帆川
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hokawa.bsky.social
帆川
@hokawa.bsky.social
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演劇と海外アニメーションが好き 本とゲームも好きだけれどなかなか触れられず ここをどういう風に使えるか考え中 they/them Aro Ace
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言うてもうアトラクションが無くなって久しいし映画の40thアニバーサリーは今年だしそもそも現USJはさほどハリウッド映画をフィーチャーしていないしで、あくまでUSJ 25thの色々のごく一部として思い出〜くらいの扱いでちょっといてくれれば御の字くらいの構えでいるのですが(全力の予防線)
あとファシリエさんの例を鑑みるにもしかしてステージの外でもお見かけできる……? と勝手に想像しており余計にアワワとなる。ごく簡単なレベルでも英語とスペイン語の勉強しておくべきですか!?
シーの「ダンス・ザ・グローブ!」は25周年イベントに先駆けて1月14日から始まるらしく、三次元ミラベルが本邦のパークにとうとう、とドキドキしてきた。オンアイスでは上陸済ですが別の場所にも、というのが。
25周年限定ショーということもありぜひ一度は拝みたいけれど、鑑賞エリアはきっとプレミアアクセスや抽選エントリーが多くを占めるでしょうし、自分のほうの距離や予算のこともあるので叶うかな……叶えたいな……
www.tokyodisneyresort.jp/treasure/tds...
www.tokyodisneyresort.jp
観念的なことを長々と書き出したら眠くて疲れている合図だ!寝るぞ!
実際のところ、仮装でもこの類のマジカルな感覚を覚えるときがある。コスチュームを着ている人がいる。同時に、「そのキャラクターとみなす」瞬間がある。
俳優/パフォーマーの生じさせるそれと同一視すべきではないとお叱りを受けるかもしれないけれど、ある点では、共通する事象がここに発生しているように思う。
話がまったくずれてしまうけれど、「いるけれどいない」手法のときも、操演者は舞台・観客の意識から完全に消されているわけではなくて、むしろ「いる/いない」の重ね合わせ、あわいに佇むような存在になるんですよね。猫を演じている人間を、間違いなく人間と認識しつつ”同時に”猫だとみなすのも同じ。だからこそ魅力になる。
パディントンの場合は、ギミックのついた着ぐるみであると誰もが分かりつつ「ペルーからやって来た礼儀正しいくま」だと思えること。ここに、演じること、あそぶことの核心があるような気がしている。
「ひとり」を表現するために今回ベストな方法として選ばれたのが、「ふたり」で演じるパディントンだったというのも考えてみると面白いですね。
Dch主導で屋外サマーウィーンイベント(もちろん仮装はしてもしなくてもOKなお祭りGFファンイベント)などをやったら盛り上がりそう→本邦の気候で屋外サマーウィーンなどしようものなら誰も無事では済まない
今年のDハロ、Dch作品では特にGF仮装をかなり頻繁に見かけて、何年も前に最終話を迎えた作品がこのタイミングで熱いの本当にすごいし嬉しいな、となった。
考えてみたらGFもまたPnFなどのように「あのころ見ていた子どもたちが、心に作品への『好き』を刻んだ大人になっている」強みがあるんですよな。……日本Dchさん!
今年は計4回もハロウィーンしてしまったためか、終わってしまった切なさはありつつ充足感のほうが強いかな……となっていたのだけど突然ものすごく寂しさが募ってきてしまった。
ALT(代替テキスト)を書いていると「”これ”が何だか知っているつもりでいたが名称を知らない……ッ!」となることがある(e.g. 服のデザインや柄についてなど)
しかし名称ではなく「見えているもの」をそのまま描写するほうが適切なのでは? と思うこともあり、その時々でいろいろ考えつつ。

これは一種の「翻訳」作業であるし、しかしこれは翻訳に関心のある人もない人も当事者として関わる分野で、となれば当然に人によって表現形態も得手不得手もばらつきがあるわけですが、これに関してはそれこそAIなどによる画像認識→テキスト化の技術が適切に発展するといいのだろか。
パペットを扱う際に操演者が姿を隠さず、「いる」けれど「いない」了解が舞台と客席との間に成されることを(ほかの見立て表現と同じく)非常に演劇的と感じてマジカルな魅力を覚えるタイプなのだけれど、ミュージカル版パディントンではパディントンを完全に「ひとり」にするためにその手法を取らなかったというのが興味深い。見立ての幻想を取り払った、「そのものの身体」を重視する方向性。
パディントンのミュージカル、技術的にも珍しいことをやっているようで面白そう。テクノロジーと人力との融合表現にはいつも心惹かれてしまう。
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パディントンをどうするか、あらゆるアイデアを試したが、パペットを使うことについては、くまが舞台上でたった一人、駅で途方に暮れ、誰かに見つけてもらうのを待っているシーンをつくりたいという思いがあったが、パペッティアが存在しているとその実現が難しくなると考えたと。記事には、パディントン駅でくまが一人、箱の上に座っている動画がある。その寂しげなシルエットを見ただけでも胸に迫るものが…。「Paddington The Musical」は、トム・フレッチャー音楽・歌詞、ジェシカ・スウェイル脚本、ルーク・シェパード演出。Savoy Theatreにて現時点で2026年10月25日まで上演予定。
Reposted by 帆川
「くまのパディントン」ミュージカル版におけるパディントンについて、制作陣とパディントンを演じる2人の俳優たちへインタヴューした記事。身長約1.2メートルのパディントンの中に入って演じるのがアーティ・シャー。もう一人のジェームズ・ハミードが声とともに、コントロール・パネルを使って遠隔でパディントンの顔の表情も担当する。
www.theguardian.com/stage/2025/n...
Big belly, wavy fur and a nose for trouble: we exclusively reveal the new-look Paddington
It’s been the biggest secret in theatre: what will the marmalade-loving, hyper-polite Peruvian look like in Paddington the Musical? As the curtain rises, we speak to the new bear’s creator, a veteran ...
www.theguardian.com
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#Dハロ仮装2025 というよりほぼスーパーパンチートタイム

カメラ独占→突然のダンス&手拍子→ダンス&手拍子→スッと「準備できたよ」の体勢(我々は何も準備できていない)
一方ホセは落ち着いた様子 どちらも何人かお顔隠してますがずっと笑っている
#Dハロ仮装2025 というよりほぼスーパーパンチートタイム

カメラ独占→突然のダンス&手拍子→ダンス&手拍子→スッと「準備できたよ」の体勢(我々は何も準備できていない)
載せたい写真がありつつ私物がたくさん写っているのでちまちま隠蔽作業をしているのですが、割とうまいかもしれない(実際の出来映えを見誤った素人ゆえの自画自賛)
デジタルデトックスだ!となりつつ、(帰ったら「今日はスマホを忘れて愉快なサザエさんだった」とポストしよ……)と考えていた時点でデトックスできていない。
今日はスマホを忘れて愉快なサザエさんだった。
SNSへのポストは、自分にとっては、手紙や絵や写真を入れた小瓶を海に流すようなことに似ている。誰かが見てくださるかもしれないし、誰にも見つからず波間に漂い続けるかもしれない。どちらでも、「こういう人がここにいた」というしるしだけが残る。
ウーッ!ネチネチしおしお終わり!振り返りもまだ少し。楽しみたいな。
「いつ死角から飛んできた言葉の弾で不要なダメージを受けるか」にビクつきつつ使う感じになった時点で、自分のいられる場所ではなくなってるんですよな、やはり……