に世論を反映しているとは思わないが、個々人の判断する世論感覚よりは相当マシ&サンプリングには方法論的なバイアスが懸念される、サブグループ解析はサンプルサイズに照らしても特に怪しいだろう」という立場を取っているので、誰が首相の時だろうとどんな結果だろうと、世論調査はせいぜい「世論調査でしかない」と割り切っていますが、政治的な関与の高い人からすれば「自分が正しいか」を測るバロメーターなんだろうなと見えているところはあります。
男性と女性には「元々の適性」があると言うためには、単に生物学的性差を示すだけでは十分でないと思っている身としては、いま改めて見てみると「適性」と「傾向」を互換的に使って(あるいは後者が満たされれば前者も自動的に言えるという前提のもとで)批判する人が多いことの方が驚いた。

まぁある意味で「一般には自明に思えるものに何らかの非自明性を見出そうとする」奇妙な思考は、少なくない学問の一つの特徴的思考なんですよね。これは別に文理問わない。「分かったつもりのものを分かってないことを暴く」のも学問の仕事なんだろうなと。
私のTLでは『予言がはずれるとき』の話を多くの人がしているのだが、日本語でその話をしている人がほとんどいない気がする…
もっとも「差異」と「適性」をどこまで二分法で捉えられるのかという点や現実における生物学的素因と社会的・環境的な影響の相互作用を考えれば、話は複雑どころじゃなくなるわけだが根本的に「男女それぞれ元々の適性」なる概念をナイーブに想定するのは難しいことはどの学問分野に行くにせよ確かで、生物学的素因を強調するなら単なる記述的な差異に近いものになるし、「適性」を考えるならば、「元々の」というものはなく、社会的・環境的な要因の効果(直接的効果から間接的効果まで)を考えずに論じることはできないと思いますね。
Twitter で「男女それぞれの元々の適性が」みたいな話を見かけたのだが、リプライとかをざっと眺めている感じでも「生物学的基盤に基づくセックスないしジェンダーの差異が存在する」という記述的な話と「それが "固有の適性" である」という解釈的な話が混乱している人が多いんだなぁと思う。

適性という言葉は明らかに価値中立的な記述ではないので「差異」はあるかもしれないが、そこから自動的に「適性」なる何かを導くことは困難であるという点は歴史学者にとどまらず生物学者も心理学者も気をつける部分だと思う。まさに「社会構築的な」概念としてしか存在し得ない。

x.com/hara_naofumi...
原 直史 on X: "今日はせっかく「フェミニズムとジェンダー」の課題を選択した学生が「男女それぞれの元々の適性が」などと言うので、思わず「歴史学ではそれは決して許されない発言」と些か強すぎる指導をしてしまった。「適性」なるものは歴史的に形成された社会的規範に過ぎないことを知って欲しいため。課題文も→" / X
今日はせっかく「フェミニズムとジェンダー」の課題を選択した学生が「男女それぞれの元々の適性が」などと言うので、思わず「歴史学ではそれは決して許されない発言」と些か強すぎる指導をしてしまった。「適性」なるものは歴史的に形成された社会的規範に過ぎないことを知って欲しいため。課題文も→
x.com
最近の二重過程理論の研究は「スローがファストを塗り替える」みたいなナイーブな仮定が結構怪しいのではという話にもなってきていることも一応指摘しておくべきだろうか。いずれにせよ,言うほど単純な話ではない
あえて言えば,エリート vs ポピュリズムないし反ポピュリズム vs ポピュリズムは「お互いが自分たちはスローで相手はファストだと思っているが,実はどちらも部分的にスローで部分的にファストである」というのが現実なのではないかと。両者の間で程度や割合に何らかの差を見出すことはできるかもしれないが,それを「公平な目」で観察することもまた困難だろうと思う。
ジョセフ・ヒース「ポピュリズムを分析する:ファスト&スローの観点から」
econ101.jp/populism-fas...

この記事は二重過程理論に対する狭い理解を「エリート vs ポピュリズム」という二項対立にほぼそのまま当てはめたような感じなので,正直薄いし雑なのだが,アンチ・ポピュリズムの人にとっては demonizing な議論として受け入れられそうだなぁと思った。
ジョセフ・ヒース「ポピュリズムを分析する:ファスト&スローの観点から」(2025年10月20日)
鍵となるのは、ポピュリズムを、特定の認知スタイルを特権化する政治戦略と見なすことだ。
econ101.jp
ノア・スミスが高市早苗と日本経済について書いた記事

Economic ideas for Takaichi Sanae
www.noahpinion.blog/p/economic-i...
Economic ideas for Takaichi Sanae
How to get Japan growing fast again.
www.noahpinion.blog
心理学だけが「再現性の危機」で有名になってしまったが,生物学とか医学でも普通に言われている
直接的追試でも概念的追試でも確かに「再現されませんでした」というのはしばしば見るんですが,普通に「再現されました」も結構ありますからね...
心理学の「再現性の危機」について語る人たちの99%はロバストに再現されている心理学の知見について "一つも" 知らないだろうし,なんなら Open Science Collaboration (2015) でどのような知見がどのような基準で再現されたと判断されたか・されなかったかについてすら知らないんじゃないかと思う。
「質的研究」論争の中でも最大レベルのトンチキ発言を見てしまった… なぜ心理学の「再現性の危機」が「質的研究の危機」ということになるのか...

x.com/wagashi_no_y...
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世論調査は信用ならないと言っていたはずの人たちが、自分に都合の良い世論調査をそのまんま引用しているのを見たのですが、結局のところ「方法論への懐疑」というのは、せいぜい自分の信念を保つための道具でしかないんでしょうね。しかしこういう思考はしばしば研究者にも見られるから厄介。
話題の「ポピュラーカルチャーにおけるポリコレ汚染の分析」についての投稿も「体育における男性性の問題」に関する質的研究の論文も、「テーマや結論がもしも違えば(とりわけ真逆ならば)」真反対のイデオロギーの人たちが批判に参加し、今回批判している人はおそらく擁護に参加しただろうと思う。今回擁護している人たちの中には擁護する人とダンマリする人がどちらも出てくるとは思う。

この手の話題は少なからずそういうとこがある。
検定力分析が重要なのは「サンプルサイズが小さいと偽陽性のリスクがあるから」というだけじゃなくて「サンプルサイズが大きければ大きいだけ良いというものでもない」からですよね
サンプルサイズが少ないというだけで研究をバカにしている人、30万のサンプルを集めて相関分析で有意(p < .001)になりました!みたいな研究を強い証拠として信じていそう(偏見)
ちゃんとした人なら「どれだけ厳格に設計された量的研究でも、どれだけ厳格に設計された質的研究でも、"それぞれの理由で" 一般化や結論導出には様々な限界が伴う」ことを知っていると思うんですけど、まぁ「プロ」でもそういうことを分かってないとよく分からない二項対立をしたがるという話。
サンプルサイズが小さい質的研究はサンプルサイズがある程度大きい量的研究と比べて質が低いわけではなくて、研究の目的や研究が明らかにできる範囲、結果から解釈できる範囲がただ違うだけであるということがほとんど理解されておらず、定期的に「こんなに小さいサンプルサイズで一般化した結論を出すなんて質的研究は終わっている」みたいなことを言い出す人が(なんなら「プロ」も含めて)いる
非認知能力が全く大切でないと言いたいわけではありませんが、これからの時代は非認知能力!非認知能力!非認知能力!と言ってるような人たちはもれなく「認知能力」が足りないなぁと見なしています(皮肉)
1. 非認知能力とは何か
2. 非認知能力を「測る」とはどのような行為か、どのように行うのか
3. なぜ非認知能力を「測る」のか
4. なぜ「修学旅行で」非認知能力を測るのか
5. なぜ「観光サービス会社が」非認知能力を測ることが正当化されるのか