エメラルド日和
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エメラルド日和
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おだやかさを求める日記 Gro/Ace🍰
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SNSとは(S)ソロ(N)日記(S)スタジオです
このプロジェクトから自分が抜けることはありません、という意味で自分のことをジェンガの一番下の真ん中に例えたら、相手は3列揃っている状態、自分は両脇が抜けた状態で想像していて、意味が180°逆に伝わってしまった…
粋な例えって難しい…
今回観てようやく理解できたのは、双方それぞれ内ゲバがあるということ。自然側だって一枚岩ではない。
なんにせよ、「アシタカせっ記」の地響きを大音量で聴けて良かった。
『もののけ姫』4K観た

観たのはだいぶ久しぶりだけど、森の底知れなさは前以上に感じる。見通しが効くのが人間の集落、効かないのが自然(自分が人間だから)。自分の地元は鹿と衝突しそうになる、山が近くにある住宅地なのだけど、最近は熊が出没したりもしていて全然他人事ではない(震災を経たのもだいぶ大きい)。
そう思うと、翻訳者として出来事を曇りなき眼で見つめ、関係各所のメッセージを伝えて回るアシタカの必要性は今も全然変わってないと思う。ただ、アシタカが「私たちならシシ神様の怒りを鎮められる」と言ったのも、人間によって書かれた脚本の傲慢ではないのかね…とも思った。お前にあの深き森を鎮められるか!
江の浦測候所、蒐集家の夢の到達点だった
敷地内に古今東西の蒐集物がコンテクストを剥がされて配置されて、外界から隔絶された静かな美しい場所ではあったけど、歴史を持った物を空間に奉仕する装置として扱っていいのだろうかという違和感もちょっとあった
建築の設計をしていると話したら、帰り際、「良い仕事をなすって」と声をかけてもらってちょっと涙ぐんでしまった
日々の仕事の忙しさにひいひい言っている時にかけられる言葉として「良い仕事をなすって」以上のもの無いよ…

外に出たら絵で見たようなパステルのピンクとブルーの海が広がっていて、あまりにもできすぎた一日だった
貴婦人から聞いて印象に残っているのが、相模湾の穏やかな白波を「白兎が跳ねてくる」、荒い波を「馬が駆けてくる」と真鶴の漁師が表現していて詩人みたいだと思った、という話
土地に慣れ親しむとは、その土地を表現する言葉を増やすことなのかもしれない
何となくマップで見て気になった真鶴の堀田高洋画館、隈研吾の一番弟子の設計だそうで、まるで日本じゃないような、穏やかで余裕のある美しい邸宅だった
南仏のカーニュで描かれた色彩豊かな絵たちを、91歳の優雅な貴婦人がつきっきりで案内してくれた
大真面目時代がやって来た…!
#エンピカ
『ケイコ 目を澄ませて』を観た

手話を使わない人たちに対する意思伝達のスピードがどうしてもゆっくりになってしまうケイコの言葉を周りの人たちは聞かず、どんどん物事を前に進めてしまう。終盤のノートの雄弁さにハッとした。

これもまた本人の言葉を聞かない勝手な想像でしかないのだけど、「自分も強くない」と話すケイコは他者から保護されることを拒み、古びた荒川のジムを半ば捨て鉢のように選んだのでは、そしてジムの移籍を拒んだのも、そこがあまりに整った環境すぎたからなのでは、と思った。

坂を登って逆光で影になり、日常の風景に溶け込んでいくラストシーンのケイコが、どんどん取り壊される昭和の街並みに重なる。
三浦透子の曲って聴いててすごく心地がよいというか、水が合う感じがする
今回のアルバムも常に身に纏っていたい感じ
music.apple.com/jp/album/con...
三浦透子の「condominium - EP」をApple Musicで
アルバム・2025年・6曲
music.apple.com
#Aceweek !ということで、しっくりくるラベルも分かってきたので“Aのどこか☂️🍰 „としていたbioをGro/Ace(グレーロマンティック/アセクシュアル)に変えたのだけど、これって発音すると“グロエース“ってこと?なんかヤダ…
ほうれん草チキンカレーってなんとなく体にいい気がして頼んでしまうけど、食べてる時はほうれん草だと認識してないような…
あれって何味?
ウェンディさんのソロコン、感情を抑えて歌わなければならないのに溢れてしまう、と何度も言っていたのが印象的だった
あんな超絶歌唱コントロールをなお超えてくる感情サランへ…
特に『When This Rain Stops』と『The Road』は文字通り息を呑むようだった
#WENDY_WORLDTOUR
星野源MAD HOPEツアーをライブビューイングで観た
一曲目の『地獄でなぜ悪い』、好きでたまに聴くけど「”女”のように笑うさまに」の歌詞はちょっと…とずっと喉に小骨が刺さってて、でも今回は「”あなた”のように笑うさまに」と歌っていて、自分の中の何らかが成仏し、その後は安心なパーティーだった
今日お迎えしたもの:
小皿×2
作:紺野乃芙子

Parqueにて

左の皿はリソグラフのような掠れた模様がグラフィカルで好き
右の皿はアステカ文明みたいな紋様が描かれていて、和菓子を置きたい

食事会も、バリエーション豊かな小皿たちの上に小粒の宝石みたいな料理がのっていて宝箱のようだった
山本理顕展を観に横須賀美術館に行ったのだけど、同時開催の世界の絵本パレードが、自分の知ってる絵本の感じではぜんぜんなくて面白かった…!
特にグランプリのPaloma Valdivia『問いかけの本』、日本のものではjunaida『EDNE』の絵力がとんでもなかった
考えてみれば絵本って言葉の付いてる画集だものな
夕方4時に食べるひとり分のランチとしてはあまりにも山賊すぎたかもしれない、、、
『テレビの中に入りたい』を観た

好きと同じだけ嫌いな映画だった。
テレビの中に入る機会を逃してしまったら、どんどん劣化していくぶよぶよした皮に閉じ込められて”普通の人間”を生きることになる。日頃感じる、現実を生きている感覚の希薄さをここまで突きつけられるなんて…。

土の中で身動きできず窒息することが、現実が現実でない感覚、普通の生に阻害されている感覚の暗喩になっていて息苦しい。オーウェンはマディとピンク・オペークでしか繋がっていなくて、その拠り所としていた人の存在すら不確かなことが哀しい。
『サラバ、さらんへ、サラバ』を観た

昨日の総裁選の結果に先行き不安な気持ちになっていたのもあって、何気ない愛情表現の場面に笑顔になりながら、胸がぎゅっとなりながら観ていた。
お別れを描いているにも関わらず、ラストの台詞も含めてさらっとしたトーンでまとまっているのがとても好きだった。
トナカイ「すべてのあなたの記憶」

窓の光に透かして見た400枚弱あるフィルムの中に過去見たことあるような場面がいくつかあって、いや見たことないのだけど、まるで自分の中に他人の記憶を刷り込んでいるような感覚だった。
なんだか昨日は記憶について思いを巡らす一日だったな
そこでは自転車を練習したり、鍵を忘れた時に本を読みながら親の帰りを待ったりしていた。
物心付いた頃から目に見える変化は何もなく、劇中の「植物は終わりを知らない」という言葉を思い出す。広場は人間に依らずずっとそこに居て、広場自体が意志を持って存在しているのでは?という気がしてきた。
映画『観測者たち』のための音楽劇「観測者たち」

言葉の断片を投げるように描写される公園の様子と並行して、自分にとっての個人的な公園が立ち上がってくる。この劇を観なければその公園について思いを巡らすこともたぶん無かった。

道路を挟んで実家の向かい側にあるそれは”健康広場”と呼ばれ、公園と呼ぶには何も無さすぎるただの平地だった。あるのはプラスチック製のブルーのベンチと何かの倉庫だけ。ゲートボールや夏祭りの会場として使われるほかは滅多に使われず、住宅地の中の動かしようのない空白としてそこに存在している。