はるを@浅川河畔スタジオ
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同人ゲーム製作サークル「浅川河畔スタジオ」の中の人、のような。お散歩ツアーを再開したい。観測者花組らしい。
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明日(2025/08/16)は東館5ホール"タ"54b「浅川河畔スタジオ」におります。新刊がないので静かにしておりますが、既刊のコージィアポカリプスシュール股旅ものTRPG「プラスティカワンダラーズ:合本版」と個人の内的世界を旅する0.5人称TRPG「夜が明けたなら行こう」はありますので、ご興味がある方は。
作品を作るのは偉いし、毎日サボりもせず仕事に行ってるのも偉いですよ。(最近なかなか書き進められない私的にも)
(私、1970年代生まれがやらかしそうなTRPG関係の「ハシカ」をほぼコンプリートしてない!?)(色恋がらみのサークルクラッシュはやらんかったかな……)
(若い頃、偶然そのものをガンガン持ち込もうとして、誰にも遊んでもらえず呆然としていた頃を思い出しながら)
しかしたといどれほど欺瞞でも、ゲームはやはり偶然をやらんと人間関係を毀損するどことなく酸鼻なものになりがちで、その酸鼻さのせいで、味わって欲しいゲーム的体験に全然届かない、みたいな事態にも繋がりがちなのは間違いなく、表現としてのゲームデザインで使われる偶然が「偶然そのものであってはならない」のは強く思うところではある
主流派のTRPGの場合、これらをゲームマスターが融通無碍に調整することでいい感じな場が生まれて、あまりこの融通無碍感を邪魔するようにちゃんと整備すると、遊んでくれる人たちの射程が狭くなったりもする、んだけど。
私のような小規模な会話ゲームを作ってると、ほとんどゲームシステムとは欺瞞的な対話や没入を高めるための錯覚を与えるためのものにしかならないんだけど(それでいいと思う)たまに算数が得意な人に全部詳らかにされて、辛い時はあったな
(シナリオ記法ではついにこの形式を超えるものを作れてないな……。まあ、アマチュアでここまでこれたからいいか、という感じもある)
「みゆきさんのゆううつ/みゆきさんは近所に住んでいる中学生の女の子だ。なんだか最近色々悩んでいるらしい/ある日行方不明となり数ヶ月後、有名な自殺名所で死体として発見される/任意の行為で人数×3回分成功するとクリア」……こんな感じ
シナリオが三行半で書けるためには、なぜそれが課題たりうるのか、それはどれほどの重みを持つモノなのか、ディテールは、といったものが外挿される必要はあり、もちろんそれをゲームシステムで補完していたわけだけど、ファミリードラマもののTRPGだったので家族の事情が忙しくてそんなことに手を出してる暇がねえ、になるのが独自性だった。というわけで、あれはめちゃくちゃシステムを売りにして売っていたのだった……
(ファミリーズ!は本当に三行半でシナリオが書けますが、我が人生最高傑作である「みゆきさんのゆううつ」はそれでも200字くらいある長めのシナリオだったので、短ければ良いというモノでもなかった……)(なお「タイトル」「何が起きてるかを一言で」「バッドエンドの時何が起きるか」「クリアするために必要な成功の種類と回数」で三行半です)
まあうちもそうですが、それはそれとして『ファミリーズ!』の、シナリオが三行半(さんぎょうはん)で書けます! それも面倒な方に50種類ほど入れてあります! はうけたな。ファミリードラマものなのに三行半(みくだりはん)システムなんです、って売ってた
TRPGをキャッチーに宣伝しようとする時、どうしても世界観とかの話になり、ゲームの話にならない、という話が流れていくのを見ながら、なにか曰く言いがたいものを感じていた。
それが実はかなり特異的だった、というのは、ずっとそれの中にいたのでぼんやりとした実感はないですが、年かさのインターネットの外で生きている人たち話すとやっぱり変な宇宙だったなと感じさせられます。
インターネットが一瞬、そうじゃないかも、みたいな夢を見せたからですかねえ
年齢肩だと、薬とか治療法はないですよ。使うな、動かすな、じっとしてろ、いたいと思った分だけ悪化する、いいからいたい場所はじっとしてろ、とだけ言われました。(痛み止めも出ませんでした)。でもそれが本当に年齢肩かわからんので医者は行った方がいいです。
固定費が高い会社って、安い客単価というものに耐えられないんだよな……。(自分たちの業界のことを思いながらぢっと手を見る……)
トヨタの車検が、基本料金がうんと高くてでもこの中でこんなこともあんなこともやりますというふうになっていて、一方で民間の車検場を見ると、基本料金はうんと安いけどあれは別料金これも別料金ですあちらもいかがですかというふうになっている、というのを見ながら、昔、なんかの祝いで銀座三越で高級キッチン用品を買ったら高いんだけどいっぱいいっぱいおまけがついてきたが、同じものを別の通販ショップで見つけたときはおまけナシでぐっと安い値段で売っていた、というのを思い出した。客単価という言葉を考えさせられる話である……
(池袋は、新宿以西か、と考えてしまった。若葉台や多摩センタークラスの本屋はすでに渋谷や新宿からは喪われて久しいが、池袋にはジュンク堂本店があるし、池袋には(ある意味本屋でもある)アニメイト本店もあるな。山手線の左側の本屋の都は池袋なんだろうな)
(本屋というのは根本的に怪しいところなので、ゾーニング? ちゃんちゃらおかしいわ、と思っている。しかし大書店はゾーニングができてしまう本屋でもあり、というあたりの話に繋がっていくのだろう……)
そういや、ニッキの本屋も閉じるんだったな……。世界で最も売れた本のワンツーが聖書とわが闘争なのも同じ淵源の話かもな……
あと今でも小さい書店だとけっこういいところに売っている高島易断の本とかも、それらとどのくらい同じで、どのくらい違うのか、なかなか曰く言いがたいところはある。まあそういうの含めて本屋である、に尽きるのだけど。
本屋に行くと、新宗教関係の本とかの扱いがどうなっているかをつい気にしてしまうのだが、かつて様々な書店の売上げを底上げしてくれてしまっていたあのへんの本が、それらの新宗教の勢いがなくなっていくことで、立ちゆかなくなってしまった書店というのがどのくらいあるのだろうな、と思ったりはする。もしかしたら書店で本を買うということとそれらの共犯関係というのは無視出来ないレベルだったのかも、とも。
調べてみると、大書店はまあいろんなものも売れるから一部けっこう元気だが、小書店は絶滅危惧種っぽいな……