かりまつ
banner
abesho.bsky.social
かりまつ
@abesho.bsky.social
14 followers 16 following 900 posts
Posts Media Videos Starter Packs
昔、警備員のバイトしてる時に、暗黒舞踏をやっている女の人がいて、「音楽とか聞きますか?」と訊いたら「浅川マキとか…」と言われて「うおおおお」となりました
コカインをいっぱいやる人
好きなグミの話をグミから逸れずにやってほしい
装苑ちら美(芸名)
セックスには表立った評価がない
「あのセックスは最高だったなぁ」と誰かの記憶の中にこびりついたりするだけなんだろうか
決して表面化しない豊かさとして
何日かに一回、私はもう年をとってしまって完全に終わってしまったんだと思って目覚めるんですが、もっと年齢を重ねたら、毎日そう思うようになるんだろうか?
本を読みながらセックスすると本の登場人物たちがセックスするっぽい。
こうして二〇〇六年のある日曜日、徐々に、しかし避けがたく決定的に、ギベールが描くような秘密の部屋の精液が、ド・ボーヴォワールの顔に注がれ、思いがけないターバンを作り出すのだった。”プレシアド『テスト・ジャンキー』p370
もちろんセックスについては一言も触れていない。サルトルとの公式な友情によって封印されていた彼女のレズビア二ズムについては何もなしだ。そのあいだに、ギベールの語り手は穴という穴を突かれ、行きずりのあらゆるペニスを貪り、すべての精子を歓み込む。崇高な汚染だ。VDと私は読みながらセックスをし、彼女の本と私の本とのあいだに分子的な交感を生み出す。リアルな巨大ディルドを装着したビアンカがヴィオレットをアヌスで貫き、ヴィオレットがシモーヌのクリトリスを舐める。ヴィオレットは、アヌスを貫かれながら、マンコを舐めるのが好きだ。
“日曜日はずっとベッドで過ごす。VDとジュスティーヌと私で。寝たり、本を読んだり。目覚めるやいなや、彼女は私のセックスを口で探す。VDはブラジャーで寝ていて、私は一七×一三センチの黒いディルドをつけて寝ている。彼女はシモーヌの回想録の最終巻『いろいろとあったが(Tout compte fait)』を読んでおり、私はギベールの『犬たち(Les Chiens)』を読んでいる。シモーヌは、ザザ、ビアンカ、ヴィオレット・ルデュックといった女性たちとの関係について報告し、またある時期から、シルヴィ・ル・ボンとの友情が「彼女の人生で重要な位置を占めていた」とも書いている。
ベッドから起き上がれないのでベッドで本読んでもいいですかね
TikTokのおすすめが整形のビフォーアフターばかりになりました
とにかく歯の矯正をした方がいいっぽい
今日はなにもできませんでした
今年はいい曲が多いなあ
アルバムはあまり聞けなかったけどいい曲はいっぱいあった
ベッドからおりない軍団
明日こたつ出そう(ねこが別の部屋いったら)
バトラー入門はGT読み終わったら読みます(すいません)
GTに通底してる考え方としては、「原因→結果という流れを安易に信じてはならず、結果→原因の順で(何なら人為的に)作り出されているのではないかと疑うべきだ」というのがあるのでしょうか。
理想とか目標とかも全く信じられていない。
それがわかると少し読みやすい(少しだけど)。
レディオヘッドのインタビューの概要見る限り(元記事は有料なのですみません)解散しててもおかしくなかったと思ってしまう
今日わたし昼寝しちゃったから朝まで本読むんだー…はは
ジェンダー・トラブルはバトラーがずーっと「こうじゃね?こういうこと言ってるのもあったし?逆にこういうこと言ってるのもあったし?でもこうじゃね?ああじゃね?あれちがくね?これもちがくね?でもさー」って考えてるまま段落とか章を跨いでいる印象があって、そこも読みにくさに繋がっているような気がする
わざとな感じするけど
冷たすぎて思わずメモ📝
Eve SedgwickのBetween Men: English Literature and Homosocial Desire(中略)は、親族内の互恵構造に関するレヴィ=ストロースの記述を、文学において分析したものと考えてよいだろう。セジウィックの論点は、ロマン主義の詩に見られる女の礼賛の描写は、男のホモソーシャルな欲望の屈折であり、その精緻な表現であるということだ。女は表面的には言説の対象になっているが、女の本当の機能は、男同士の非公認の欲望関係を媒介することであり、その意味で、詩的に表現された「交換対象」なのである。(ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』p86, 原註9)
ありがとうございます〜☺️
もこにゃさんもご自愛ください〜🐱