馬鹿みたいに生きていずれ死ぬ太郎
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馬鹿みたいに生きていずれ死ぬ太郎
@arawatari.bsky.social
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新宿で育ち新宿に30年以上住んでいたのにも関わらず、全くそのポテンシャルを活かせないまま相模原に、そして山梨に落ち延びた。年収が2000万くらいあれば面白い遊びも出来たろうが。
引っ越すと引っ越し前の自治体の証明書コンビニで取れなくなるのどういうシステムなんだ…新宿区役所まで行きたかないが郵送で書類申請するみたいな悠長なことしてらんないや。
ミレービスケットって美味すぎない?舌に載せた瞬間の切り立つ塩味のビリビリ感から、噛み砕いて舌で溶けてゆく際の素朴な甘さに至るまでの急降下の間に、ずっと塩味が世話を焼くように顔を覗かせてて本当に童話みたいだな。
何も捨てたくないけどさ、誰がヒョウ柄の座椅子を使うんだろね。ヒョウ柄の座椅子だけは取っておこうかな、、、
とは言え日本家屋は仕切りを閉じたり外したりして部屋の拡張を行えるのがかなり面白いと思う。縁側とかも家の機能としてはかなり優れてるよな。庭を眺めながら横並びでタバコ吸えるってかなり良い。

家賃が安いから借りているが、段々と愛着が湧いてきたし気に入ってきた。思い切ってリフォームしてみようか。
山梨の新居の母屋はオール畳なので残置のコタツでPC作業をしていたが、ずっとしっくりこなかったので旧家から持ってきた机を引っ張り出してデスクとチェアを設置。ぐんと動きやすくなった。

美大生の頃の下宿は和室にビールケースと板を渡してパソコンをしていたし、基本地べたで制作していたが、この俺は椅子でないと上手くやれないようだ。

まだまだ残置と共に過ごす仮住まいではあるが、徐々に領土を拡張つつある。ハイラルよりもマサラシティよりも、死蔵されちまったモノだらけの過疎地域の古民家の冒険が俺にはお似合いだぜ。
物を溜め続けて子孫に片付けさせるの何なんですかね……同じ家に50年前の新聞と20年前の新聞あるの意味不明すぎ。
死蔵布団はさすがに要らなすぎる…俺もここまでか。
布団の山を片付けてアクセスできるようになった押し入れを開けたら、また布団出てきたのだが、、、恐ろしい、布団というものについて俺はまだ何も知らないのかも知れない。
シェアハウスの方は朝から土間打ち作業をしている。粉ものだし、左官コテも料理用のヘラで代用してるし、お好み焼きみたいなものかも知れん。
目下の課題は「親の遺品をどうして良いか分からない」、をいかに乗り越えるかなのだが、これは自分の中でしっくりくる解がもたらされた。

「誰かにやってもらわない」

これに尽きる。

行政の集積所に出したり、中間処理場に持ってゆき人を介してロンダリングすることを禁ずるということだ。

例えば燃えるものならば、俺の手で火をつけ焼却するのは良い。ではそれがプラスチックなら?陶器なら?アルミやスチールなら?……

勿論まだ使えるものであれば、使い続けても良い。だが積極的に使い続けたいと思えないモノは……?

そうした場面での一つ一つの判断を、愚直に記してゆき、参照できる形にしておきたい。
おそらく俺は本質的には死にそびれていて、長い人類史の中で安定かつ平和な場所に生まれていなかったらば、大抵のケースでは10代の頃には突出して死んでしまっていたのではないかな。

この俺の10代は、ゲバラやホーチミンの伝記に溺れていたし、革命思想の実践さえあれば命をポンと投げ出していたであろう。そんな危うい自分が、なんだか生き延びて美術をやったりしている。

成り上がるとか必死に食らいつくとか、そういうのでもなく、ただずっと戸惑いながら出来るだけ実感のこもったことを言えるように努めている。大体の人からすたら「くだらない」と一蹴されることに悩みながらも、天寿は全うできると証明したい。
この焼酎なかなか良い。やはり度数が高めの芋焼酎をロックでガバガバ流し込むのが性に合ってる。

酔いってのは凧揚げに似てる。上手く風を捕まえて高く高く糸を伸ばす。日本酒やワインは味集中モードになるので飛翔できないし、美味い(高い)ウィスキーもチビリチビリと地を這うようにしか飲めない。

焼酎には気兼ねがない。俺は焼酎で翔ぶ凧。
ジムでのトレーニングって、ちょっと凝った料理するくらいの時間を使うんだよな。餃子仕込もうかと思ったがトレのこと考えると時間がない。
起床即他人の実家の食器の叩き割りを遂行。
ウォー、ストイック!そんなに厳しくしなくて良いじゃん〜と人は言ったりするけども、自分で決めた事はやるしかねぇんだよな。応援しています💪
親の墓参りに行く。命日に行くというのは何だか死んでしまった日のことばかりが思い起こされるし、今年は誕生日に行くことにした。

当然ではあるが、親の好物だったものをChatGPTは教えてくれないんだよな。俺しか知らねぇ、俺だけの記憶。経済的価値なんて微塵もなく、上書きも、消去もできない。セカイからしてみれば取るに足らない些細な情報ではあるが、こうした断片で俺は繋ぎ合わされてるんだよな。
SNS見てると、結局みんな自分のこと喋りたいし知ってもらいたいんじゃんと思う。人間に主にたりてないのは聞く力じゃないのか。
現場入るとだいたい何かしらの怪我を負う。皮膚が薄くて非常に切れやすいというのはそうなんだけど、自分の身体の範囲がどこまでかよく分からず何かにぶつけ続けている。皮膚の防御力は下がってきている気がして、この間は竹箒を2時間くらい振るってたら指の付け根の皮膚がめくれてしまっていた。軍手をしていたというのに…
昨日限界集落にいたのに、今日は代官山にいる。狂う。
土やら農業資材やらの残置をどうにかすべく、まずは畑をアンロックせねば。草の勢いも弱くなった今がラストチャンス。

その為に刈払機を修理に出してだな、、、
残置されていた農機具の修理や、様々な不用品の処理、畳の張替えや床張り、給湯設備の交換。どれも時間をかければ自分で出来そうなことだけれども、やりだしたらキリがない……全力で人に頼んでどうにかしなければあっという間に初老に突入していそうだ。

そうして貨幣が移動するのは自然なことであるし、顔の見える人に対価として支払うことに抵抗感はない。

漠然と資本主義体制の中でむず痒く感じていた感覚が、大量生産、大量消費、大量廃棄への忌避感であって、経済行為そのものへの悪感情ではないと改めて知れる。
大人ってなんでふっといペンで字書くんだろ、細いほうがかっこいいのにな〜と思っていたが、単純に細い文字が読みづらくなるからか。
家具を解体しまくってる。あと一個解体したら終えるか、、、
里中に響く爆音で一瞬だけ演歌が流れ、それから無音になった。何が始まる?